第8話:泣いてもいい場所。

「さむっ……」

半分眠りながら、あたしは布団を探していた。体が重くて、頭もぼんやりしてる。どうやって寝たのかも思い出せない。

とにかく、布団はすぐ近くにあるはず。そう思って目を閉じ、もう一度眠ろうとした。けど、手に触れたのは、なんか柔らかくて、あたたかいもの。

……ん? なんか変。触れば触るほど「脚?」っぽい。

ちょっとつねってみた。「脚だよね?」

「なにしてんのよ!」

布団の中から紗矢が飛び起きて、あたしも一気に目が覚めた。

「ちょっ……え? ここどこ!?」

慌てて周りを見渡す。暗くてよく見えないけど、どう見てもあたしの部屋じゃない。

「お店だよ、うちの。」

紗矢は、あたしがつねったところをさすりながら言った。「忘れたの?」

「はあ……? なんで……ん?」

そのとき、あたしの反対側にも誰かいるのに気づいた。紗矢が指差す先には――綾音。

「それ、豚ちゃん。」

寝ぼけ声の紗矢がぼそっと言う。声がかすれてて、まだ眠そう。

「あとで話そう……眠い……」

そう言ってまた布団にもぐり込んだ。

あたしは床をさわって、誰かがちゃんとマット敷いてくれたことにようやく気づく。

「さむい……」

布団を引っぱる。まるで母親の服のすそをつかむ子どもみたいに。

紗矢が少し体を動かして、あたしに布団の半分を分けてくれた。

その背中を見つめながら、あたしはちょっと考えて――抱きついた。

「なにしてんのよ!」

案の定、びっくりされた。

「ねるの。」

かわいく言ってみたけど、腕は離さない。

「チッ……今日だけだからね!」

そう言って静かになった。

「……あたしも。」

背中から眠そうな声。すぐに、あたしの背中にもあたたかい腕が回された。

「ねえねえ、豚ちゃんの方が……おっきい。」

目を閉じたまま小声でつぶやく。あたたかくて、気持ちいい。

「うるさい。次しゃべったら蹴る。」

紗矢の冷たい声。

「……はい。」

言いかけた「負けてるよ!」は、なんとか飲み込んだ。

あたたかさに包まれて、すぐにまた眠りに落ちた。

どのくらい時間がたったのか分からないけど、三人同時に目を覚ました。

誰かが大きく動いたせいで、まるで自分が一人で寝てるみたいな勢いだった。

「――あっ! そうだ、あんたたちここで寝てたんだ!」

その声は、店長。

三人ともぼんやりした顔で店長を見たけど、誰もしゃべらなかった。

あたしは寝起きは平気だけど、他の二人は……たぶんダメ。

「店長……なんであたしたち、ここで寝てるの?」

さすがに気になって、あたしは寝てたスペースを片づけながら聞いた。

「豚ちゃん、起きてー。」

綾音の肩を軽く押すけど、彼女はそのままごろりと寝返りを打った。

「んー……」

抱きしめた枕を手放さないまま、また寝た。

紗矢の方を向くと、座ってるけど目は閉じてる。

寝てるのか起きてるのか、分からない。

「起きてるの、あんただけね。」

店長はコップの水を飲みながら言った。

「昨日の三時すぎにはもうお客さんいなかったの。で、あんたたち、残ったドリンクで遊び始めてね。」

「え……じゃあ、あたしお酒飲んでないよね?」

二日酔いの話は聞いたことあるけど、頭痛とか吐き気はない。ただ眠いだけ。

「もともと川人があんたたちを送る予定だったのよ。でも――」

店長が指さす。「その子がね、まだ遊び足りなかったみたい。」

紗矢……やっぱりお前か。

あたしは昨夜のことを必死に思い出した。

ちゃんと覚えてる部分もある。

千紗が「もうお客さんいないから」って言って、自分たちのパーティーを始めた。紗矢も綾音も一緒だった。

綾音が「ノンアルコールカクテルの味が気になる」って言い出して、三人で飲んだ。

凜が作ったドリンクは、びっくりするくらいおいしかった。

それから……どうなったっけ? 思い出そうとした瞬間、食器のことが頭に浮かぶ。

「食器……洗ってないよね。」

思わずつぶやいた。寝たふりでもしようかと一瞬思う。

千紗が「明日、起きてから片づけよう」って言ってた気がする。

「千紗はもう起きてるわよ。昨日いちばんはしゃいでたからね。」

店長はそう言って階段を降りながら、「店、ちゃんと片づけといてね!」と声をかけた。

「絶対、机から引きずり出すからねー!」

あたしは思わず叫ぶ。

ちょうどそのタイミングで、千紗が部屋から出てきた。

「起きたの?」

「もう少し寝てもいい?」

笑いながら言う。

「いいけど、その代わり、起きたら片づけだからね。」

千紗はそう言って部屋を出る。

「……了解。」

あたしは答えながら、紗矢の肩に布団をかけ直した。

スイッチを押されたみたいに、彼女はそのまま横になって寝た。思わず笑ってしまう。

「歯ブラシとかある?」

顔を少し整えながら聞く。

「凜があとで買ってくるよ。」

千紗は階段を下りながら言った。

「今日は残業扱いにしとく。ちょっとは気分マシになった?」

「まあ……ちょっとね!」

そう答えて一緒に階段を降りる。

「うわぁ……昨夜の跡、すご。」

店の中を見た瞬間、あたしは頭が痛くなった。

ほんとに、なにしたのあたしたち……。

「少なくとも、食器は割れてない。」

千紗はため息まじりに言う。

でも、その顔は完全にあきれ顔だった。

店の中は、まるで泥棒が荒らしたみたい。

床にはいろんなものが散らばってて、テーブルの上もごちゃごちゃ。

逆に、客席の方がきれいに見えるくらいだった。

「……もう少しで昨夜の記憶、全部戻りそう。」

床に落ちた大きな人形の飾りを拾いながらつぶやく。

「これ、まさか投げたとかじゃないよね?」

「昨日、誰かが投げてた気がする。」

千紗は苦笑しながら言う。

「泥棒よりひどかったよ。」

「……小盗じゃなくて、あたしたちか。」

あたしは額を押さえる。

「ほんとに盗まれたとかじゃない?」

「残念ながら、犯人はあんたたちよ。」

千紗はあたしを見ながら言った。

「昨日、遊びすぎて、うちの姉まで混ざったの。」

「……は?」

あたしは絶句した。

「店長まで?」

「そう。あたしも最初は止めたけどね、結局“真実か挑戦か”始めたの、あの人だから。」

「……なんか思い出してきた。」

床の飾りを拾いながら、あたしはため息をついた。

「でも、楽しかったよ。」

千紗は笑ってモップを持つ。

「ただ、今は掃除がめんどくさいだけ。」

「誰が一番はしゃいでた?」

気になって聞いてみた。

「凜。」

千紗は少し考えてから答えた。

「あと……あんたたちが“豚ちゃん”って呼んでる子。」

「ははっ、やっぱり!」

思わず笑ってしまう。

なんだかんだで、あの夜が少し懐かしい気がした。

五分くらい経ったころ、裏口のドアが開いた。

「おはよー!」

入ってきたのは凜だった。

「あ、噂をすれば。」

あたしは顔を上げる。

「どうしたの?」

凜は袋をカウンターに置きながら言う。

「さっきまでパーティーの話してたの。」

千紗が口をすすぎながら答える。

「そりゃしょうがないでしょ、始めたの店長だし!」

凜が笑う。

「ねえ、昨日あんた何したか覚えてる?」

わくわくした顔であたしを見つめる。

「ちょっと待って。」

千紗が割って入る。

「先に店片づけてから話そ。」

「たしかに。」

凜がうなずく。

「あたしも賛成。」

あたしも言う。

「じゃあまず、うちの姉引っ張り出そ。」

千紗が先に立って、三人でストックルームへ向かった。

店長はパソコンの画面をじっと見つめたまま、まったく気づいていない。

千紗が真ん中、あたしが右、凜が左。三人で目を合わせて、ゆっくり近づく。

「あたし、右腕いくね。」

そう言って手を伸ばした瞬間――

「えっ!?」

店長がびくっと体を動かした。

「真尋、右脚!」

凜が叫ぶ。

あたしは慌てて右腕から右脚へ。

「腕はあたしの!」

千紗の声。

もう逃げられない。

「せーのっ!」

千紗の掛け声で、三人同時に店長を持ち上げた。

無理やりなのに、店長がちょっとかっこよく見えた。

……まあ、本人は必死に抵抗してたけど。

「まだ終わってないってば……」

店長が言いかけたところで、あたしたちは彼女をカウンターの上まで運んだ。

「片づけ終わったら遊んでいいから!」

千紗は手を離さない。あたしと凜もつられてそのまま。

店長はあきらめたようにため息をつき、こくりとうなずいた。

飲みすぎてたのか、意外と軽く感じた。

四人で掃除を始めると、意外なほどスムーズだった。

店長はどこに何があったか完璧に覚えていて、十分も経たずに元通り。

「もう二度と泊めないからね。」

店長が壁を見上げる。

その視線の先には、いくつもの写真。

「あれ、どうかしたの?」

あたしも同じ方向を見たけど、特に汚れてるわけでも壊れてるわけでもない。

「ここよ!」

店長が声を張る。

指差したのは、自分のソロ写真。

「……あー。」

凜が小さく声を漏らした。

そうだ、昨日の“真実か挑戦か”で、凜が写真を選んで――落書きしたやつ。

「似合ってると思わない?」

凜がすれ違いざまに笑う。

店長の写真には、カメの甲羅といくつかの傷跡、そして横に「なまけ者」の文字。

「給料から引くわよ!」

店長が凜を睨む。

「じゃ、模型の話もナシね?」

凜がにやっと笑って返す。

「模型?」

あたしは思わず聞いた。

後ろで掃除を続けてる千紗をちらっと見る。

「店長がずっと欲しがってたやつ。あたしの友達が手に入れられるの。」

凜が得意げに言う。どう見ても勝負あり。

「川人に写真データまた送ってもらうわ。」

店長の声が少し明るくなって、急にあたしを見た。

「そうだ!」

「え?」

あたしは身構える。この顔、絶対なんかある。

「前に言ってた補償の件、あれ“写真撮影”だから。」

店長が壁の空いたスペースを指した。

「新人が入るたびに、その子の“日常写真”を飾るんだよ。」

千紗がバーを拭きながら言う。

そう言われて初めて気づいた。

壁の写真、ちゃんと個人とグループに分かれてる。

今までただの飾りだと思ってた。

「でも、三人のしかないじゃん?」

店の中を見渡すと、少し下の方に他のスタッフの集合写真も見えた。

「辞めた人のは、持って帰ってもらったの。」

凜の目が一瞬だけ遠くを見た。

「ってことは、開店当初からいるの凜だけ?」

映画で覚えた“ちょっと寂しそうな目”に見えて、つい口に出した。

「そう。」

代わりに店長が答える。

「今も残ってるのは、この子だけ。」

「腐れ縁ってやつよ。」

凜は店長の手を軽く外して、千紗のところへ行く。

「じゃ、川人さんに撮影の予定合わせとこ。」

千紗が言う。

「了解。あたしはゲーム。」

店長が手を振って部屋を出ていった。

「ちょ、ほんとに撮るの!?」

あたしは目を見開いた。冗談じゃなかったのか。

「なに?」

千紗が首をかしげる。

「さっきはそんな反応じゃなかったじゃん。」

「だって……あたし、写真うつり悪いし……。」

凜と千紗が顔を見合わせて、同時に言った。

「その方がいいんだって。」

「……絶対、撮影のときいじられるやつじゃん。」

あたしは肩を落とした。

そのあと、川人さんがここ二週間くらい忙しくて来られないって聞いて、

あたしはあんまり気にしないようにした。

……というか、考えないようにした。

数日後、学校で紗矢たち三人にその話をしたら、

思った以上に食いつかれた。

授業中も休み時間も、ずーっとその話。

もう完全にあたしの反応を面白がってる。

「えー、でもさ、写真とか好きじゃなかった?」

最初に言ったのは隼人。

「何回か一緒に出かけたけど、あたしが写真撮ってるとこ見た?」

なぜか声が少し大きくなっていた。

「うーん……でも、撮られるのは好きかと思ってた。」

綾音が首をかしげる。

彼女は前に、「店の壁の写真がいちばん好き」って言ってた。

“生活感があって、あたたかいから”って。

……だから、余計に刺さった。

「ちがうの、あれ冗談かと思ってたの!」

もう一度言い訳する。

「スマホ貸して。」

急に紗矢が言った。

「は? なんで?」

警戒して手を離さない。こんなときの紗矢は信用ならない。

「中の写真、ちょっと見たいだけ。」

悪びれもなく、正直に言う。

「べつに、見られて困るものないし……」

仕方なくロックを外して渡した。

三人が一緒に画面を覗き込む。

「男が女のスマホ見るって、ちょっと変じゃない?」

隼人に言う。

「いや、ダメって言われてないし。」

あっけらかんとした顔で、また画面に目を戻す。

中には特別な写真なんて一枚もない。

ほとんどが風景。あとは昔撮った空とか。

「ねえ、高校のとき……いじめられてた?」

紗矢がスマホを返しながら言った。

その表情は、ただの事実確認みたいに淡々としていた。

一瞬、呼吸が止まった。

紗矢がストレートに言うのはいつものことだけど、

今回は心の奥をそのまま突かれた感じ。

「え? なんでそう思うの?」

隼人が聞く。

「教室とか友達の写真はあるけど、本人のが一枚もない。」

紗矢の声は真剣だった。

まるで、あたしの心を見透かしてるみたいで。

あたしは何も言えず、目をそらした。

「でも、なんでそれで分かるの?」

綾音がスマホを開いて、自分のアルバムを見ながら言う。

「自分の写真がない人って、自分を一番にしてない人が多い。」

紗矢は静かに言った。

「簡単に言うとね、誰かに合わせすぎてたってこと。」

「……どういう意味?」

あたしの頭は真っ白だった。

聞きたい気持ちと、聞きたくない気持ちが同時に渦巻く。

「つまりさ、他人との写真はあるけど、そこに“自分”がいない。」

紗矢がまっすぐにあたしを見る。

「無理して、みんなに合わせてたんでしょ。」

「あたし……」

言葉が出なかった。

理由なんてどうでもいい。ただ、当たってる。

隼人と綾音が心配そうに見てくる。

顔が熱くなって、恥ずかしくて、

胸の奥がキュッと痛くなった。

ごまかすこともできた。

笑って受け流すこともできた。

でも、どれもできなかった。

「あ、今日バイト早いんだ。先行くね。」

気づいたら、そう言ってた。

頭が真っ白で、逃げるしかなかった。

席を立って、走り出した。

止まらない。

止まったら、なにかが壊れそうだった。

教室を出て、階段を駆け降り、

外に出た瞬間、冷たい風が頬を刺した。

走って、走って、息が苦しくなるまで走って、

ようやく足を止めたとき、

心臓の鼓動だけが耳の奥で響いてた。

「……なんで、泣きそうなんだろ。」

涙が勝手にあふれてくる。

どうして止まらないのか、自分でも分からない。

「止まらない……」

人のいない道の端で、

袖で目をこすっても、涙は止まらなかった。

そのとき――

「どうしたの?」

聞き慣れた声。

振り向かなくても分かった。店長だ。

慌てて鼻をすすって、目元を拭く。

「え?」

声が裏返った。今、まともに話せる気がしない。

店長は何も言わない。

あたしも顔を上げられない。

こんな顔、見られたくない。

突然、視界が暗くなった。

頭の上から、なにかが覆いかぶさる。

「泣き終わったら、連れて帰る。」

店長の声がすぐそばで聞こえた。

その言葉を聞いた瞬間、

堰を切ったように涙があふれた。

こらえてた感情が全部、あふれていく。

どれくらい泣いたか分からない。

気づいたら、地面に座ってた。

呼吸が落ち着いて、ようやくまわりが見えたころ――

かすかにタバコの匂いがした。

「くさ……」

思わず小さく言う。

「さっき吸い終わったとこ。」

店長の声は、いつもよりずっとやさしかった。

泣き止んでから、あたしは立ち上がった。

迷惑かけた気がして、急いで上着を返そうとしたけど――

「顔、見ちゃうよ?」

店長が、あたしの手を軽く押さえた。

その手の力は強くない。

でも、不思議なくらいあたたかくて、安心した。

少ししてから、彼女は手を離した。

あたしは無言で上着を返す。

「帰る?」

店長が上着を着ながら聞く。

「あ……帰る。寒いし。」

返事をする前に、手をつかまれた。

そしてそのまま、店の方へ歩き出す。

店長の手は、あたたかかった。

あたしは何も言わずに、ただその手を見つめた。

――ずっと昔、こんなふうに誰かに引かれたかったのかもしれない。

店の前まで来たところで、足を止める。

「ちょっと、化粧直していい?」

そう言うと、店長が小さく笑った。

「店でやりな。ほら、マスク。」

ポケットからマスクを出して渡してくれる。

……本当に、この人があの店長?

いつもと違う。

でも、なんか、あたたかい。

「よ、ハロー。」

店に入ると、凜が手を振った。

「今夜、暇ならバイト休んでいいよ。」

千紗が大きなボウルを抱えながら言う。

泡立て器でメレンゲを作ってるみたいだった。

あたしは軽くうなずく。

けど、店長に手を引かれて、また階段を上がる。

「うちの部屋でいいよ。今は休憩時間だし、ゆっくりしな。」

店長が自分の部屋のドアを指した。

少し迷って、うなずく。

そして、店長は下へ降りていった。

「ごめん……」

声をかけようとした瞬間、

彼女は手を軽く上げた。

まるで、あたしが何を言うか分かってたみたいに。

部屋に入ると、柔らかい香水の匂いがした。

落ち着く香り。

ポケットからスマホを取り出して、メッセージを確認する。

……通知は、ひとつもなかった。

「そうか……」

みんな、何も送ってこない。

少しだけ期待してた自分が、ばかみたい。

でも――よかった。

誰も、気づかなくて。

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