第14話 Gioco 裁判は踊る
ATとPontiが重要かつ繊細なミッションに臨んでいる間、私MotifとObbliもまた、プロジェクトの重大な局面の一つを迎えていた。
230 : Motif 7PM, 2020/07/21
「90万人?それはまた随分と集まりましたね。」
2020年7月21日、夕刻。私は東京・銀座にあるクロガネ音楽振興財団の理事長室にいた。一般に最上階とされているのは音楽ホールだが、そのさらに上の階に、地下駐車場からの直通エレベーターでしかアクセスできないこの部屋がある。
私、山崎奏太(やまざき そうた)は、39歳になる。世界シェア一位の楽器メーカーを主軸とする音楽事業体であるクロガネ財団のトップとして、モニター越しに文化庁の長官配下の知財セクションメンバーと対話していた。
ダブルのスーツの袖を軽く整え、紅茶のカップを手に持つ。窓の外では、夕陽が都市を鈍く染めていた。
ウェブ会議の向こうで、同年代の女性特別補佐官が大袈裟に驚いたふりをする。無論、彼女は事前にその数字を知っている。音楽教室からの著作権料徴収に反対する署名が、計算通りの勢いで伸びていると。
「これが民意、という認識です。2017年に我々が著作権料支払い義務の不存在確認を求めてJOCREを提訴した裁判をきっかけに、国民の多くが音楽教室を単なる営利産業ではなく、社会教育として生活に根ざしていると実感したのです。」
苦笑を噛み殺しながら、私の口から言葉はよどみなく出てくる。
--Obbli、大丈夫だよ。これだけの数があれば、君がそちらで不自然な誘導をしなくても、事態は計画通り進むだろう。
モニターの向こうで、ナンバーズの仲間であり、今は文化庁の特別補佐官を務める彼女、藤原美琴(ふじわら みこと)が、気づかれぬよう微かに頷くのが見えた。他の担当者たちが反響の大きさをどう受け止めれば良いのかと、視線をさまよわせているのが、少し気の毒だった。
ここまでは計画通りだ。
十分に国民の関心を惹きつけ、法理でも社会通念でもなく感情に火をつけた上で訴訟を起こし、国民に訴訟の進行を仔細に伝える。
表向きは「音楽教育を守る」を旗印とした著作権料支払い回避のための戦いだが、その裏にはもっと大きな目的がある。
「人が音楽を作ること、学ぶこと、奏でること」
その本質的な意味や価値を日本の国民は、今まさにこのタイミングではっきりと自覚しなくてはならない。
その中で、決して避けて通ることのできない難関の一つとして、まずは、知財とは何かを一人一人に考えさせ、その人なりの答えを見出させる必要がある。
我々に残された時間は、長くて、あと5年。
1996年のあの奇妙な音楽合宿でMaestroと名乗る男から示され、徹底的に刷り込まれた未来予測は、これまでのところ不気味なほど狂いなく現実のものとなっている。
2010年前後、コンピュータの深層学習速度が人間の学習効果を上回った。人的コストの高いアナログ手法は、はさまざまな領域でほとんど例外なくデジタルへの置き換えが進んでいる。音楽とて例外ではない。
楽曲創作の工程の大半は、すでに1990年代にはデジタル化が完了していただけに、AI導入のハードルはほとんどなかった。人の声のデジタルサンプリングとAIシミュレーションにより自在に歌を歌わせる技術も、クロガネが後押しする形で商品化して市販に成功。プロアマ問わず、すでに音楽表現の新しい形ではなく、有力な一般的な手法の一つの地位を固めている。
並行してアコースティック楽器類や音響物理のデジタルモデリングの分野でも、我がクロガネは世界トップを直走っている。
アナログ、デジタル、そしてバーチャル。
これまでのところ、しかるべく時代を予見して隙間なくカバーできている。最悪の未来予想図の一つである、人がアコースティック楽器を作らず、自ら音を奏でなくなる世界が訪れていたとしても、地上に流れる楽音は引き続きクロガネのロゴマーク入りになるだろう。
だが、我々の予測では、この状況はAI時代の到来までの一時的な平和に過ぎない。
Maestroが予見した2025年の世界では、AIが、音楽の質・量・幅の全てにおいて、人間の創造性を凌駕する可能性が示されていた。
その時までに人は、人が音楽を作ること、学ぶこと、奏でることの意味を揺るぎなく内面化しなくてはならない。
その備えができる前にAIが人を追い抜いてしまうと、人の創作文化は壊滅的な打撃を受け、多くの者が創作・演奏・鑑賞のサイクルから離れ、音楽は工業的な消費物としての位置付けに変わってしまうだろう。
その未来を避ける、あるいは、人々が対応できるように十分な時間稼ぎをするために、我々ナンバーズは動いてきた。
2014年にMaestroの遺言を受け取ってから、俺はクロガネの、PizzはJOCREの、Obbliは文化庁の、Accelは知財司法の、ATは医療科学の、それぞれの領域の中枢へと進んだ。
そして仕掛けたのが、この「音楽教室裁判」だ。
2015年までこの問題が動かなかったのには、明確な理由がある。
私はウェブ会議の相手には見えないサブスクリーンにAI秘書Pontiを呼び出し、暗号解除済みのMaestroのメモを表示させた。
---
260 : Maestro 2005/05/18 暗号化PDA内の個人メモ(2014年以降にナンバーズが解析)
『5人の子供たちは皆、想定通りの進路を選択した。いみじくも、6人目もまた然るべき進路を選択した。我々Patronが干渉するまでもなく、何が正しく何が必要なのか、自分で判断した結果だ。
だが引き続き、我々にできる露払いは万全にこなしておく。
2007年を目指していた音楽教室の著作権料裁判は、公訴時効に関する法律の変更を受け、2017年以降のタイムラインに変更する。それまでは様々な障壁や難題が次々と持ち上がり、遅延・停滞することになるだろう。
一方、2025年の自律生成型AIの台頭の予想に向け、著作権法改正(AIの機械学習のための著作物利用の推進とその制限)は前倒しで進めさせる。
Cadenzaの動きは不確定要素のノイズだが、うまく増幅してProject Auftaktの目的に利するように調整可能』
---
Project Auftakt の狙いが何なのかは、結局のところ情報が散逸してしまって、確たるものは分かっていない。Cadenzaというのは、あの忌まわしきProject Auftakt の管理システムとして建造されたAIらしいが、今となってはクロガネ・文化庁・JOCREのいずれも、それを維持管理している形跡がない。
だが、露払いがなされているのは、このメモの通りほぼ間違いない。我々の目的のためには、Maestroの敷いたレールであろうと、躊躇いなく利用させてもらう。
Obbli(美琴)が主導した2018年の著作権法改正で、AI研究の足枷は実質的に外された。日本のAI利活用は、他国に先んじることは出来なくとも、十分に追随、対抗出来るはずだ。少なくとも、為す術もなく飲み込まれてしまう未来は避けられそうだし、必ず避けなければならない。
そして今、俺とPizz(翔也)が「演じる」この茶番(Gioco)で、国民の知財意識を揺さぶる。
すべては、2025年に来る「本番」のために。
私はサブスクリーンの資料を閉じた。
文化庁との間で、翌週の署名陳情書の受け渡し日時と、「文化庁長官による直接の受け取り」の確約を取り、私は会議を終えた。
モニターの向こうで、Obbli(美琴)が安堵の表情を浮かべたのが見えた。
大丈夫だ。計画通り。来週は、私から抱えるほどの署名の束を手渡され、神妙な面持ちで受け取る文化庁長官の写真がネットを駆け巡るだろう。
だが、その直前に、我々にとってはそれと同じぐらい重要なひとつのアポイントメントがある。以前から申し込みをしてきていた清水記者の取材を、文化庁訪問の直前に受けることになっている。
5年間、慎重に観察を続けた結果だ。いよいよ、こちらの計画も動き出す。
----
240 : Numbers 2015/04/22
再度時は遡り、2015年の春。
クロガネが開発中の低遅延セキュアネットワーク上にMotifが設置した秘密ルームでの会話は、実際に同じ部屋で話しているかのような錯覚を覚えるほどスムーズだった。
Maestroが信州の病院から自律型電動車椅子で姿を消してから、一年が経過していた。
「AccelとATが解析してくれたPDAのメモから、Project Auftaktの全容が見えて来るかと期待したが、Maestroの秘密主義は、自分自身に対しても徹底していたようで、かなり手強い。
ただし、外形的なことはチラホラわかったよ。
まず、黒服見守りボランティアの皆さんは、我々の疑心暗鬼ではなく、実在したようだ。しかも、他ならぬクロガネ・文化庁・JOCREが絡む非公然タスクフォースからの派遣だったね。
我々にとっても、日本の知財分野にとっても、金主であり保護者であり黒幕だ。Maestroのメモに従って、Patronと呼ぼう」
「実験の詳細を思い出せないようにする、という記憶操作には合意したけど、僕らは仲間の記憶まで消されてたんだね」とAccelが苦々しげに言った。「彼らのやり口は酷いけど、それ以上に、むざむざ記憶を手放した自分にも腹が立つ」
「Project Auftakt関連の資料は手に入りそう?」とATがMotifに言った。
「MaestroがClefに施した記憶封印は、私たちのようにつまんで焼き切るようなものじゃなく、ある領域の記憶にごっそりと蓋をするようなものだと考えられるの。
おそらく、蓋をする対象の記憶を、今でいうニューラルネットワークのようなアナログモデルとして抽出しているはず。粒度と期間を考えるとせいぜい数百メガバイト〜数ギババイト程度の小さなものだと思う。なんとかそれを見つけ出してほしい」
「かなり巧妙に隠されてるが、必ず突き止めるよ。時間がかかりそうだけどね。Obbli,Pizzもそれぞれ文化庁とJOCREで探してる」とMotifが答えた。
「Clefの行方については、僕とMotifでほぼ絞り込んだ」とAccelが続けた
「中学生の頃、夏休みに事故で入院し、その記憶が欠落しているというWebやSNSのポストが大量に存在する。日本の女子中学生は一体どうなってるんだってほどありふれてる。
でも、クロガネ音楽教室の生徒あるいは講師の子女という条件まで加えると、一気に一桁になる。そのうちの一人は、我々と同年代。全国紙でバリバリ活躍してて、著書も多数。そして、専門領域は知財と文化。そして何より、名前が、清水遥<<しみずはるか>>だ」
瞬間、メンバーの脳裏にMaestroのPDAから復元された音声記録が蘇った。
---ハルカ!・・・ハルカ!と弱々しく叫ぶ少女の細い声・・・・
「え?あの清水さん?」と気づいたPizzが割って入った。「その名の通り、水清くして魚住まずを地で行く、バリバリの知財論客じゃん」
「そう。つねに知財は自由に活発に利用されるべき、という立場で記事や著書を出している。そして……」とMotifが続けた
「彼女は1996年夏から2015年の現在に至るまで、事故の経過観察という名目で、都内の大学病院で半年ごとの精密な脳検査を継続的に受けている。先月ATが客員教授として招聘された、あの大学病院だ。それがMaestroの敷いたレールである可能性を考えると、ほぼ、彼女でビンゴだろう」
「Maestroが私たちに情報を渡したことを、その『Patron』は知ってるのかしら」とObbliが言った。
「そう考えて良いだろう。我々がClef候補に辿り着くことも想定済みと考えるべきだね」とMotifが言った。
「だとすると、その、新聞記者さんに危険はない?彼女が記憶を取り戻したら、自分自身を巻き込んだ大スキャンダルを全国紙の記者が手にすることになるんだけれど」とATが心配そうな声で言った。
「彼女の危険もさることながら」とPizzが言った。「No.22は、おそらく亡くなっていて、Clefがその証拠隠滅のために記憶を消されたって話だろ。今露見した時に、被弾するのは誰かっていうと、俺たちだぜ」
「とんでもない犯罪の関係者であり、いまや、その犯罪を隠蔽した団体の責任者だからな。無傷ではいられないだろうな。矢面に立つことにはなる。いずれにしろ、Clefの記憶の状況は把握したいし、外部からさらなる記憶への攻撃を受けたりしないよう保護したい」
「それは任せておいて。大学に手を回しておきます」とATが即答した。
---
【用語集 -Notes-】
Gioco(ジョーコ):
今回のタイトル。イタリア語の音楽用語で「遊び(Play)」「冗談」を意味する。
山崎 奏太(やまざき そうた) / Motif:
No.1。クロガネ音楽振興財団の理事長。Maestroの遺言と2025年のAIの脅威受け、国民の知財意識を改革するため、あえて注目を集める裁判(Gioco)を仕掛けている。
藤原 美琴(ふじわら みこと) / Obbli:
No.2。文化庁の特別補佐官。Motif(奏太)やPizz(翔也)と水面下で連携し、この「仕組まれた裁判」を国家戦略レベルで動かしている。
2018年著作権法改正(2018ねんちょさくけんほうかいせい):
作中、Maestroの計画(セクション260)に基づき、Obbli(美琴)らが主導した法律改正。AIが機械学習のために著作物を(許諾なしで)利用することを可能にした。ナンバーズ自身が、Maestroの予見したAIの進化と、その利活用のコントロールを人間の手中に置くための措置。
Maestroのメモ(セクション260):
Maestro(Patron)が、公訴時効との関係で意図的に「音楽教室裁判」の開始を2015年以降に遅らせていたことが示唆される。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます