第3話「龍神、主を見出す」

 ――空が、裂けた。


 雷鳴みたいな音が響き渡り、熱風が砂を巻き上げた。

 その中心に、奴はいた。


 金の瞳を持つ巨大な龍――ヴァルザグレアス。

 翼を広げただけで、風が爆発する。


『――見せてみろ、人間。その力が“神の気まぐれ”ではないのなら』


 低い声が大気を震わせる。

 言葉の圧で、膝が勝手に笑った。


 神の気まぐれってなんだよ。こちとら気まぐれに異世界に放り込まれたんだぞ。


「はっ……化けもんが、喋ったよ。しかも日本語で」


 返す余裕もなく、龍が動いた。

 空気が悲鳴を上げた瞬間、炎の奔流が襲い掛かる。


「おいおいおいおい! 初手から殺す気かよ!? 口約束とかねぇの!?」


 反射的に身を転がした。

 地面が蒸発し、熱波で髪の先がチリチリに焦げる。


 あの炎、一瞬で焼き尽くすレベルだ。

 RPGのボス戦でも、序盤に出る攻撃じゃない。


 これ負けイベじゃないよね? そうだと願いたいけど確かめたら多分死ぬ。


「くっそ……《創生核》ッ!! 今こそ働けっ!!!」


 胸の奥がドクンと跳ねた。

 光が溢れ、体の中を駆け巡る。


 それは熱じゃない。

 もっと“深い場所”から、何かが目を覚ますような感覚だった。


《創生核・出力上昇――反応率32%……60%……上限突破》


「え、突破って言った!? それって良いことなの!?」


 叫ぶより早く、体の周りを白い光が包んだ。

 空気が震え、砂が浮かび上がる。


『なに……? この感覚は……!』


 ヴァルザグレアスの瞳孔が細くなった。

 次の瞬間、炎がぶつかる。


 ドゴォォンッッ!!


 白光と赤炎が衝突し、天地が反転した。

 熱風が音速で吹き抜け、砂嵐が水平に流れる。

 俺の耳がキーンと鳴り、視界が真っ白になった。


 ――でも、不思議と怖くなかった。理不尽に対する怒りで闘争心がモリモリ湧き上がってくる。


 これはアレか? 異世界チートってヤツか?

 それにしたって初手から無理ゲーするんだろ!!


「……おい、神サマ。捨てといて、今さら試すとか、ちょっとムシが良すぎねぇか?」


 光が全身から噴き出す。

 砂を焼き、空を染め、周囲の空間ごと押し返した。


『ば、馬鹿な……!! 人間の魔力で……この我の炎を……!』


 ヴァルザグレアスが咆哮を上げた。

 だが、炎の渦は飲み込まれ、白光の奔流がその巨体を包み込む。


 自分のできる事が頭の中で浮かんでくる。


 これは、イケるかもしれない。


「だったら覚えとけ、ブラック企業の社畜なめんなぁあああああ」


 叫ぶと同時に、拳が動いた。

 光の尾を引いて、龍神の顔面へ。


 ドゴォォン!!


 衝撃波が走った。

 地平線が歪み、砂の海が一斉に吹き飛ぶ。

 巨大な体が、たまらず後方にのけぞる。


『ぬぐっ……!? この力……っ!!』


 その咆哮が止まった時には、

 龍神の炎は完全にかき消えていた。


「うおおおおおおおおぅらぁららららららっ!!」


 続いて体が飛び出していた。

 拳を突き出し、力の限り殴りつけた。


『ぐぬっ、お、うおおおおっ、なんという膂力⁉』


「つぁああああっ!」

『ぐはっ』


「ぐりゃあああああっ」

『がはっ!』


「どっっせぇえええええいっ!」

『うぐぁああああっ! こ、これはたまらんっ』


「理不尽反対っ! 有休申請! 悪霊退散っ! 退職代行ぉおおおおっ!!」

『ぬぐぅうああああ、言葉の意味は分からぬが、並々ならぬ言霊が込められておるっ、ぐぁあああ』


 息が切れる。

 膝が震える。

 けど、胸の奥では――《創生核》が静かに脈打っていた。


「……はぁ……っ、はぁ……。おい、もう終わりかよ……?」


 挑発めいた一言に、龍神は沈黙した。

 巨大な影が、ゆっくりと地面に降り立つ。

 そのまま……膝を折った。


『……信じられぬ。人の身で……この我を……』


 声が震えていた。

 誇り高き存在が、屈した音だった。


『徳島栄次郎』


「お、おう……名前覚えてたのか……」


『我はヴァルザグレアス。

 この身に刻んだ痛みで知った。

 貴殿の力は、神々の枠すら超える“創造の理”の光』


「……創造とか理とか言われても、

 俺はブラック企業に二年こき使われた、ただの人間なんだが」


 龍神の瞳が細く笑った。


『だからこそだ。

 命の価値を知る者こそ、真に創れる。

 我はその力に――膝を折る』


 その言葉と同時に、龍神の頭が地に触れた。

 巨大な体が影を落とし、砂が波のように揺れる。


『――我は、あなたを主と認めます。

 このヴァルザグレアス、あなたの配下として仕えましょう』


「…………は?」


『あなたの創る世界を、共に見届けたい。

 あなたが望むなら、この身、この力、全てを委ねよう』


「いや、待て待て待て待て!? そんな展開ある!?

 ドラゴンが“主様”とか言い出すやつ!? 

 お前絶対さっきまで殺す気だっただろ!!」


『それがどうしたというのでございましょう。

 殺す価値があった。

 ……そして今、仕える価値がある』


「理屈飛びすぎだろ!! てか、切り替え早ぇな!?」


 うまいこと言いやがって。

 ツッコミながらも、胸の奥が少し熱くなった。

 敵だった存在が、自分の力を見て、真っ直ぐに頭を下げている。


『命ずるがいい、我が主よ。

 あなたの創生の旅に、我が魂を捧げよう』


 風が静まり、空の色が変わった。

 赤く染まっていた空が、金と群青の境へと溶けていく。


 熱が消えた。

 炎の匂いも、もうない。


 代わりに残ったのは――

 胸の奥の、やけに優しい光の鼓動だけ。


「……マジかよ。

 龍神が配下って、俺、どんなチート職だよ。

 てか、旅って、どこ行くんだよ俺。どっかに腰を落ち着けたいんだけど」


 呆然とつぶやく俺に、ヴァルザグレアスが口角を上げた。


『創るとは、歩むことです。

 どこへ行くかは――主が決めることでございます』


「……なんかそれっぽいこと言ったな、お前」


 砂の海を吹き抜ける風が、少しだけ涼しかった。

 龍神が頭を下げたまま、目を閉じて言う。


『主よ――命を下され。

 このヴァルザグレアス、あなたの従僕となりましょう』


 胸の《創生核》が、鼓動で応えた。

 白い光が小さく脈打ち、俺の体の中で「生きている」ように感じた。


「……よし。じゃあ決まりだ。

 とりあえず――お前、俺の仲間な。

 飯ぐらいは奢れよな、龍神」


 龍が目を開けた。

 その金色の瞳が、夕陽を映して光る。


『食を共にするか。ふむ……面白い主ですな』


「そうだろ? まあ、気楽にいこうぜ。」


 俺が笑うと、ヴァルザグレアスの巨体から、低く穏やかな笑いが響いた。

 風が止み、空が完全に金色に染まる。


(とりあえず安定が欲しい……)


 溜め息だけが砂漠の風に消えていった。

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