第2話 倒錯的なプレイ

「な、なんでもない! てか、名前はなんていうんだ?」

「名前? そんなものはない」

「名前がない? いやいや、そんな……」


 馬鹿な、と言いかけて、そういえば野良猫設定だったのを思い出した。その設定はいつまで引っ張るんだろう、面倒くさいからさっさとその設定無くしてほしいんだけどな。


「じゃあ、俺が勝手に名付けていいか?」

「ああ、適当に呼んでいいぞ」

「うーん、じゃあ白猫だったから……クロって名前は?」

「……白猫なのに?」

「冗談冗談」


 といったものの、名前なんて付けたことがないから困った。

 白猫だから、シロ……は安直すぎるし、白で連想されるものと言えば雪とか……。

 その時、初めて彼女を見たときのことを思い出した。幻想的な姿。神秘的とも思えるその光景に目を奪われた時、彼女の背から見える月がより彼女の魅力を引き立てていたことに。

 月……。


「ルナってのはどうだ?」

「ああ、それでいいぞ」


 確か、月ってラテン語でルナって意味だったような。神秘的な彼女にはピッタリかもしれない。


「ちなみに私はなんて呼べばいいんだ」

「……隆史って呼んでくれ」

「隆史だな」


 にっこりと笑顔を浮かべながら名前を呼ぶルナとは対照的に、俺の気分は少し落ち込んだ。こんな得体の知れない女性に名前を教えていいのかどうか、少し不安になってしまう。


「さあ、恩返しをさせてくれ」

「うーん、本当に困ってることないからな」

「絶対にある! 人間というものは困ってることばかりだと聞いたぞ」

「ないって」

「そんなことは……ん、隆史、指を怪我をしているのか」


 ルナの視線の先には、先程、猫に引っ掻かれた時の傷が。


「これはルナに付けられた傷だ」

「ああ、なるほど。すまなかったな……よし、私が手当てしてやろう」

「ありがとう、救急箱取ってくるよ」

「なんだそれは……いいから手を貸せ」


 俺の手を強引に掴んだかと思えば、ルナは一切の躊躇もなく人差し指を咥えだした。


「はむっ……ちゅる……れろ……」

「なっ……!」


 彼女の温かな口内に指が包まれる。突然なことに慌てて指を口内から引き抜こうとするも、がっしりと手首を掴まれ阻まれる。


「こら、動かすな……れろれろ、じゅる……」


 舌が縦横無尽に指を這っていくその感覚は得も言われぬほど興奮させた。彼女の舌が俺の指に絡みつき、傷ついた指を癒してくれる。女の子が指を舐めてる姿とは、なぜこうも興奮させるのか。


「じゅるじゅるっ……ん、ちょっと血の味がするな……すまないな、傷つけてしまって……ちゅるっ、れろ……」

「い、いや、大丈夫……」

「ちゅぱっ、ちろちろ……よし、これで大丈夫だろ」

「あ、ありがとう……」


 胸のことといい、こいつのやってくることは無駄に興奮させてくる。


「これで恩返しは終わったろ。その服はあげるから、もう帰ってくれ」

「馬鹿を言うな。私がつけた傷を手当てして恩返しはないだろ。これは別の話だ」


 えー……もう早く帰ってくれよ。今日日、押し売りでもこんなしつこくはないんじゃないか。


「ただいまー」


 玄関から悲鳴にも似た金属の軋む音と共に、希さんの声がリビングに響く。

 やばい、希さんが帰ってきた! こんな変な女を家に招いているのを見られたら希さんに余計な心配をかけてしまう!


「もういいから早く帰れ!」

「お、おい、なにをする! 手を引っ張るな……あっ」


 勝手口からルナを帰そうと、強引に手を引っ張ったのがよくなかった。急に手を引っ張ったせいで、ルナの足がもつれ、俺を巻き込むようにして転んでしまう。


「んっ!」


 折り重なるように倒れてしまった結果、唇に柔らかい感触が触れる。ルナと唇が重なってしまったのだ。唇の柔らかさを確かめる暇もなく、こうなってしまった元凶が入ってきたことによって、俺は固まってしまった。


「隆史君ー? なんか変な音が聞こえたけど、だいじょう……ぶ……」

「…………」


 横に倒れながら、唇を重ねる俺たちを見て固まっている女性は、垂れ目が特徴的なほんわかとした雰囲気を纏った希さん。彼女は俺たちのようすを見て、目を見開き、瞳が左右に揺れている要素から混乱しているのが手に取るようにわかった。


「あー……はは。なにやらお取込み中のようで、お邪魔しました……」


 巻き戻したように希さんがリビングから出ていく。


「って、ばかー!」


 と、思ったらすぐに戻ってきた。慌てて俺たちの元に駆け寄ってきて、押し倒すようにルナに覆いかぶさっている俺を、両手で思いっきり突き飛ばす。


「彼女を連れてくるのはいいけど、リビングでイチャイチャしちゃだめじゃない!」


 うるうると涙を瞳に溜め、可愛らしく怒られた。


「ち、違います! 彼女じゃないし、イチャイチャしてません!」

「キスまでして彼女じゃないとか信じられません!」

「本当なんです!」


 必死に説得しても希さんは半信半疑なようで、視線をルナの方に向ける。その瞳には、幾ばくかの強い敵意などが向けられてるような気がした。


「えー、と……本当に彼女じゃないんですか?」

「うむ、隆史とは別に付き合ってない」

「エッチなことはされてません?」

「それはされた」

「隆史くーん!」


 ルナのとんでもない発言に怒った希さんが、叱責を俺に浴びせる。


「ぐはっ! いや、してないだろう!」

「止めてって言ったが、耳を必要以上に凌辱された」

「そ、それは……」


 玄関で猫耳を思いっきり引っ張ったことを言ってるようだ。確かに引っ張ったけど、あれを凌辱と呼ぶのは些か勘違いを招く言い方だ。


「しかも彼女の着ている服、私のじゃん! 猫耳着けさせて、母親の服を着させて、なんて倒錯的なプレイしてるの!」

「いや、誤解ですって!」


 俺の声が聞こえてないのか、希さんはヨヨヨと崩れ落ち、涙を流した。


「お、お父さん……隆史君が立派な男性に育ったことを喜ぶべきか、変な趣向を持ってしまったことに嘆いてしまえばいいのか……私は、どうしたらいいの……」


 それから希さんの誤解を解くのにしばらく時間がかかってしまった。

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