第42章 推測
「と、いうわけなんだよね。だから俺は、“あの子がこの世界の何か”って考えは間違ってると思う。」
「ううむ……」
アパートの部屋は、赤い雨音に包まれていた。
窓の外には空の境界もなく、どこまでが地平かも判別できない。
薄暗い蛍光灯が、二人の影を壁に映し出して揺れている。
タケルの語りは淡々としていた。
しかしその声には、長い年月をかけて削り取られた人間の冷たさがあった。
諦めを通り越して、観察者になってしまった者の声。
シュンは黙って聞いていた。
タケルの話は信じがたくもあり、同時に——疑いようもなかった。
この世界を経験した者にしか語れない真実の重さが、そこにはあった。
「ある程度なら願いが叶う……だが、“向こうの世界に来てほしい”という少女の願いに、一度だけ大きく答えた。
その結果、次々と人が現れ……誰もが悲しみに縛られている。
だが、なぜ彼らが“悲しむ”必要があるのかは、わからない。……そういうことか。」
「そう言うこと。」
タケルは短く答え、壁に背を預けた。
雨音が静かに降り続ける。
——近い。
シュンはそう思った。
タケルの推測は核心を掠めている。
(だが——どこかが違う。)
心の奥で、小さな棘のような疑念がうずく。
少女の存在。
箱の存在。
いや。この世界自体。
そしてこの世界が、誰の記憶を軸に形を保っているのか。
もし、この世界が“誰かの心”を再現しているのだとしたら……
シュンは息を呑んだ。
答えの輪郭がかすかに見えた気がしたが、それを言葉にした瞬間、この世界が崩れてしまう気がして——何も言えなかった。
「でもさ——。ここから……どうする? このままここにいたら……いずれシュンさんも……」
「……ああ。懐古病になって死ぬだろう。」
タケルの声は乾いていた。
まるで、それがとっくに決まった運命であるかのように。
シュンは息を呑む。
その言葉の重さが、部屋の空気をさらに冷たくした。
「……何とか……しなきゃ……だよな?」
自分でも無力な言葉だとわかっていた。
けれど、そう言わなければ心が壊れそうだった。
赤い雨の音が、まるで答えるように窓を叩く。
シュンは腕を組んだまま視線を窓に向け、しばらく黙っていた。
その沈黙が、肯定よりも残酷だった。
——“何とかこの世界で生き延びて、脱出するには、この人の大事なものを、この人は拒否し続けなくてはならない。”
思い出すこと。
想うこと。
愛すること。
それらすべてが、この世界では死に直結する。
生きるとは、忘れ続けること。
その残酷さ、そのつらさは、想像に余る。
シュンが長い沈黙を破って言った。
「——たとえ、この世界がどんな理屈で動いていようとも、
誰かの“想い”を犠牲にして成り立っているのなら、それを壊さなければならない。」
「……っ」
タケルの目に、かすかな光が宿った。
(強い人なんだな……)
比べて——自分はどうだろう。
人より知恵があると驕っていた。
けれど、この世界では何もできず、何も守れず、少女の面倒すら放棄している。
(シュンさんなら……きっとあの子を見捨てなかっただろう。)
タケルはシュンの中に、父としての優しさと、男としての揺るがぬ強さを見た。
この人は、娘を失ってもなお、まだ立っている。
この残酷な世界で、まだ——生きている。
それがすべての答えだった。
(俺は……もう一度、あの子と向き合えるだろうか。)
赤い雨が、絶え間なく降り続いている。
世界のどこまでも濁った赤が満ちる中、
二人の間にだけ、かすかな光のような決意が静かに灯っていた。
シュンが口を開いた。
「もう一度…あの子に会いに行こう」
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