#03 めんどくさい……そんなあなたに四つのジョブ
目を覚ますとそこは異世界だった。
女神との妙にコミカルなやり取りを終えたあと、意識はゆるやかに闇へと沈み、気がつけば全身が柔らかな何かに包まれていた。
ゆっくりと瞼を上げると視界に映ったのは、見知らぬ天井だった。
ひどく年季の入った木組みが、ところどころ黒ずんでいる。
軋みを上げる寝台から上体を起こすと、薄く埃が積もり、空気そのものが古びた匂いを放っていた。
手もとにはコップがあった。どうやら水を飲んでいる途中だったらしい。
綺麗な水差しがベッドの横のサイドテーブルに置いてあった。
机も椅子も、どれもこれも時を経た骨董品のようで、見るからに年季が入ったものだ。
その中で異彩を放っているのは、四冊の本だった。
何やら胸騒ぎを覚えつつも、寝台から降りようとしたその瞬間、足に力が入らず、俺は無様に前のめりに倒れた。
「うわっ!」
呻きながら床に手を突く。その感触は冷たく、ざらついていた。
どうやらこの身体、ひどく衰弱しているらしい。
立ち上がることもままならず、俺は床を這いながら部屋の中を見渡した。
すると、壁際に立てかけられた大きな姿見が目に入る。
まずは自分がどのような姿なのか確認しなければならない。
俺は腕にわずかな力を込め、その鏡の前まで這いずっていった。
するとそこに映っていたのは、やや色素の抜けたボリューム感のあるくせ毛の黒髪を持った少年だった。頬はこけていて、袖から突き出している腕も細かった。
俺は寝間着をまくり上げて上半身を確認した。あばら骨が浮き出るほどにガリガリだ。
さらに興味深いことに頭上には矢印のマークと共に名前が表示されていた。
【ルネ・ド・オーレリオン(オーレリオン男爵第一子・転生者)】
そう書かれていた。
「面倒だな」
よりによって、あの女神は超オーソドックスな貴族転生を選んできたらしい。
しかも男爵。貴族の中でも最下層、庶民と大差ない生活水準だ。
準男爵や騎士という役回りもあるが、こうした下級貴族という存在は気苦労が絶えないものだ。
身分のわりに責任だけ重くのしかかってくる。
あと親族トラブルがだいたい地獄だ。無論、公爵のような上位貴族であると後継者問題でそれはそれで厄介だろう。
伯爵位のような中間的な貴族でも、家格があったり、財力があれば、政略結婚に、上位貴族からの圧力などすさまじい神経戦を繰り広げるイメージだ。
だがそうはいっても、上位貴族には権力か財力がある。
一方で男爵位のキャラクターはろくなことがない。爵位はあるが、平民上がりのせいで他の貴族に馬鹿にされたり、親族に平民がいれば財産と爵位を狙ってくる。おまけに領地もだいたい貧しいのだ。
それに俺がこの肉体に転生したということは、この体の持ち主の魂は死んでしまったことを意味する。
試しにステータスバーとか、スキルウィンドウ的な何かが出せないか試してみたが何もない。この世界もまた「現実」で、ゲーム的な演出などありえない。
元より、従来の転生小説でステータスバーやスキルウィンドウが表示される時点で、それはどこまでも「フィクション」である。現実でそんな都合の良いことが起るはずもない。
ただ魔法師やら陰陽師やらのジョブがあるということは、それなりに能力を可視化できる何かがあるということだ。
ただし……。
めんどくさい!
寝たい!
死ぬほど寝たい!
この持ち主の記憶が流れ込んでくる。
俺はオーレリオン男爵家の長男という立場らしい。
初代は「黄金の獅子」と呼ばれた傭兵であり、その名を冠するギルドの創設者でもあった。
いつの時代にも、戦争と軍隊は存在する。
この国の軍隊は、貴族を中心とする騎士団と、召集令によって集められた平民の兵で構成されていた。
騎士は幼い頃から名誉を重んじることを刷り込まれているため、その忠誠に疑いはない。
だが、歩兵として召集された平民は違う。平民の歩兵は自分の国や家族を守るために召集令に応じる。しかし、大義名分のない戦争や国の皇族や貴族たちへの信頼が低ければ、容易く離反する。
つまり騎士と違って、名誉欲と忠誠心は低いのだ。
その代わり、召集令によって集められた平民は戦時と戦後五年間の税金の免除、活躍に応じた報奨金が与えられる。
だが、戦死してしまえば単なる「戦死者一名」に過ぎない。
見舞い金と墓の補償はされるが、それっきりなのである。
戦死した平民は男女問わず働き盛りの若者が多い。家族にとって家計を支える子どもや夫、父親がいなくなるということは大きな損害なのだ。
ゆえに戦死者が増えるほど、民の怒りは皇族や貴族に向かう。
平民を見下す貴族は、平民の戦死を気にも留めないが、下級貴族などは平民との距離が近く、死活問題である。民心が離れれば、領地経営すら危ういからだ。
そのため、歩兵を招集せずに「傭兵」を雇い入れる場合があるのだ。
傭兵は都合の良い存在であった。
金さえ払えば、どんな無謀な戦場にも赴く。
皇族や貴族にとっては平民との関係を悪化させない安全弁として機能する。
平民にとっても自分の身内さえ戦場に行かなければよく、「所詮は金で動くような人間たち」なので、死んでも問題がない。
だが、裏を返せば傭兵は勇猛果敢な人間であり、多くの戦功を上げる存在でもあった。時には、名誉に縛られた騎士や貴族以上に、戦場でその名を轟かせる存在となる。
「黄金の獅子」は、帝国に滞在している傭兵ギルドの中で群を抜いて実力の高い集団だった。帝国が幾度も敗北を喫した戦場を、この集団はたった数十人で覆したと伝えられている。
ゆえにギルド長だった、初代に帝国は報奨として領地と爵位、そしてオーレリオンという姓を与えたのだった。オーレリオンとはこの国の古語で、「黄金の獅子」を意味する言葉だった。
平民から男爵へ――。
傭兵オーレリオンの成り上がりは、民衆にとって成功の象徴となった。
「努力次第で、平民も騎士や貴族になれる」
その物語は、帝国が支配を正当化するための格好の神話にもなった。
「黄金の獅子」は、男爵の私兵となった。彼らには騎士の称号が与えられた。
時は流れ、オーレリオン男爵家は四代目となっていた。
かつての「黄金の獅子」は形骸化していた。傭兵たちの末裔は、特権を得たことで腐敗し、その威勢はすでになくなっていた。
オーレリオン男爵領もまた単なる不毛の大地であり、皇帝から下賜されたにしてはまりにも粗末な場所だった。
領地は経済的にあまり芳しくない状態だった。
初代は当初こそ領地再建に動き出していたが、やがて私兵を他の領地に貸し出す傭兵業から抜け出すことができないと悟った。
領地戦の代行や紛争支援などに駆り出される日々。そうした傭兵業によって生計を立てていたが、成功報酬だったため、支援した貴族が敗北すると無駄骨に終わった。
三代目。ルネの祖父に当たる人物は、戦術にも武芸にも秀でていなかった。
結果、三代目にして傭兵業も破綻し、ルネの父親に当たる四代目に至っては領地を維持するために借金を重ね、家臣すら手放す始末だった。
特に騎士たちを雇用することができず、屋敷からほとんどの人間が去っていった。
「これはよくないな……」
思わず口を突いた。
記憶が流れ込むほどに、オーレリオン家の現状は目を覆いたくなるものだった。
そして五代目として男爵位を継承予定のルネにはいくつかの問題があった。
第一に、病弱であること。
生まれつき身体が弱く、剣も満足に振れない。
父や祖父が傭兵として戦場を駆けたのに対し、俺は階段を上がるだけで息が切れる始末だ。
どう考えても、騎士や兵士の器ではない。
第二に、母親がすでに亡くなっていること。
生まれながらの病弱さは、どうやら母親譲りらしかった。
彼女はどこかの伯爵家の三女で、正直なところ「いてもいなくてもいい存在」だったようだ。
伯爵位という後ろ盾はあっても、三女ということで家族に蔑ろにされ続けていた。伯爵家ではすでに長男がいて家督を相続することができ、おまけに長女と次女はそれぞれ有力貴族と婚約していた。
伯爵家は男爵家の「黄金の獅子」に目をつけていた。没落したとはいえ、彼らの配下にいる騎士たちはいまだ一流だった。
財政が傾いてしまったため、騎士たちの汚職はあった。しかし、それを補って余りある武力を持っている。
傭兵業が破綻していても、四代目まで男爵家が辛うじて維持できていたのは騎士の優秀さによるものだった。
伯爵家は男爵に少額の支援だけして、いずれは騎士団を掌握しようと考えていたようだった。
だが、予想以上に男爵であるルネの父親は無能だった。領地経営の失敗により、母の病は悪化した。
結局、彼女はルネが幼い頃に亡くなった。
伯爵家は簡単な追悼文だけ送り、母の葬儀には来なかった。現伯爵は孫であるルネを気にする素振りすら見せなかった。
ルネには母親の実家の後ろ盾が存在しなかった。
だが、母親はルネのことを愛していた。
それだけが彼にとっての救いだったのかもしれないが。
第三に、母親の死後、父親が再婚したことだった。
相手は平民出身の女だったが、ただの平民ではない。
地方で商会を営む豪商で、貴族社会とのつながりを強めるために、男爵家との縁を望んだのだ。
後妻にはすでに二人の息子がいた。
ルネにとって継母は、恐怖そのものだった。彼女は自分の息子たちを溺愛し、代わりにルネを徹底的に虐げた。
暴力は日常茶飯事だった。
領地の収入や皇室から功臣の貴族に支払われる補助金は、すべて彼女の息子たちの遊興費に消えた。
家族の食卓に呼ばれることはなく、与えられるのは固いパンに、カビの浮いた野菜、そして底の見えないほど濁ったスープだった。
平民ですら食べないようなものをルネは無理やり食べていた。
ただでさえ病弱だったルネの体調がさらに悪化したのは言うまでもないだろう。
使用人ですら、ルネの味方ではなかった。
母親が伯爵領から連れてきた使用人たちは、皆継母に追放された。彼らは少なくともルネに好意的だった。
俺は部屋を見渡した。
不衛生な部屋の状況は、使用人がルネをとことん舐めていることがよくわかる。
男爵家の中で、彼は完全に孤立していた。
第四に、ルネが死んだことだ。
ルネは死んだ。
俺が転生しているということは、その魂が失われたことを意味する。
転生小説というやつは、死者に対してあまりにも無関心だ。
死ぬことをイベントのように扱い、「はい、次の人生どうぞ」と言わんばかりにページをめくっていく。
俺もそんな物語を好んで読んでいた。けれど、いざ自分がその「次の人生」に立ってみると、ようやく理解する――元の魂が死ぬということの、どうしようもない重さを。
ルネの生前の記憶が頭の中に流れて来るからこその重みだった。
病弱で、誰にも救われず、ただ静かに虐げられ続けた少年。
彼は、もうこの世界のどこにもいない。
……いや、違う。
ルネは、病死したのではない。
――殺されたのだ。
この部屋の中で、異彩を放っているものがひとつだけあった。四冊の本のほかに、綺麗に磨かれた水差しだ。
味方が一人もいない少年の部屋に、継母の息がかかった使用人がわざわざ清潔な水差しを置く。
そんな善意、あるはずがない。
つまり、この水差しか、あるいはコップの中の水に、毒が仕込まれていた可能性が高い。そして、なぜか―――俺にはその毒が効いていない。
考えられる仮説は二つだ。
一つは女神の力。
転生時に、俺がすぐ死なないよう何らかの加護を施した。
もう一つは、俺自身の力だ。
選んだジョブの中に、解毒効果を持つスキルが含まれていた可能性がある。
どちらも可能性としては十分に考えられるが、女神の権能であれば調べようのない領域だろう。だからこそ、自分の能力を確かめる必要がある。
俺は足に力を込めるが、やはり立ち上がれないようだった。全身に鉛のような重さがまとわりついている。
仕方なく、床を這いながら机の前まで進む。
そして、手を伸ばして、机の上に並んでいた四冊の本を、一冊ずつ床へと落とした。
四冊の本は『魔法』、『陰陽』、『降霊』、『暗殺』というタイトルがそれぞれ記されていた。
ファンタジーの知識はそれなりにあるが、
『魔法』はそのまま「魔法師」のジョブに、
『陰陽』は「陰陽師」に、
『降霊』はおそらく「召喚師」と「死霊師」に、
『暗殺』はそのまま「暗殺者」に対応しているのだろう。
中身を読んでみると、どうやらスキルブックのようだった。各ジョブでどのようなスキルが使えるかといった解説本か、図鑑のようなものだ。
筆者はそれぞれこの世界の人間のようだ。
俺は女神の言葉を思い出した。俺のいた「現実世界」にも異世界からの転生者を派遣して、小説として様々な異世界の物語を宣伝したと言っていた。
ならば、その逆もありえるだろう。
「現実世界」において魔法や降霊というものは「概念」こそ研究されていても、物理法則が「異世界」と異なるため、誰もそのようなファンタジックな「力」を持たず、使うこともできなかった。
だが、「異世界」ではそうした力が物理法則の中に組み込まれていて、誰しもが自然に使えた。つまり「概念」よりも先に「力」があったのだ。
この本のあとがきには、筆者の言葉が残されていた。
曰く、「私は神託を受け、この書を編むに至った」。
恐らく筆者も、俺と同じく女神によって「現実世界」から「異世界」へ転生した人間なのだろう。
異世界で学者として生き、この世界の法則を観察し、記述し、体系化したのだ。
いわばファンタジーゲームの攻略法を研究するブロガーのようなものだ。
その労力と執念には、頭が下がる。
そうした先駆者のおかげで、転生の土台が完成されているのだろう。
どこの誰かは知らないが、感謝しておこう。
さて、今俺に必要なのは、現状どうやればジョブスキルを使えるということだ。
それにも考えがあった。
まず俺は『魔法』のスキルブックを開いた。そこには、使える魔法の名称、詠唱の手順、難易度、そして魔力消費量まで、細かく書かれていた。
魔力とは、魔法を使う際に消費される力のことだ。
陰陽師なら呪力、召喚師や死霊師なら霊力、そして暗殺者はこれらいずれかの力を媒介に、特殊なスキルを発動させるという。
問題はその「力」がどの程度、俺に備わっているかだ。
一般的にスキルブックの「入門」にあたる箇所では、最初に魔力量の確認を行うことが推奨されていた。
自分にどの程度の魔力や呪力があるのかは、ある程度「自己理解」のスキルを通して感覚的に認識することができる。
ただ、この世界にはもう少し制度的な仕組みもある。
それが年に一回、聖教会によって実施される健康診断だ。数値は努力や訓練で上昇し、記録され、その結果は個人宛てに送られてくるらしい。
こうした診断は聖教会の医療部が貴族や学校、商会、ギルドなどを相手に手広く行っている。
ちなみに診断料は階級によって異なり、貴族や皇族は高額だ。
まずは、スキルブックの冒頭に記された「自己理解」を試してみることにした。
俺はゆっくりと目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませる。耳を澄ませ、呼吸を整え、感覚のすべてを内側へと向けた。
すると、胸のあたりが、かすかに熱を帯びる。その中心に、水の入った壺のような「器」のイメージが浮かび上がる。
どうやら、これが魔力の源らしい。
器が溢れんばかりに満たされているならば、魔力や呪力は満タンであるということだ。
人が一人につき、イメージに出てくる壺は一つらしい。
だが、俺の場合は少し異なっていた。
無数の巨大な壺が俺の周囲を取り囲むようにしてそびえたっていた。しかし、どれもヒビが入り、枯渇していた。その光景は壮大というより、むしろ不気味だった。
「なんだよこれは……」
思わず呟きながら、『魔法』のスキルブックを再び手に取る。
巻末の脚注に、小さな文字でこう記されていた。
壺のビジョンは人によって異なる。巨大な壺がイメージとして投影された
場合、その者は《大魔法師》になる器を持っていることになる。そして、
地平線まで壺が果てしなくそびえたっているイメージが投影された場合、
その者は《祝福を授かった者》である。祝福とは「再生の女神」である
エルセホネによるものである。通常、これら二つのイメージが投影され
ることは絶対にありえない。《祝福を授かった者》とは前世にてエルセホネ
によって一つの祝福を得た者であり、その者は厳しい鍛錬と経験の末に
その壺を大きくしていくからである。
あの女神め。
ジョブを「奮発」した結果、こんな妙なシナジーが生まれたというわけか。
だが、魔力が枯渇していては話にならない。名画を描く画家が、乾いた筆で絵を描くようなものだ。
まさか最初に夢を見せておいて、あとから絶望を味わわせるつもりじゃないだろうな。
しかも俺にとって最大の懸念事項は「めんどくさい」だ。
女神が「転生」を持ちかけてきたとき、正直なところ、俺の希望はただ一つだった。
何もせずに生きていけるスキルが欲しい。
寝ていても、勝手に問題が解決する。
食って寝てるだけで、世界が救われる。
転生先の面倒臭いことを全自動でやってくれるようなスキルが一つでもあれば、転生も悪くないと思ったのだ。
そこで魔術師と陰陽師、召喚師、死霊師に注目したのだった。
この四つのジョブには、ある共通点がある。
「よっしゃ。とりあえず試してみますか!」
俺はそう言って『魔法』のページをぺらぺらと捲り、あるページで指を止めた。
「難易度は初級から上級まであるのか……なになに……」
俺はそして、そこに記されていた呪文をそのまま唱えた。
すると、空気が震え、閃光が弾け、煙が舞う。さらには自分の胸の中にあった壺から潤いが少し失われたのを感じた。
そして目の前に現れたのは。
「お呼びでしょうか、ご主人様」
一匹の猫だった。
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