第25章 少女
今なら、はっきりとわかる——。
この空間は、思い出を“武器”にして、人間をここへ縛りつけようとしている。
——甘すぎる毒だ。
懐かしさという名の、麻薬。
受け入れるわけにはいかない。
せめて、この世界の真実を知るまでは。
シュンは拳を握りしめ、胸に手を当てた。
ユイとリナ——確かに“生きていた”彼女たちの記憶を、その鼓動の奥で感じながら。
「……もっと会いたいよ。
でも、この悲しみまで否定したくはないんだ。」
その言葉をこぼした瞬間、赤い世界が一拍、呼吸を止めた気がした。
草原の中、シュンは一人、濡れた地面を踏みしめる。
残っているのは、胸の奥に刻まれた痛みだけ。
だが——その痛みすらも、今は消したくない。
「行こう——」
ぽつりと呟き、草原の奥へと歩き出す。
タケルが言っていた、“少女”がいるという方角へ。
──どれほど走っただろう。
視界の先に、赤い雨が薄れていく領域があった。
そこだけ、まるで“現実”が滲み出しているようだった。
シュンは息を整え、慎重に中へ入った。
壁に手をつきながら、体に付着した赤雨をぬぐい取る。
(そういえば……なぜタケルは、この場所に少女がいると知っていたんだ?)
現実空間は他にもある。
だが、あの男は迷うことなく——この一点を指差した。
(……戻ったら、聞いてみよう)
周囲を見渡す。
ひび割れたコンクリート、錆びた鉄骨、黒く湿ったアスファルト。
ここは……おそらく、高速道路の高架下だ。
静寂。
水滴の音だけが響く。
そのとき——視線の先に、影が見えた。
誰かが、そこに座っている。
シュンは、思わず足を止めた。
赤いワンピースの少女だった。
空と、雨と、記憶の奥にこびりついた“赤”。
そのすべてと、まるで呼応するかのような——赤。
リナと同じくらいの年に見える。
五歳ほどだろうか。
(歳を…とっていない?)
だが、その瞳には年齢を感じさせない“静けさ”があった。
風の止まった湖のような、底の見えない静寂。
少女は、まっすぐこちらを見ていた。
「……あの」
声をかけようとした瞬間、少女が先に口を開いた。
「こ、こんにちは!」
その明るさに、シュンは思わず肩をすくめる。
「……こ、こんにち……は」
響きが奇妙だった。
まるで“言葉の明るさ”と“発している心”が、微妙にずれているように感じる。
その違和感が、背筋を撫でた。
シュンはゆっくりと歩を進める。
「君は——」
少女は立ち上がった。
赤いワンピースが、風もないのにふわりと揺れる。
少女も、たたたっと小さく駆け寄ってくる。
「ここ、さびしいでしょ?」
少女は笑った。
「でも、大丈夫だよ。わたしが、いてあげる」
——その瞬間、胸の奥がざわついた。
笑顔のはずなのに、そこに“温度”がなかった。
どこか、魂の欠けた人形を見ているような感覚。
赤い空。
赤い雨。
赤いワンピース。
そして、目の前の——赤い“何か”。
この世界。
そして彼女は、一体“何”なのか。
シュンは、わずかに息をのんだ。
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