取材メモ6


「どうも、どうも! 飯田さん、どうも!」

 待ち合わせ場所であるカラオケボックスの個室に入ってきた尾野は、やけに明るかった。

 私は先に手続きを済ませて入っており、その時点で十分ほど待たされていた。

 それを謝罪するでもなく尾野は、

「先に入ってたなら、歌っててくれてよかったですよ」

 と言って笑った。

 そのテンションの高い振る舞いとは裏腹に、尾野の顔はやつれていた。

 激務の影響だろうか。乾いてがさついた頬に、面疔のようなできものが二つできていた。

「放火事件の解決、おめでとうございます」

 尾野の飲み物を持ってきた店員が出て行くのを待ってから、私は言った。

「お疲れさまでした。大捕りもので大変だったみたいですね」

「ありがとうございます」

 尾野は笑顔を作った。カラオケボックスの暗い照明のせいで、落ち窪んだ眼窩が余計に黒々として、痛々しかった。

「何とかなりました。余罪も色々とあるのでしばらくは取調べが続きますが、後はやるべきことをやっていくだけですからね」

「取調べの方はそうなんでしょうけど……こしえさんについてはどうですか。保坂、こしえさんの名前を出したんですよね」

「ええ。でも、あのときだけでした。あれ以来、保坂はもうこしえさんの話はしてないですね」

「そうなんですか……」

「それよりも、聞いてください」

 尾野は身を乗り出した。

「先日、またK署様式で変死を処理したんです」

「またですか」

「ええ」


 尾野の話によると、それはK市の中心部に当たるK駅近くのアパートの一室でのことだった。

 部屋が凄惨な状況だ、という地域課の一報を受けて、黒磯係長と尾野、郡山刑事が現場に飛んだ。

 状況は、Tの西屋で見たものと酷似していた。

 まるで電車にでも撥ねられたかのような、ねじ切れたような腕が転がっていた。

 一目見るなり、黒磯係長は真っ青な顔の制服警官をさっさと交番に帰してしまった。

 玄関ドアや窓の施錠状況などを確認した後で、黒磯係長は刑事課長に電話をかけた。

 ぼそぼそと何事か話した後で、電話を切った黒磯係長は郡山刑事に、

「田上が来る。方波見に電話しろ」

 と命じたのだという。

 それで、尾野も気付いた。

「係長、もしかして」

「前はNだけだったのによお」

 黒磯係長は吐き捨てるように言ったのだという。

「最近、いろんなところで起きるんだよ。悪いもんがどっかから漏れ出してきてるんじゃねえのか」

 やって来た田上に、黒磯係長は遺体を顎でしゃくってみせた。

「どうすんだ、田上」

 係長は最初から少しケンカ腰だったという。

「まだNの事情を知ってる人間しか死んでねえが、このまま広がってったらそのうちK署様式じゃ処理しきれなくなるぞ」

「そうですねえ」

 田上は相変わらずの大きな声で言った。

「どうするんでしょうねえ」

 何を考えているのか分からない田上の顔を見て、黒磯係長は忌々しそうに舌打ちした。

「上はちゃんと考えてんのかよ。俺は知らねえぞ」

 遅れて現れた葬儀会社の方波見という男は、部屋を一瞥して「はい、分かりました」と如才ない笑みを浮かべたという。

「あれだけは、持ち帰っていただけますか」

 と方波見は部屋の隅を指さした。

 そこに、木片が一枚転がっていた。

 黒磯係長がものも言わずに拾い上げると、田上に押し付けた。

 事案はその後、K署様式によって処理された。



「木片によって、亡くなる人がいる。一方で、亡くならない人もいますよね」

 私の言葉に、尾野は頷いた。

「そうですね。そこにどんな違いがあるのか」

「これ」

 私は自分の鞄から黒ずんだ木片を取り出した。

「あっ!?」

 尾野が声を上げた。今日は喫茶店ではなく、カラオケボックスにしておいてよかった。

 そう思うほど、尾野の声は大きかった。

「これ、どうしたんですか」

「実は」

 私は木片をテーブルに置くと、それを手に入れ(てしまっ)た経緯を話した。

 尾野は険しい表情で私の話を聞いていたが、聞き終わると探るように私の目を覗き込んできた。

「つまり、こしえさんと相当に近距離で接触をしたということですか」

「そうなります」

 私は頷いた。

「ドアの向こうにいたのが、こしえさんだったとしての話ですが」

「直接、目にはしていないんですもんね」

「ええ。ドアスコープ越しには見ました」

「それで、今は体調はどうですか」

「何ともないですね」

 私は肩をすくめてみせた。

「何かあるのかと心配はしましたが。今のところ、何もないです。ばらばらにねじ切られて死ぬこともありませんでした」

「そうですか」

 尾野は片頬だけで笑った。

「それはよかった」

「気味が悪いのでさっさと捨ててしまおうとも思ったんですが、尾野さんにお見せしてからにしようと思って」

「ありがとうございます」

 尾野は木片を摘まみ上げた。

「同じですね、僕が変死の現場で見たものと。保坂が持っていたものにも似ています」

「じゃあ、やっぱり呪いの木片なんだ」

 私は声を上げて笑った。

 冗談めかしたつもりだったが、その努力は実を結ばなかった。乾いた笑いはカラオケボックスの個室に虚しく反響した。

 尾野は木片を見つめたまま、じっと何かを考えこんでいた。

「……何が違うんでしょうね」

 尾野がぽつりと言った。

「木片を渡されて、死ぬ人間もいる。保坂のようにおかしくなる人間もいる。飯田さんのように何もない人間もいる」

「まあ、今のところ何もないというだけですが」

「理由があるんでしょうか」

「どうでしょう。今のところは私も何とも」

 尾野が難しい顔のままで木片をテーブルに置くのを待ってから、私は話を変えた。

「そう言えば、見ていただけましたか。私の送ったURL」

「ああ、あの動画ですね。見ました。ありがとうございました」

 放火犯、保坂のものと思われる動画。

 あれは、私が動画サイトで見つけたものだった。

 保坂は一万人近い登録者を抱える動画配信者だった。当然、警察も彼の動画チャンネルはチェックしていたが、件の動画はそのチャンネルとは全く違う、登録者のほぼいない別人名義のチャンネルに投稿されていたものだった。

 とはいえ、その動画は保坂がホサックと名乗って運営していた「秘境チャンネル」のために撮られたもののようだった。

 ようだったというのは、これが編集前であることがはっきりと分かる保坂のオフレコの声が残っているにもかかわらず、この動画を編集した後の動画が彼の本チャンネルに投稿された形跡がないからだ。

「よく見つけましたね、あんな動画」

「いや、本当に偶然で」

 保坂が逮捕されたということは、保坂の動画チャンネルのコメントでも全く話題になっていない。警察が保坂の職業を「動画配信者」とでも発表していればネット上でたちまち特定騒ぎが始まったのだろうが、「飲食店従業員」の放火犯逮捕というローカルニュースは、特段ネットの関心を引かなかったのだ。

 保坂が動画で本名を公表していなかったこともあって、K市の放火犯保坂■■=秘境チャンネルのホサック、と結び付けているコメントは今のところ見つからなかった。

 私が気になったのは、尾野の手記にあった、保坂が叫んでいたという「ファウト」なる言葉だ。

 その言葉で検索をかけてみると、関係のなさそうな様々な動画の一番下に、保坂が撮ったと思われる未編集動画が見つかったのだった。

「あれは間違いなく保坂です」

 尾野はそう断言した。

「あの動画を見てから、僕もほかに保坂が何か投稿していないか探してみたんですが。あれだけでしたね」

「あの動画も何か変でしたよね。最後の方、ずっと独り言を言って……そうそう、木片を持っていました」

「ええ」

「あの場所、ご存じですか。Nって言ってましたが」

「NはK市の山の中ですね。T駐在の管轄です。あの動画にもあった通り、本当に廃村みたいなところだと思いますよ。僕も実際に行ったことはないですが」

「Nって……何度か尾野さんの手記に出てきてますよね。あの、変死のときとかに。それにさっきも」

「そうでしたね」

 今気づいたように、尾野は頷いた。

「確かに、Nの話は出てきました。前にも言った通り、Tという地区に点在している集落はどこも過疎化が著しいんですが、Nはちょっとレベルが違うらしいです。なにせ、車が入れないんですから」

「車道がないんですか」

「ええ。だから、保坂の動画でもあった通り、山道を一時間くらい登っていくしかないんです」

「そんなところに、まだ人が住んでるんですか?」

「住んでるそうです」

 尾野は腕を組んだ。

「何世帯くらいいるかは分かりませんが、そんなところにしては意外なくらいに人が残っているという話ですよ」

「……そこが、何か関係している気がしませんか」

 それは私の勘だった。

「保坂の秘境チャンネルの動画をいくつか見てみました。まあ彼は変わり者ではありますし、それを視聴者が面白がってもいたんでしょうけど、でも動画を見る限り、そこまで逸脱した人物でもなかったように見受けられます。その印象は、あのファウトの動画でも変わりませんでした」

「ええ。僕も同じ印象です」

「であるならば、保坂が変わってしまったのはNで木片を受け取ってからということになる。見ましたか? 地面に散らばっていたあの大量の木片」

「見ました」

 尾野は頷いた。

「現場に落ちているのと同じ種類の木片に見えました」

「あの木片が大量にある場所、というと、私には思い当たるのは一つしかないんですが」

「どこですか」

「……とこしえ神社、です」

「ああ、そうか」

 尾野は納得したように小さく頷いた。


『その木片だけは忘れるなよ。ちゃんと、とこしえ神社に置いてこいよ』

 変死の現場で、黒磯警部補がT駐在の田上に言ったという言葉。


『木片については、田上巡査長がとこしえ神社に廃棄』

 報告書の備考に、素っ気なく書かれた一文。


 木片は、とこしえ神社という場所に集められているのだ。

 それは、これまでに集めてきた資料から推測できることだった。

 とはいえ、それ以上の何が分かるわけでもない。

「何なんでしょうね、とこしえ神社って」

 尾野が言った。

「何を祀ってる神社なんでしょう」

「分かりません」

 分からないことだらけだ。その中でも、とこしえ神社は特に得体の知れない何かだった。

「……とりあえず、こしえさんの情報と並行して、Nの情報も掘っていってみようと思います。とこしえ神社についても」

「分かりました。それじゃあ僕も引き続き、署の調査を続けます。こしえさんとか木片だけじゃなくて、Nに関する何かがあれば、それも送りますね」

「分かりました」

「それと、ほかにも気になっていることがあるんです」

「というと?」

「課員たちのことで、少し」

 尾野は言葉を濁した。

「すみません。これはかなり下世話な話なので。固まったらお話します。今回の件と関係があるかないかは分からないし、彼らの名誉にもかかわるので。ただ、何かが出てくればめっけものだと思っています」

「そうですか。分かりました」

 それで一旦、話は終わった。

 次に会う約束などをした後で、雑談がてらに尾野と元妻との関係について尋ねてみた。

「そうですね」

 元妻のことを語るとき、尾野の表情は柔らかくなる。

「今はまあ、公私ともに充実しているという感じでしょうか」

「元奥さんと、うまくいってるんですね」

「ええ、まあ」

 尾野は照れたように言葉を濁した。

「やり取りは続いてるんですね」

「ええ。そうなんです」

 尾野は紙ナプキンを指で弄びながら頷いた。

「優しいんですよ、前よりもずっと」

「そう言ってましたね」

「何て言うんですかね……こっちが疲れてるとき、ちょうど優しい言葉が欲しいときに、連絡が来るんですよ」

「へえ」

「もう一回、結婚前の恋愛からやり直してるみたいな感じです」

 尾野はやつれた口元に幸せそうな笑みを浮かべた。

「もう実際にお会いしたんですか」

「それが、まだ」

「え?」

 尾野の手の中で、紙ナプキンが細くちぎれていく。

「向こうも会おうとは言ってこないですし。会ったらまた急にいなくなってしまうような気もしてるんです。このくらいの距離感がいいのかなって」

「そうですか……」

 尾野は少し黙った後で、口元を綻ばせて、

「でも、僕との子供が欲しいって言うんですよ」

 と言った。

「結婚する前も、した後も、子供は要らないって言ってたんですけどね。どんな心境の変化なのか分かりませんが」

「じゃあ、いよいよ会う約束を」

「そうですね。そろそろ、現実と向き合わなければならないことは分かっています」

 尾野が浮かべた表情がどういう感情の発露なのか、私には分からなかった。

「でも、まだこの夢から覚めたくない気持ちもあるんですよ」

 そのとき、室内の内線電話機がプルルルル、と音を立てた。

「あ。もう時間ですか」

「そう……でしたかね」

 フリータイムに設定したはずだったが。

 訝しみながら私が受話器を取ると。


 無言。


「もしもし? もしもし? あれ?」

 呼びかけても応答はない。耳を澄ますと、ノイズのような音が微かに聞こえている。

「故障ですか」

 尾野が私の代わりに受話器を握った。

「もしも……」

 そう言いかけた尾野の表情が固まった。目を見開いて、受話器を耳に当てたまま微動だにしない。

「尾野さん?」

 私の呼びかけにも反応がない。

「尾野さん? どうしました、尾野さん?」

 何回か呼びかけると、ようやく我に返ったように受話器を戻した。

「どうしましたか。何か聞こえたんですか」

「いえ、何も」

 尾野は引き攣ったように笑った。

「そろそろ出ましょう」

 そう言って、テーブルの上の木片を鷲掴みにする。

「これ、僕が持っていっても?」

「ええ、もちろん構いませんが」

 願ってもないことだった。今のところ何も起きていないとはいえ、そんなものを持っているのは気味が悪かった。どうせ今日、尾野に見せたあとでどこかに捨てるつもりだったのだ。

「でも、いいんですか。尾野さんだって気味悪いでしょう」

「僕の場合は、もう今さらですよ」

 尾野はそう言って、木片を乱暴にポケットに突っ込んだ。




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