第2話 縁


 図書塔の扉を押し開けると静謐な空気と埃の匂いが外気と混じりあってゆったりと舞う。今は二限目の授業中なのでここを訪れる者は学院生か、研究員、そして講師ぐらいだ。

 セシルのように退屈な授業をすっぽかしながら街へ下りて遊ぼうとせず、面白くも無い本に囲まれた塔を訪れる者などいない。


 受付カウンターにも人気は無く、この細長い塔を今はひとりで独占――という訳にはいかないようだ。


 螺旋階段をゆっくりと下りてきた少女がセシルに気が付くと慈愛の笑みを浮かべて「こんにちは」と挨拶をしてくる。髪を覆うように白いベールを被っているその姿はフィライト国では非常に目立つ。穏やかな茶色の瞳は控えめに伏せられて、決して相手を正面から見ない。フリザード魔法学園のローブを着ていないのは、彼女がキトラスからの交換留学生としてここにいることを示している。


「留学生なのに授業を受けなくてもいいの?キビル」


 彼女の名前はキビル・ミジョカ。年齢は十八だがフィルと入れ替わりで三年生のクラスで学んでいる。二カ月前にやってきてそれなりにクラスに馴染んではいるが、親しい友人は作っていないようだ。


「留学生は、勉強だけじゃない。交流もまた大事」

「交流ね」


 一体誰と人気の無い図書塔で交流を深めていたのか。

 知りたくも無いので詮索はせずに六人掛けの机の上に腰かけた。


「あんたの名前」

「あたしの?」

「そう。キビルって結ぶって意味だ。しかも名字は美しいとか可愛いとか、そんな意味だし。名前だけで選ばれたって訳じゃないよね?」


 キビルは丸顔で親しみやすい容姿をしている。落ち着いた雰囲気と異国的な空気が相まってどこか神秘的だ。くすりと笑いキビルが「よく御存じですね」と囁いた。


 美しく結ぶ。

 フィライト国とキトラス神聖国の絆を深くするために使わされた使者。


「キトラスでもあまり使わなくなった言葉。貴女詳しい」

「どういたしまして」

「それおかしい。今使うべき言葉ではないと思う」


 首を傾げ疑問を抱くキビルにセシルは「会話は流れだよ。細かいことは気にしない」と忠告するが、根が真面目な国民性の彼女には難しいだろう。


「貴女は名前教えてくれないの?」

「あたし?あたしはセシル。セシル・レイン。知ってる?」

「れいん……知ってる。キトラス入国禁止」

「そうそう。それそれ」


 驚いたように目を上げてキビルがセシルの顔を確認し、目が合いそうになると慌てて視線を落とす。

 その様子に厳格な信者なのだと苦笑する。


 キトラス神聖国はカステロ教を国教とする宗教国だ。

 国民全てがカステロ教の信徒でその教えを護り、それに背く行為は厳しく罰せられる。彼らは道を踏み外すことをなにより嫌う。

 真面目で信仰深く、穏やかなキトラスの国民は隣国との関係はすこぶる良好だ。


「あたしの何代か前のレインが、キトラスで貴人を堕落させたって罪で入国禁止になったんだ。普通なら死刑か終身刑なのに、その貴人が庇ってくれて命が助かったから今あたしがいるんだよ。不思議な縁だね」


 そのせいでなんの罪も無いレインという名字の旅人や商人が巻き添えで入国できないという問題が起こっているらしいがそこは知ったことではない。


 しかも偶々どこかの国のお偉いさんでレインという名前の者がいたらしく、その人ももれなく入国を断られたというから融通が聞かないというか。真面目すぎるのもどうかと思う。


「解る気がする」

「なにが?」

「貴女とても、放っておけない感じする。きっとその人もそこに惹かれた」


 キビルは長くて多い睫毛を動かして瞬きをするとゆっくりと息を吐き出した。彼らが人と目を合わせようとしないのは、視線が合うことで魂が奪われることがあると固く信じているからだ。そして強く見つめるのは相手を誘う意味を持つので、女性は常に視線を下へと向けて暮らしている。


「その人はレインの瞳にやられたのかもね」

「貴女も綺麗な琥珀色してる」


 褒められてセシルは「ありがとう」と返す。髪の色や容姿は比較的遺伝しないのに、この瞳だけは必ず子どもに受け継がれる。

 この目と名前だけがレインであると知らしめる証しでセシルの支え。


「不思議な縁がこれ以上続かないことを願うよ。『邪悪なる者は永遠にカステロの熱により消え失せよ』ってね」

「セシル。貴女のそれキトラスの古語。どこで」

「血と目と名前と共に先祖の情報も受け継がれるっていったら格好いいけど、生き抜くためには必要なんだよ」

「貴女、不思議な人」

「おっと。だめだめ。あんたまで堕落への道に落ちちゃうよ。あたしは邪悪なる者だから魅入られないように気を付けて」


 にこりと微笑んで机から飛び降り、図書塔の出入り口へと向かう。

 そろそろ二限目が終わる時間だ。予想外の人物とのお喋りで時間潰しにはなったが、これ以上お近づきになる必要も資格も無い。


「セシル。貴女も授業受けなくていいの?」


 追いかけて来た言葉に失笑して肩越しに振り返り「あたしはここに学びに来てるわけじゃないから」と手をひらひらと振った。背中に感じる痛いほどの視線は無視して外へと出た途端、冷たい風が乱暴にセシルを打ち据える。


 ちらちらと空から生まれ落ちてくる粉雪の白さ。

 目が眩むような儚さに浸っていたくもあるがそうもいかない。


「ああ。もう。いい加減にしてよ」


 待ち伏せていた少女にセシルは眉間に皺を寄せて頭を振る。

 茶色の短い髪は風に弄られて乱れているのに、前髪から覗くコバルトブルーの瞳は物欲しそうにじっとりとこちらを見つめていた。

 学園指定のローブの上にぐるぐるとマフラーを巻いて一年生の少女はただじっと声をかけてもらえるのを待っている。


「説明したと思うけど、あたしは女だから。それにリディとノアール以外には興味ないし、あんたの気持ちに応えようなんて気紛れは起こさないよ。バーネット」

「いいんです。それでも」


 あの後リディアが不当にバーネットから嫌われたままなのは申し訳なかったので、ちゃんと誤解を解きに行ったのだが、それでもバーネットの気持ちは変わらずこうしてセシルの後をついて回っては一途に待っている。


「それに一年生で授業をさぼるなんて、よくない」


 どうして自分がこんなことをいってやらなければならないのか。

 柄では無いことをさせられるのは酷く苦痛でもある。

 そして調子が乱されるのは気持ちが悪い。


「いつかは諦めます。だから今だけ」

「迷惑なんだけど」

「解ってます。だからせめて力になれるように、私情報を集めてきました」


 一歩近づいてバーネットは四つに折った紙を差し出した。ずっと握りしめていたのか指の形が付き、少し湿って温かい。開くと小さな文字がびっしりと丁寧に書き連ねてある。さっと目を通して「これ」と呟いた。

 そこに書かれているのは今セシルが欲しいと思っていた情報。時間が無いので現地へ行って調べることができないから、ディアモンドで地道に探っていたが、誰もが良く知らないのだと答える。


 本当に知らないのか、知らないふりをしているのか。

 それともうまく隠しているのか。


 圧力がかかっている可能性が非常に高いので、あまり派手に動くと足元をさらわれてしまうから慎重に動かなければならないのに。


「私の友達に父親がコーチャーで貿易会社を運営している子がいるんです。そこから辿って、解る所まで。もう少し探ってみます」


 事も無げにバーネットはいうが、それなりの代償を払ってこれを手に入れたのに違いない。色っぽい右目の黒子に目をやると、少女は俯き「いいんです」と小さな声で応えた。


「そんなこと頼んでないのに」

「私が勝手にしていることなので」


 小刻みに頭を振って出た一歩を下がり、バーネットはこれ以上聞かないで欲しいと意思表示をする。

 深く息を吐くと息が白く大気に滲む。


「ありがとう。バーネット」


 弾かれたように顔を上げて潤んだ目を向ける少女に苦笑し、セシルは大股で近づいた。バーネットの乱れている髪を優しく整え、前髪の上から小さな額に口づける。


「でも。これ以上の協力はいらないよ。あたしにも近づかないで。いいね?」

「でも!」

「だめだよ。あたしみたいな人間に夢中になったら不幸になるんだ。いい勉強したと思ってさっさと諦めて新しい恋でもしなよ」

「簡単に、諦められるなら今こうして追いかけたりしません」

「弱ったなぁ」


 純粋にセシルの役に立とうと動いているバーネットは、自分がどれほど危険な道に足を踏み入れているのか全く解っていない。知っていて立ち回るのと、知らずに行動するのでは結果が違ってくる。

 情報を手に入れて命を落とせばその価値は無意味となるのに。


「あのね。あたしはバーネットが死んでも可哀相にとは思うけど、あんたのために泣いたりなんかしないし、責任も感じやしない。だからね、その行為は無駄だから」

「そんなつもりで私は動いていないので、大丈夫です」


 自信たっぷりで言い放つバーネットに、一体なにを根拠に大丈夫なのだといっているのか問い質したいが、きっと明確な物など無いのに違いない。

 頭が悪いわけでは無いのだろうが、今は冷静な判断などできる状態ではないのだろう。


「一応忠告はしたからね。後は自己責任だ。それからこれ以上情報を持ってきても、あたしはもうご褒美あげないから。期待しないように」

「……はい」


 しおしおと項垂れるバーネットの横を通り抜け、セシルは北校舎へと向かう。冬場の北校舎の寒さは厳しく、まともに授業など聞く気になどならないが、ノアールはいつでもどんな時でも真剣に受けている。


 呆れるくらいに。


「港街コーチャーの貿易商アルガス=セラフィス。それから悲劇のアルベルティーヌ。そしてオルキス=フォルビアか……これはかなり分が悪い」


 二限目が終わり昼食を取ろうと生徒たちが回廊を走ってくる。その流れに逆らうようにして壁側を進んでいたセシルの前方から鋭い視線が注がれた。

 流れに乗りながら器用に人の隙間をぬって傍まで来ると、傷を引き攣らせて「いい加減にしときやがれ」と一言。


「警告?」

「解ってんだろ」


 ライカが探るように睨んでくるが、セシルはへらりと笑って「さあね?」とはぐらかす。


「お前!」

「いったはずだよ。覚悟しといてって」

「……死にたいのか」


 低い声。

 そして刺すような瞳。


「どうかな?でもお姫様だと思ってたら、実は王子様だったとはね」

「──っ!」

「船での続きをするつもり?」


 ここでは人目がありすぎるだろうに、その目に浮かんだ焦りと恐怖がライカを突き動かそうとしている。隠しようのない殺気が押し寄せてきて、セシルの呼吸を苦しくさせた。


 ライカもまた一途なのだ。


「片方だけが秘密を握ってるなんて不公平だと思わない?だからあたしも遠慮なく動く」

「本気か?」


 視線だけで人が殺せるのならきっとセシルは喉を掻っ切られて死んでいただろう。ギリッと奥歯を噛み締める音が聞こえた。


「秘密を探ってるからって敵だとは思わないで欲しいんだけどね」

「知っている者が少ないからこそ秘密としての価値がある。それを暴く奴は問答無用で敵だと見做す」

「本当に誰にも知られたくないのなら、自分の胸の中だけに秘めておかなくちゃ。誰かにいった時点で他の人に漏れると覚悟しないとね。それとも洩れた時点で、洩らした人も聞いた人も殺していく訳?そりゃ大変だ」

「ふざけてんじゃねぇっ」

「ふざけてないって。本気で同情してんだから。ライカに」


 自分の時間などなげうって、ただひたすらにヘレーネを護るために生きているライカはあまりにも健気だ。

 なににも縛られずに自由に生きるレインとしての生き方しか知らないセシルには理解できないし、金を積まれてもそんな人生は送りたくない。


「ほんと物好き」

「黙れ!」

「大丈夫。あたしはヘレーネと交渉するために情報を集めてるだけだから。それを悪用しようなんてこれっぽっちも思ってないよ」

「信じられるか」

「じゃあレインの名に懸けて、悪用はしないと約束する。これならいい?」


 セシルがなにより大切にしている物。

 それを知っているライカは暫し黙して「その言葉、忘れるなよ」と念を押し、また流れに身を乗せて本校舎へと消えて行った。


「ほんと、不器用なんだから」


 生き方も、性格も。

 呆れるくらいに。


 セシルから見てヘレーネに固執するライカの気がしれない。彼は美しさと、過酷な運命しか持っておらず、そこに同情を寄せることはあっても身を挺して護ろうとか、尽くしたいと思わせる魅力が無い。

 ヘレーネに味方することで得られるものがあるからという訳ではなさそうだ。


 ライカは金では動かない。

 それは確かだ。


「情なんだろうけど」


 他者を惹きつけ、かしずかせられるほどの覇気や風格が皆無の者に過剰な期待はできない。血だけで治められるほど容易い物ではないのだから。

 そんな者に入れ揚げて馬鹿を見なければいいけれど。


「それこそ余計なことか」


 自嘲してセシルは北校舎へと入る。生徒たちがいなくなり、シンと冷えた内部にいると心が落ち着いていく。


 いつでも大切なのは冷静な心。


『邪悪なる者は永遠にカステロの熱により消え失せよ』


 光の神の言葉を呟き、セシルは騒音を全て頭の中から弾き出した。

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