第9話:優しさと、ほんの少しの恋心。

この夜、なんだか落ち着かなくて、体の中にモヤモヤした違和感がずっと残っていた。

店のみんなと話す時は、いつも通り笑って受け答えできたけど、

心のどこかで「これ、本当にあたしなのかな?」って思ってしまう。

スマホの電源も切ったまま。

メッセージが来るのが怖いけど、何も来ないのはもっと怖い。

人って、ほんと矛盾してるよね。

「今日、店で寝たいの?」

閉店前、千紗にそう聞かれた。

綾音が隣の部屋に住んでるし、正直、今はまだ顔を合わせる勇気がなかった。

「あの……もし、いいなら。」

期待なんてしてなかったけど、千紗はすぐに頷いてくれた。

「いいよ。」

その瞬間、天使に見えた。

「じゃあ、小凜も一緒に寝てく?」

「別にいいよ。帰ってもやることないし。」凜はレジを締めながら答える。

「着替えは取りに帰る?」

「二日間くらい同じ服でいいや。」凜はお金を数えながら言った。

いつもなら茶化して笑う場面だけど、

今日はそんな気分になれなかった。

「じゃあ二人とも、入り口のマットで寝なね。」

千紗が冗談っぽく言って、残ってたドリンクを飲み干した。

でも結局、老闆(店長)が自分の服を、千紗が凜の服を貸してくれることになった。

サイズ的に、そう分けるのがちょうどよかった。

シャワーを終えてリビングに出ると、千紗と凜がソファに寝転がってスマホをいじっていた。

「店長は?」と聞くと、

「倉庫で寝るって。徹夜でゲームするらしいよ。」千紗が顔を上げた。

「へぇ……」

「でもさ、そのワンピ、真尋に似合ってるね!」

見下ろすと、膝丈のシンプルなワンピース。

装飾もなくて地味だけど、どう見てもあたしには似合ってない気がする。

「やめてよ……なんか変な感じ。」

「そんなことないって。ねえ、小凜?」

凜は真剣な顔であたしを見つめて言った。

「うん、似合ってると思う。」

一瞬、顔が熱くなった。

生まれてこのかた、スカートなんてほとんど履いたことがない。

短パンばかりだったから、なんだか落ち着かない。

でも二人の言葉を信じることにした。

「ちょっと店長のとこ行ってくる。」

そう言って階段を降りた。

倉庫の扉をそっと開けると、

「ん?」ゲームの音と一緒に、店長の声が返ってきた。

「店長、部屋で寝ないの?」

「今日は新しいイベントがあるから、朝までやる。」

視線はモニターに釘づけ。

「店長……」

言いたいことが喉でつかえて出てこない。

“ありがとう”って言うだけのことなのに。

店長はため息をついて、コントローラーを置いた。

「真尋、何か言いたいことあるでしょ。」

優しい声でそう言われた瞬間、胸の奥がぎゅっとなった。

「……あたし、どうしても言えなくて。」

俯いたまま、あたしの声は震えていた。

店長は少し間をおいてから、

「昔、あたしも似たようなことがあったんだ。」と話し出した。

「川人、知ってるでしょ。彼も昔、よく一人でいたんだよ。」

「えっ、川人さんが? どうして……?」

「真面目で、眼鏡しか取り柄がなくてさ。

 制服もきっちり着てて、誰とも話さないタイプだった。」

店長は笑いながらも、どこか懐かしそうに言った。

「でも、放っておけなかったから。髪型とか服とか、

 どうしたら印象が良くなるか、あたしが教えたの。」

「どうして店長がそこまで?」

店長は、ほんの少し目を細めて言った。

「学校で持ち物検査があった時、

 あたしの小説を彼が自分のカバンに隠したんだ。

 あれが見つかってたら、退学だった。」

「……それで、恩返ししたかったんですね。」

「それもあるけど、あの子、本当に不器用だったから。

 外見を変えても、中身が変わらなきゃ意味がない。」

「そのあと、クラスでうまくいったんですか?」

「いや、仲良くなったのはあたしの友達くらい。

 結局、人って全員に好かれる必要はないんだよ。」

店長はあたしを指さして、穏やかに言った。

「真尋、今のあんたにも大事な人たちがいるでしょ。」

その言葉が、心の奥まで響いた。

胸が熱くなって、涙が勝手にこぼれた。

「実はね、あんたの友達から連絡があったの。」

店長があたしの頭を撫でながら続けた。

「事情を話して、あたしたちに頼んでくれたんだ。

 “真尋をお願い”って。」

「よかったよ、店に来てくれて。逆方向に行ってたら、探せなかった。」

あたしは小さく頷いた。

「……ありがとう、店長。」

声が震えて、やっと言えた。

「外見なんてどうでもいい。

 あたしたちは真尋の性格が好きなんだよ。」

店長はそう言って、スマホを取り出し、

画面をあたしの膝に置いた。

「真尋ちゃーん!」

「真尋ちゃーん!」

「泣くとブタになるよー!」

画面越しに、千紗と凜の声が響く。

たぶん、事前に打ち合わせしてたんだろう。

でも、それが嬉しくてたまらなかった。

「明日は休みにしな。」店長は笑って言った。

「ここ数日、ずっと頑張ってたでしょ。」

あたしは静かに頷いた。

中学も高校も、あたしは“見た目が地味だから”って思ってばかりだった。

でも本当は、ちゃんと誰かに見てもらえてたんだ。

「……店長、なんであたしが外見気にしてるってわかったの?」

「いつも髪を触ったり、服を直したりしてるでしょ。」

「それ、もうクセになってるんだよ。」

店長はあたしの涙を指で拭って、

「よし、老ぼれはゲームに戻るわ。」と言って笑った。

翌朝、あたしは二人と一緒に開店の準備を手伝ってから、

そのまま自分のアパートへ戻った。

外は朝の光がまぶしくて、少しひんやりした風が心地よかった。

歩きながら、深呼吸を何度もした。

頭の中で何度も「大丈夫」と言い聞かせながら、

スマホの電源を入れる。

すぐに通知が鳴り続けた。

メッセージ、未読、電話の履歴……でも、どれも見なかった。

“会って話した方が、ちゃんと伝わる気がする”――そう思ったから。

アパートの前に着いて、

玄関の前でしばらく立ち止まった。

ドアノブに手をかけながら、何度も深呼吸する。

「……よし。」

ゆっくりとドアを開けると、中は静かだった。

靴箱の下を見る。

「綾音の靴がない……?」

今日は外出中みたい。

少し安心したような、でも拍子抜けしたような気分だった。

自分の部屋の前まで行って、ドアの下に何かが挟まっているのに気づいた。

しゃがんで拾い上げると――

「……写真?」

何枚も。全部、あたしだった。

仕事中、笑ってるところ、気づかないうちに撮られた横顔まで。

「なにこれ……いつの……?」

その時、隣の部屋から「カチャッ」とドアの音がした。

反射的に顔を上げると、

綾音と紗矢が立っていた。

「ばれた!」

綾音が小声で叫び、紗矢が肩を叩く。

「いや、あたし、力加減したつもりなんだけど。」

「……ちょっと。なにしてるの?」

あたしは手に持った写真を見せた。

「これ、あんたたちが撮ったの?」

紗矢がこくんと頷く。

「驚かせようと思って。」

「他の人のも撮ったけど、真尋のだけ印刷した。」綾音が続けた。

「……だから、こんなに下手なのね。」

思わずそう言うと、二人は同時に吹き出した。

「それ、被写体の問題じゃない?」紗矢が返す。

「ふんっ。」

気づけば、あたしたちは笑い合っていた。

「イケメンだと、断る力もなくなるんだよね。」

「ハエがたかるう○ちってやつ。」

「誰がう○ちよ!」

言い合いながら、

あたしはドアを開けて二人を中に招いた。

ベッドに腰を下ろした瞬間、ふと考える。

“友情って、不思議だな。”

高校の頃、女子同士のギスギスした関係ばかり見てきて、

「親友なんて信じられない」って思ってたのに。

この二人に出会って、

「信じてみてもいいかも」って初めて思えた。

言葉にしなくても伝わる感じ――あたしは、それがすごく好きだ。

「……ありがとね。」

小さな声でそう呟いて、顔を毛布に埋めた。

その後、みんなでいろんな場所に出かけた。

買い物したり、映画を見たり、ごはんを食べたり。

ときにはお弁当を持って、学校の体育館にいる隼人を見に行ったりもした。

周りの男子たちが、明らかにうらやましそうな顔をしてたのを今でも覚えてる。

数日後、川人さんが店に来て、写真の撮影をしてくれることになった。

そのことを紗矢たちに話したら、当然のように「行く!」と言って、

“邪悪三人組”が店に集合した。

「はい、手を見て。」

川人さんが左手を前に出す。

あたしは言われたとおり、じっと彼の手を見た。

「首の角度はこっち。目線は下げすぎないで。」

たぶん、すごく真剣な顔をしてたと思う。

撮影が終わっても、川人さんの表情は少し難しそうだった。

「疲れた?」と彼が聞く。

「うん、ちょっと……。」

最初からずっと、ドリンクを作るフリとか、レジの動作とか。

ポーズを変えちゃダメって言われて、体が固まっちゃってた。

それに、笑うタイミングとか表情とか、ぜんぜんうまくできなくて。

「どう? 写真、うまく撮れた?」

店長が後ろから覗きこむ。

「うーん、悪くはないけど……なんか違う気がする。」

「モデルの問題じゃない?」紗矢が口をはさむ。

「今すぐ黙れ。」

あたしは低い声で警告した。

川人さんは小さく笑って、

「じゃあ、少し休もう。休憩のあとにもう一度撮ろう。」と言った。

その間に、みんなで集合写真を撮ることになった。

でも、まともな一枚もなかった。

誰かが変顔したり、ピースを顔に突っ込んだり、

カメラを持つ川人さんは、終始苦笑いだった。

それでも、彼は嫌な顔ひとつせずに、

「じゃあ次、四人の写真も撮ってあげるよ。」と言ってくれた。

周りから見たら、きっと隼人が“後宮の王”に見えたと思う。

営業が始まってからも、川人さんは隅の席でカメラをいじっていた。

こっそり店長のゲーム姿を撮ってるのまで見えて、

思わず「盗撮スキル高いな……」って思った。

「川人さんって、どんな写真撮ってる人なの?」と凜に小声で聞くと、

「なんでも撮るって聞いたけど?」と彼女が首を傾げた。

「でも、あの隠し撮りの上手さはプロレベルだよね。」

「うちの姉が言ってたけど、昔、探偵事務所の撮影手伝ってたらしいよ。」

千紗がケーキを並べながら言った。

「なるほどね……」

「やっぱり!」

あたしたちは顔を見合わせて笑った。

撮影が終わって、川人さんが帰るときに言った。

「写真ができたら、データ送るね。」

その言葉で、ついにあたしも彼と連絡先を交換することになった。

……ただ、その瞬間。

凜と千紗が、妙に意味深な目であたしを見てきた。

心の中で、あたしは全力で二人の目を突き刺した。

「真尋ちゃーん、覚えてる? 年越しの時の“あの事件”。」

千紗がニヤニヤしながら近づいてきた。

「あー……たしか、みんな泥酔してた日ね。

 でも、一番ひどかったのは千紗でしょ?

 『集合写真無料です!』って叫びながら通行人ナンパしてたじゃん。」

「違う違う、真尋の話!」

「えっ、あたし?」

「忘れた? “鼻こすりゲーム”のこと!」

凜が目を細める。

「……そんなのあったっけ。」

たしか、酒瓶を回して、当たった人が“真実か挑戦”をやるやつだった。

そのとき、あたしは真実を選んで――

店長が出したお題は、「もし結婚するなら、この中の誰?」

テーブルに数枚の写真が並んでて、

あたしは深く考えずに、なんとなく目に入った一枚を選んだ。

「その写真、川人さんの高校時代のやつだよ。」

凜が言った瞬間、あたしは固まった。

「えっ!? 全然違うじゃん! 詐欺じゃん!」

「だから言ったじゃん、若い頃はメガネ男子だったって。」

「しかも、そのあともう一回瓶回したでしょ?

 止まったの、真尋の前だったよね?」千紗がニヤニヤ。

「……うん、なんか嫌な予感してきた。」

「その時の挑戦が、“全員と鼻をこすり合わせる”だったの!」

「はぁ!?」

あたしは頭を抱えた。

「ちょ、ちょっと待って、それ証拠あんの!?」

「あるよ。」店長がスマホを構える。

「なんで撮ってんの!?!」

動画の中で、みんなが大騒ぎしていた。

「ちゃんと当たったー!」「次真尋の番ー!」

画面のあたしは、すでに顔が真っ赤だった。

順番にみんなの鼻に自分の鼻を当てていく。

ラストは川人さん。

「含まれますか?」彼が笑いながら聞く。

「もちろん。」店長が即答。

あたしは、なぜかその時だけ強気に言った。

「怖くないよ、ほら!」

そして彼の方へ顔を寄せ――

「ちょ、近い、近いっ!」

「触れた!」「あー!!」

ドン、と音がして、画面の中のあたしが彼に倒れ込んだ。

動画が止まる。

店長はニヤリと笑い、スマホをあたしの目の前に突き出した。

「はい、説明して?」

「手、滑ったんだってば!」

「ふーん?」

「ほんとだって!」

「で、なんで顔そらしたの?」

「……それは……!」

頬が一気に熱くなる。

「……当たったの?」

「ちょっと! やめて!」

「……キスしたんだね。」

「もうやめてぇぇぇ!!!」

店の中が爆笑に包まれた。

「ねえ、真尋。正直に言って。」

店長がスマホを置いて、真顔になる。

「川人のこと、気になってるでしょ?」

「……わかんない。」

あたしは顔を覆って、小さく声を漏らした。

「でも、考えちゃうんだよね?」

「……うん。」

「見かけると、ちょっと嬉しい?」

「……うん。」

「それ、恋だよ。」千紗が笑う。

「恋愛相談室、開講〜。」凜が手を叩いた。

「なにそのノリ!」

あたしは顔を真っ赤にして叫んだ。

「でも、かわいいよ、真尋。」

店長はスマホの画面を見せた。

そこには、紗矢と綾音が映っていた。

「真尋、がんばれー!」

「初恋、応援してるよ!」

あたしは頭を抱えて、思わず笑ってしまった。

「……ほんと、みんな最低。」

それでも――心の奥があったかくなった。

笑いながら泣けてくるような、そんな夜だった。

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