第1話 恩返し

「…………」


 俺は黙って扉を閉じた。


「なぜ扉を閉める!」


 ドンドンッ、と裸の少女が玄関を思いっきり叩き始めた。扉を力の限り精一杯閉じ、早鐘を打つ心臓を落ち着かつかせる。

 え、裸? いやいや、そんな馬鹿な。うん、きっと気のせいだ。

 もう一度扉を開ける。


「…………」

「…………」


 お互いの視線が交差する。

 扉を閉めた。


「こら、だからなぜ閉める!」


 何度も扉を叩かれるも、俺は絶対に開けてはならないと全身を使って扉を閉じた。

 俺がまず思ったのが、彼女が綺麗とかエロいとかではなく、恐怖。

 玄関を開けると裸の少女が立っている、これは間違いなく事件です。

 露出狂の変態か、事件に巻き込まれた女性です。

 もしくは人に見せつけるのが好きな変態カップルです。


「開けろ! デトロイト市警だ!」

「いやいや、なんで裸なんだよ!」

「裸? 別におかしくないだろ」

「どう考えてもおかしいだろ!」

「いいから開けろ!」


 ガチャガチャッとドアノブが何度も上下に揺れ動く。

 やばいやばい! 猫耳着けてるし、露出狂の頭のおかしい人か見せつけるのが好きな変態カップルだ!


「クシュッ」


 扉の向こうからくしゅみをする音がくぐもって聞こえた。

 裸のまま外に放置された女性。このまま俺が扉を開けなければ間違いなく風邪を引くだろう。

 ……もしかしたら事件に巻き込まれた可能性もあるし、玄関まで入れてあげるか?

 そう考えていると、いつの間にか扉を閉じていた力が緩んでいたのか、思いっきり扉を開けられた。

 しまった……っ!

 時すでに遅し。気付けば彼女は扉を潜り、玄関に入ってきた。


「やっと開いた」


 彼女は自分が裸ということを気にも止めず、臆面もなく堂々と立つその姿はむしろカッコよく見える。


「さっきはご飯を貰ってすまなかったな。恩返しに来た」

「ご飯? 恩返し?」


 何を言ってるのかよくわからず、オウム返ししてしまう。

 こんな美人にご飯を奢った記憶もなければ、恩返しされる謂れもない。


「ご飯ってなんのことだ。奢った記憶なんてないぞ」

「さっきくれただろう」

「俺は誰にもご飯を奢った記憶はない。猫にしか奢ってない」

「その猫が私だ」

「…………」


 やばい、頭のおかしい人が来た。


「ハハ、ソウナンデスネ」


 こういう頭のおかしい人は下手に刺激してはいけない。なるべく穏便に、そしてさりげなくおかえり頂かなければ。


「その死んだ目、ムカつくな。信じていないだろ」

「ソンナコトナイデスヨ」

「とりあえず恩返しさせろ。困ったことがあればなんでも言ってくれ」


 あなたがここにいることが困ってます。そう言葉に出かかったが飲み込んだ。

 そんなことを言ったらこの得体のしれない女性に何をされるかわからない。


「特に何も困ってないから帰ってくれませんか」

「それじゃだめだ。私は恩返しをしないと気が済まない」


 彼女の瞳から強い意志が感じられた。なにがなんでも恩返しとやらをしないと帰らないみたいだ。正直、恩返しどころか迷惑なのに。


「クシュッ」


 彼女が可愛らしくクシャミをした。両腕で自らの身体を抱きしめる。よく見れば、寒さから小刻みに震えていた。

 得体の知れないと言っても、いつまでも裸の女性を玄関に立たせるのは気が引ける。何かを着せてあげないと風邪を引いてしまうだろう。

 家の中に招いてあげたいが、彼女の全身がところどころ汚れていた。まずはその汚れを拭いてあげるか。


「ちょっと待ってろ」


 彼女を玄関に置いて洗面所に向かい、バスタオルを引っ掴んで渡してあげた。


「……これはなんだ?」

「なにってバスタオル」

「……? これでどうしたらいいんだ?」

「え、身体の汚れを拭くんだよ」

「……?」


 片手にバスタオルを持ったまま立ち尽くすその姿は、まるで生まれて初めてバスタオルを見たようで扱いに困っている。

 それが嘘や演技のようには見えず、そんな人がこの世にいると思えない俺は逆に困ってしまった。

 初対面の女性の身体に触れていいのだろうか。しかし、このままだと一向に物事が進まないことを考えれば仕方がない。

 バスタオルを返してもらい、彼女の髪や身体を拭いてあげる。


「こうやって使うんだよ」

「にゃぁぁあああ!」


 強引に拭いてあげると、叫び声を上げられた。


「にゃに、を、する!」


 暴れまわる彼女をよそに強引に拭いてあげる。


「てか、この猫耳外せよ」


 髪を拭くのに邪魔な猫耳を掴み、取り外そうと引っ張った。


「い、いたい!」


 あれ、外れない……てか、この猫耳ちょっと温かい。まるで血が通ってるかのように、ふにふにと柔らかく、人肌のような体温を感じられる。


「イタタタタタ!」

「なんでこの猫耳外れないんだよ。外れないし、柔らかいし、温かい。本物みたいだ」

「ほ、本物だ! イタタタタタ!」

「いやいや、本物ってそんなわけ」

「そ、んな強く引っ張らないでくれ!」


 いくら引っ張っても取れない猫耳。演技とは思えないほど痛がる彼女の仕草に、本物なのではと頭の中をよぎった。


「こ、これって……本物なのか……?」


 そ、そんな馬鹿な……猫耳を生やした人間がこの世にいるなんて……。


「……だ……だから、本物って言ってるだろ!」


 思いっきり頬を叩かれてしまった。


「ごめん! そんな人がいるなんて思わなくて!」

「私は猫だ!」


 猫耳は本物だし、目の前にいる彼女はさっきご飯をあげた猫? おいおい、どこのアニメだよ。


「何度も言ってるだろ! 私は恩返しをするために人間になってきたんだ!」

「そんな話を信じるわけないだろ!」

「信じなくてもいいから恩返しをさせろ!」


 恩返しの押し売りとか聞いたことないぞ!


「まったく、どうしたら信じてくれるんだ」


 髪をかきあげながら、悪態を吐く彼女。その瞬間、豊満な胸が少し左右に揺れた。

 ……とりあえず、服を着させてあげよう。その恰好は目に毒だ。


「とりあえず中に入れよ」


 顎で中に入るよう促した。左右に視線を這わせ少し躊躇するような仕草をするも、黙って俺に意見を従う。

 リビングに彼女と一緒に入る。LDK一体型のリビングとキッチンが一緒になった間取り。

 リビングの部分にはL字型のソファとテレビが置いてあり、リビングから見えるキッチンはカウンターキッチンになっている。くっつけられた年季の入った机と椅子には、汚れが目立っていた。

 ……ちょっと申し訳ないけど、希さんの服を借りよう。

 希さんに心の中で謝りつつ、リビングで彼女を待たせ、希さんの部屋から服を借り彼女に渡してあげる。

 Tシャツにハーフパンツを渡すも、彼女は無言で見つめ困り果てていた。


「……これもバスタオルか?」

「服だよ」

「服とはなんだ?」


 ……えぇ、服を知らない? バスタオルも服も知らないって、こいつ、本当に猫なのか?


「貸して。着させるから」

「ありがとう」

「バンザイしてみて」


 両手を上げて、同じようにしろと顎で促した。俺に倣うように彼女も両手を上げる。その瞬間、またもや大きな胸がプルンッと震えた。


「…………」

「どうした?」

「な、なんでもない」


 煩悩を振り払い、素数を数えながら服を着させてあげる。なるべく彼女の肌に触れないように、気を使いながら。


「さ、なんでもいいぞ。私に恩返しをさせてくれ」

「…………」


 なんでも……?

 その瞬間、大きな胸が揺れたことを思い出し、心臓がバクバクと波を打つ。股間に血流が集まっていくのがわかった。

 ……やばいやばい、考えてることが最低すぎる。

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