第11話:泣いて、笑って、また明日。
昔から綾音は明るくて、何があっても笑ってる子だと思ってた。
でも、ここ数日、なんか変だ。笑う回数が減ったし、反応も遅い。
理由は聞かなかったけど、無理して“いつもの自分”を演じてるのがわかった。
月曜日の朝。
あたしは早起きして、ついでに彼女の部屋のドアを叩いた。
「綾音! 遅刻するよ!」
自分の支度を終えて廊下に出たら、まだ出てこない。
ドアを開けると、ベッドの上で丸まってた。
「えっ、うそでしょ……?」
いつもなら、あたしの方が待たされるのに。
「ん……」
眉を寄せて寝返りを打つ綾音。
「綾音〜〜!」
あたしはベッドに飛び乗って、肩を揺らした。ようやく薄く目を開ける。
「……なに?」
あ、完全に寝ぼけてる。
「もう出ないと遅れるってば!」
あたしはわざと大げさに焦った声を出した。
「うん……」
ゆっくり起き上がって、ベッドの端に足を下ろす。
「こりゃ、あたしが家政婦しなきゃダメかもね。」
あたしは苦笑しながら彼女のクローゼットを開けた。
「え〜っと、ちょっと露出多めの服は……」
ぶつぶつ言いながら服を探してたら、
「パシッ!」
自分で自分の頬を叩いた。なに考えてんのよ、こんな時に!
結局、彼女のいつもの服をベッドに置いて、
洗面所で顔を洗ってる間にヘアゴムとブラシを探した。
「もうアレンジする時間ないな……簡単に結ぶか。」
口にヘアゴムをくわえて、彼女の後ろに立つ。
寝癖がひどくて、髪が引っかかりそうで怖かったけど、
できるだけ優しく梳かした。
なんとかポニーテールに結んだところで、綾音がぽつり。
「いつもの髪型にしたい。」
「えっ、でも……」
断ろうとしたけど、あの無防備な目で見つめられたら無理。
「あーもう! 今日はあたしがママね!」
歯を食いしばりながら、全力で彼女の“お嬢さまシニヨン”を作り直した。
ちょっと強めに引っ張ったから、体が左右に揺れてたけど、
彼女の顔はずっと穏やかだった。
「できた。じゃ、着替えて。」
「あい。」
……遅い。とにかく遅い。
「あー、ごめんね、一真。」
心の中でそうつぶやいて、
あたしは彼女の服をさっさと脱がせて着替えさせた。
本当、まるで人形を着替えさせてるみたいだった。
なんとか出発できて、どうにか遅刻せずに済んだのは奇跡だった。
ここ数日、綾音はどこか上の空で、
何をしても“彼女らしくない”感じがした。
そして金曜日。
午前の授業が終わって、あたしは紗矢に
「綾音のこと、ちょっと見てて」って頼んでからバイトへ向かおうとしてた。
「今日の休憩、五時から七時に変わったから、来るならその時間ね!」
そう言って教室を出たけど、歩きながら考えてた。
──あ、川人さんに会えるの、あと一日減っちゃう。
そう思った瞬間、あたしは踵を返して教室に戻ってた。
廊下の向こうに綾音と紗矢がゆっくり歩いてくる。隼人は部活へ。
「戻ってきたの?」紗矢が言う。
「今日は急がなくていいの。」
綾音はぼんやりしてる。
「どこ行こうか?」
「綾音の行きたいとこで。」
「うちらも特に決めてないし。」
「じゃあ、新しくできたスイーツの店行かない?」
甘いものならきっと元気出ると思ったのに、
「……いらない。」
うつむいて、小さく首を振る。
嘘だ。あの子がスイーツ断るわけない。
「じゃ、帰ろっか。」
「うん。」
帰り道は十五分のはずなのに、四十分かかった。
「今日、ちょっと遅れる」
店のグループチャットにそう送ると、
「OK」と千紗が返してきた。
──“買い物お願い”って送ってきた店長は無視。
家に着くと、綾音はすぐベッドに座り込んだ。
あたしたちは目で会話した。
“本人が話すまで何もできない”って。
でも、こんな無理してる綾音を、どうしたらいいのか。
「お昼どうする? 出前頼む?」
紗矢がスマホを取り出す。
「あたしも賛成。綾音、何食べたい?」
「……今はいい。お腹すいてない。」
「ダメだこれ。」
あたしは小声で紗矢に言う。
まるで彫刻みたいに動かない綾音。
息してるか確認したくなるほど。
「どうする?」紗矢も小声。
「あたしが行く。」
そして隼人にメッセージを送った。
《電話するけど、喋らないで》
既読がついた瞬間、電話をかける。
「綾音。」あたしは正面に座って彼女の手を取った。
「ど、どうしたの?」
「それはこっちのセリフ。」
紗矢も隣に座る。
「心配してるんだよ、みんな。」
「……」
小さく息を吐いて、唇を噛んだ綾音がようやく口を開こうとした時──
『あ、やば! 家族から電話!』
スピーカーから隼人の声。
「ちょっ……押し間違えた! スピーカーだった!」
「もう……」紗矢が呆れた顔をする。
「あんたも綾音のこと心配してるでしょ。」
開き直って言うあたし。
『もちろん。でも何があったの?』
その瞬間、綾音の声が震えた。
「……一真に、彼女ができたみたい。」
「え?」
画面には、知らない女の子の横顔が映ってた。
気品のある美人。しかもその写真、直接綾音に送られてきたらしい。
「誰か知ってるの?」
「知らない。初めて見る人。」
「本人に聞いた?」
「……」首を振る。
次の瞬間、涙が零れた。
『おい、後で聞かせて。』
隼人の声が聞こえたけど、あたしはすぐ切った。
綾音はずっと一真が好きだった。
だから、そりゃあ泣くよね。
紗矢が肩を抱いて、あたしは手を撫でた。
ただ、それだけ。言葉はいらなかった。
彼女のスマホが床に落ちた。拾い上げると、通知が一件。
──“Ichin 真”から。
英語。英語かよ……。あたし、英語弱いんだってば。
でも送ってきたってことは、今、見てるってこと。
『綾音の友達です。あなたが送った写真のせいで彼女がすごく落ち込んでます。
もし“諦めさせるため”なら、ちょっと酷すぎません?』
あたしはそのまま打って送った。
紗矢が口の形で「何してるの」
あたしは画面を見せる。
「続けて、もっと言ってやれ」って頷いた。
すぐ返事がきた。
『ごめん。』
は? それだけ?
『誤解なんだ。』
……はあ?
『この人、いとこなんだ。』
──いや、言い訳? と思ったけど、
次々と家族写真を送ってきた。
親戚が集まってるやつ、何枚も。
『でも、なんでわざわざ綾音に送ったの?』
『彼女が、親戚見てみたいって言ったから。』
『だから表姐の写真しかなかったんだ。』
……言ってることは筋が通ってる。
でも、綾音の気持ちはどうなるの?
『今、綾音泣いてる。どうすればいい?』
『本当にごめん。スマホ壊れてて、やっと今日直ったんだ。彼女、今大丈夫?』
……なるほど。
『うん、ありがとう。あとで伝える。』
それで終わらせるつもりだったけど、
どうしても納得できなかった。
だから、電話をかけた。
「ハロー?」
「……一つ、聞いてもいい?」
「うん。」
「綾音のこと、本気で恋愛対象として見たこと、ないの?」
少し沈黙があって、彼はゆっくり答えた。
「今は、恋愛するつもりがない。」
「でも、綾音はずっと待ってるよ。」
あたしの声が震える。
「彼女の気持ちはわかってる。
でも、彼女が諦めた方が楽になれるのもわかってるんだ。」
「だから、君が彼女を支えてあげて。
本当にありがとう。」
その声が、あまりにも優しくて、
でも、どこか川人さんに似てた。
切ったあと、心の中で何かが沈んだ。
店に着いたのは、ちょうど休憩時間だった。
千紗は夕飯の仕込みをしてて、凜は冷蔵庫から材料を勝手に出してドリンクを作ってた。
「あたし、来たよ〜」
声がちょっと沈んでるのが自分でもわかった。
「ん〜? なんか元気ないね?」
千紗が卵を割りながらこっちを見た。
凜は慌ててコップを隠したけど、頬がぷくっと膨れてる。
「また盗み飲みでしょ、それ。」
あたしが呆れて言うと、凜はにこっと笑った。
「ちょっといろいろあってね……」
あたしは倉庫に荷物を置いてからカウンターへ戻る。
「おつかれ、店長。」
ゲームに集中してる店長にも声をかけたけど、まったく反応なし。
カウンターに戻って、ふたりにさっきの出来事を全部話した。
綾音のこと、一真のこと、あたしが電話したことまで。
凜は話を聞き終えて、少し黙ったあとで言った。
「うん、それは……手出しできないね。」
「だよね。でもなんか、まだ引っかかるの。」
一真の声が頭から離れなかった。あれは、無理やり言わされた感じがした。
「長く想ってる分だけ、余計に厄介なんだよ。」
千紗がご飯茶碗を並べながら言った。
「それ、ちょっと病気みたいなもんだよ。」
「そうそう。石上三年コースだね。」
あたしがため息混じりに言うと、
「家、建つね。」凜が小さく笑った。
「パシッ!」千紗が手を叩いた。
「はいはい、ナイスボケ。」
「いや、違うの!」凜はあたしに目を向けた。
「言いたいのはわかるでしょ?」
「うーん……木がない場合はどうする?」
「あんたまで!」
自分で言ってて頭抱えた。
「はぁ……」ため息をついてから、真面目に話に戻した。
「綾音が一真を好きになった理由、聞いたことあるんだ。
だからこそ、簡単に諦められるわけないんだよ。」
凜は顎に手を置いて考え込み、千紗も頷いた。
「依存から“好き”に変わるまでの過程って、本当に複雑だから。」
「でもね、あたしは、諦めなくていいと思う。
一真の声、嘘じゃなかった。
……綾音、まだチャンスある気がする。」
そう言うと、千紗がふっと笑って、
「たぶん、もう笑ってると思うよ。」
「え? なんで?」
「だって、外にいるもん。」
凜が窓の外を指さした。
紗矢と綾音が並んで歩いてきて、
笑いながら話してる。さっきまで泣いてたのが嘘みたいに。
ドアを開けて、あたしは声をかけた。
「元気出た?」
「うん! 誤解だったの!」
あの無邪気な笑顔。やっぱり綾音はこうでなくちゃ。
「入って。」
店の中に招き入れると、紗矢が小声で言った。
「もう話したよ。」
「そっか……」
席について、改めて聞く。
「それで、どうするの?」
「諦めない。」
綾音の声は強く、まっすぐだった。
あたしは笑って言った。
「やっぱ、あんたらしいね。」
「でも、次泣いたら許さないからね。」
紗矢が綾音の額を軽くつついた。
「それと、あんたも。」
今度はあたしを指差す。
「泣いたら、同罪。」
「え、ちょっと待って!? 泣いてないし!」
カウンターの向こうから「おー!」って声が上がった。
千紗と凜が同時に反応してる。
「別に、そんなに好きとかじゃ……ないし……!」
慌てて否定したけど、頬が熱い。
──川人さん。
まだ元カノを忘れられないあの人。
綾音の勇気を見て、気づいた。
あたし、たぶんあの子よりもずっと、
踏み出せてない。
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