魔法学園フリザード4「騙りのレイン」

いちご

第1話 雪解け


 一番冷え込むといわれているこの時期は、あまり雪の積もらないディアモンドにでさえ白い雪片が舞い物悲しく沈鬱に見える。ライカは早朝の静けさを忌々しく思いながら“知識の通り”を足早に上った。


 古書店の角を曲がって職人街の方へと入ると、途端に油や火、鉄の匂いが鼻につく。この辺りは金属を扱う職人街で通称“鋼の里”。ラティリスで採れる良質な鉱石は美しい宝石類だけでなく、鉄や銅も含まれここへと運ばれる。他国からの鋼鉄も職人たちの手で日用品や武器へと姿を変えるのだ。


「腹減った」


 ライカは“大和屋”と掲げられた木の看板を潜って中へと入ると開口一番空腹を訴える。土間と一段上がって板張りの床、そして藍色の暖簾のかかった入り口だけの狭い店内には商品となる物はなにひとつ置かれてはいない。

 長靴を脱ぎ捨てて上がり框を跨ぐと床は悲鳴のような音を立てる。


「フル。飯」


 暖簾を押し上げて廊下を進みながらの要求に応えたのは台所にいた少女の手だった。

 台所は今歩いている一間先にあり、そこにもまた若草色の暖簾がかけられている。その隙間からにょきっと出た手にあるのは不格好な握り飯。

 広げて置いておいた塩漬けされた菜っ葉の上に、どんと飯を乗せて巻きつけ申し訳程度に掌で握った握り飯はごつごつとしていて見た目から旨そうには見えない。


「三角とか、せめて丸とかにできねぇのか」


 もはや疑問というよりも、感嘆する見事さにライカは文句を言いつつ受け取り口へと運ぶ。青菜の塩だけが味付けだが、この際空腹が満たされれば問題はないので食べながら更に奥へと足を向けた。


「ヘレーネさまがまた鍛錬につきあって欲しいと、いらっしゃっています」

「またかよ」

「今はフウハさまがお相手を」


 暖簾越しに語りかける少女の顔をライカは見たことは無い。いつも声と気配、そして手や足の先の身体の一部分だけだが、それだけで十分だった。

 名はフル。年齢は推定十三歳。

 年齢や性別、容姿は仕事さえできれば問題ではない。

 父のフウハならば少女の全てを把握しているだろうが、ライカには必要のない情報だ。


「じゃあ中庭か」


 ぞんざいな足取りで廊下を歩くとギシギシと軋みを上げる。踏んで床が下がっているわけでは無い。わざと音が鳴るように作られているのだ。

 大和屋で扱う武器は特殊な技術を使用しており、それは門外不出。商売敵が目の色を変えて狙っている技術を護るための物でもあり、また鍛錬のための物でもあった。この床を音ひとつ立てずに歩けるようになれば、どんな場所を歩こうとも足音を殺すことができる。

 細心の注意を払って歩くことで得られる情報は金より価値がある、というのが祖父トウマの持論だ。


「つきあう方の身になれってんだ。あの野郎」


 舌打ちをし細い廊下を経て辿り着いた小さな戸を押し開けて外へ出るとそこは池の上で、その中にある飛び石が対岸まで続いている。

 これを初めて見たヘレーネは驚いた後で「おもしろそう」と笑い果敢に床から飛び石へと飛んだが、小さな石に足を乗せることができずに池へと落下した。

 簡単に子どもが飛び移れる幅の飛び石ではないので、それは仕方の無いことだ。石は小さく、石と石の間が離れているのだから。

 ずぶ濡れになったヘレーネを引き上げて母屋へ戻したのはライカだった。そして風呂の用意をして、湯を使っている間に着替えを用意したのも。

 本当に昔から手がかかる友人で、ライカにできることは全て同じようにできなければ自分を許さない強情さがあった。何度もお前には無理だと説明し、諭してもやってみなければ解らないと食ってかかってくる始末。


 結局八歳で初めて会ったあの時からずっと面倒を見る羽目に陥っている。


 可哀相だと思う。

 そして不憫だとも。


 だが不幸ではない。


「しかもひとりでふらふら歩きやがって」


 なんのためにライカがいるのか解っていない。

 友人としての自分を望んでいるのだと知っているが、もうその立場ではいられないのだとヘレーネは受け入れたくなくて拒んでいるのだ。


 ヘレーネ自身が一番よく解っていながら、一番そこから目を反らそうとしている。


 僅かな希望を支えにここまで来たが、そうなって欲しくない状況へと未来が進んでいた。逃れようも無く、拒みようも無く、その時が静々とすぐ傍まで来ているのが解っていてじっとしていられないのだ。

 考えごとをしていようと普通の道を歩いているのと変わらない仕草で池を渡り終え、ライカは霜の降りている芝の上に裸足を乗せる。切るような冷たさも、草の感触も全てがままならない現状に対しての苛立ちとして変換された。


 松の木がまるで襲いかかろうとしているかのようにこちらへ枝を伸ばしているその下を、腰を屈めて進むと中庭の向こうに建っている鍛冶場が見えた。仕事を終え今はじっとその身を休めている。


 松の木に囲まれた中庭の真ん中でヘレーネとフウハが向かい合っていた。

 両手でしっかりと柄を握っているヘレーネに対し、フウハは右手だけで持ち半身で構えている。日頃から鍛えている父の膂力りょりょくは凄まじく、元々備わっている反射神経とこれまで長い時を費やして研ぎ澄まされてきた感覚はヘレーネが闇雲に打ち込んだ所で相手にはならない。

 力の差がありすぎる鍛錬など痛めつけられるだけで、なにが面白いのかと首を傾げるばかりだ。

 確かに素早い剣裁きを浴び続けていれば、いずれはその速さに慣れ攻撃を躱すことは可能だろう。だが躱すだけでは勝つことはできない。命のやり取りの中で相手を倒すか、戦意喪失まで持って行かなければ生き抜くことなどできないのだ。

 ヘレーネに求められるのは倒すことではない。最低限の身を護ることと、そして時間稼ぎができるだけの剣技。

 それだけできればいいのに。振るわれた剣の風圧にすら舞い落ちる雪は微動だにせず、遅れて聞こえる音と打ち据えられたヘレーネが無様に地面へと倒れる姿。


「もう一本、お願いします!」


 落ちた木剣を取り、ヘレーネは芝と泥に塗れた身体を起こして再び構えを取った。美しく儚い見た目で誤解されることが多いが、彼は負けず嫌いで自尊心が高い。


「それぐらいにしとけ。怪我する」

「帰ったか」


 随分前からライカが見ているのを知っている癖に、父は厳格な顔にちらりと笑みを閃かせた。あれだけ足音を立てて廊下を歩いて来たのだから当然だが。


 黒々とした髪は肩までの長さで、仕事中は後ろでひとつに結んでいるが普段は下ろしている。顎の張った顔には髭があり、右の下唇が抉れて欠けているのを隠そうとしているのだろうが逆にそこに視線が行くので効果は無い。上半身裸の背中には右肩から左脇腹目掛けて袈裟懸けに傷痕があるが、これは祖父トウマの修行があまりにも辛くて逃げ出そうとした際に斬られた物で、酒を呑みながら今でも笑い話として語られている。


 なぜ笑えるのかライカには理解不能だ。


 祖父に一度尋ねたことがあるが、辛い修行は嫌だとごねる息子に怪我をすれば、動けるようになるまではそこから回避できるぞという親心でやったと述べた。


 幼い父は修業より遊びたかったのだろうに、怪我していてはそれも叶わず、完治した後の修行は遅れを取り戻すために更に過酷になり、鈍った体は痛めつけられ苦行となるのに。

 その一連の流れを大人になった際に滑稽だと笑えるのだと説明されたが、未だに理解ができないライカはまだまだ子どもだということか。


「どこ行ってたの?」

「侯爵に呼び出された。ほらよ」


 ライカが名をつけずに侯爵と呼ぶ時はフォルビア侯爵のことだ。

 深夜軽やかに弾む歌声のような鳥の鳴き声が部屋に微かに響き急げと急かされた。最近はこうして呼び出されることが頻繁にあり、憂いなく寝転がって眠りを貪った試がない。

 寝ていようが、授業を受けていようが、排泄をしている時だろうがこの鳥が鳴けばライカは全てを放棄して駆けつけなければならない。


 唯一の例外がヘレーネと行動をしていて、ひとりにしては危険だと判断した場合のみ。


「ああ。やっぱり。そろそろかなって思ってた」


 ヘレーネが受け取ったのは、そこに文字が書いてあるとは思えないほどの汚い布。

 魔法道具で書かれた文字は然るべき受け取り手でないと浮き出て来ず、そして読み終われば消えてその痕跡は無くなる。


「今回は孫娘が一緒に行くそうだ」

「リディアが?」

「自分は王都を離れられないからだと」


 毎年この時期にヘレーネは実家がある港街コーチャーへ帰省することになっている。そしてその後フォルビア家の領地であるフォーサイシアを訪ねるのが習わしだ。八歳でコーチャーから出て来てからずっと欠かさず行っていること。


 そして今年もその日がやってきた。

 これが最後になるかもしれない。

 頬の傷に触れた雪が溶けるのを感じながら、ライカは細い息を唇の端から流した。

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