#02 転生?だが断る
疲れているときに人は何を思うだろうか。
人は疲れた時に「癒し」を求める生物である。そう言えば聞こえはいいが、実のところ人間は「休息」を欲しているだけなのかもしれない。
男にとっての癒しが美女だというのなら、それは幻想だ。
現実には、寝たいものは寝たいのだ。
目の前にいるのが例えグラビアアイドルだろうが、海外の爆乳金髪美女だろうが知ったことではないのだ。
そんなことはどうでもいい。
原始的な眠気が脳を支配してしまえば、性欲など紙切れのように吹き飛ぶ。
結局のところ、性欲とは「余裕のある人間」だけが持てる高等な本能だ。
つまり──本能にも、余裕が必要なのだ。
「細山田小太郎……」
女は、わざとらしくも優雅な仕草で俺の名を呼んだ。
普通なら「はい」と答えるところだが、今の俺にはその二文字すら面倒だった。唇を動かすのも、思考を回すのも、すべてが億劫だ。
「あなたは不遇な人生を過ごしてきました」
穏やかなのに、鼓膜ではなく脳や心臓に響き渡るような声だった。
まるで音そのものが魂に染み込んでくるような、そんな感じだ。
目の前の女は、まるで日本神話から抜け出してきたような姿をしていた。
白と金を基調とした和装は、風もないのに静かに揺れ、黒髪は夜空のように滑らかだ。
その瞳は、星くずを閉じ込めたように淡く光を放っていた。
車に跳ねられる直前の記憶があるため、俺は恐らく死んでしまったのだろう。
ここは、恐らくあの世というやつなのだろう。
周囲を見回しても、何もない。
地平も空も区別できない、真っ白な空間。
そのど真ん中に、俺の「意識」だけが浮かんでいるような感覚だった。
手も足もない。
感覚すらない。
ただ、女の声だけが、まっすぐに頭の中へと染み込んでくる。あるいは俺の意識の中に溶け込んでくるだけだった。
これが魂が浮遊した状態なのだろうか。
「だからこそ、私たちのような高次の存在は、あなたのような人間に『選択』の機会を与えるのです」
女神の声音はとても静かで透き通っていた。アニメで言うなら早見●織みたいな声だ。
しかし、高次の存在がチャンスを与えるというのは、いったいなぜなのだろうか。
死んだ人間に理由もなく機会を与える。そんな慈悲が、タダで存在するとは到底思えなかった。
「世界というものは、常に『黄金律』によって成り立っています」
女神はゆっくりと手を広げた。
その仕草に呼応するように、白い空間に渦が生まれる。
光が集まり、円を描きながら回転し、やがて幾重にも重なる螺旋となって空間を満たした。
その渦を囲むように、小さな光の球が規則的に軌道を描く。
光は静かに明滅を繰り返し、回転の速さを変えながら、一点の中心へと収束していく。
やがて、そこに天秤が現れた。
左右の皿はゆっくりと揺れていた。
光の球は無数に分裂して、その上へ均等に並べられていく。
―――これが、黄金律か。
「人間と動物の脳の形状、臓器の配置、液体の比率。人間が理性を得たのはまさしく黄金律があったからこそでした。惑星の自転と公転の関係や潮の満ち引き、季節の循環、こうした自然もすべては一定の比率と均衡――黄金律の上に存在しているのです」
女神の声は、子に絵本を読み聞かせる母親のようにゆっくりと優し気に響き渡った。
幸福と不幸。
生と死。
秩序と混沌。
それらもまた、対を成す比として釣り合うことで世界は安定するのだと女神は言った。
「世界にはあらかじめある一定の結果に収束するよう定められています。黄金律が保たれている限り、世界がその結果に収束していきます。それは運命とも表現されますね」
光の玉が積み重なっていく天秤の前に、一本の光の線が現れた。様々な光の玉がその線に集まり、束となっていく。
女神はその様子を見つめながら静かに言った。
「しかし、世界とは複雑化するものです。人間社会が複雑化するように……。すると本来あるはずのない変数が生まれ、別の結果を生み出そうとします。これを『揺らぎ』といいます」
光の玉がひとつが赤くなっていく。光の線がやや赤く染まって揺らいでいく。見ると、黄金律を表す天秤の皿から光がいくつきあこぼれていた。
その瞬間、均衡がわずかに傾き、世界の表面に波紋が走る。すると赤い玉が増え、線を赤く染め上げて行く。
さらに天秤の皿の外側にあった光の玉が零れ落ちて、天秤がわずかに揺れる。
「例えば、それは富」
偶然買った宝くじで億万長者になる。たまたま選んだ株が高騰して財を成す。
そうした運という変数の積み重ねが均衡を揺るがし、線を揺らがせていった。
人々はその運を掴み取るためにさらに富を費やす。
一人一人の奇跡が肥大化し、さらに富を費やす。
「偶然というのは無知の言葉に過ぎません。世界は単純な自然法則で成り立っているのです。人間は偶然というものを誤解し、それを信仰として、暴騰させつづけてきました。神様お願いしますというやつです」
女神の声が冷ややかになる。
光の天秤がわずかに傾き、皿の上の光が一斉に震えた。
「そもそも『運』が支配するマネーゲームは、物事をより複雑化します。十億円を当てた男がいたとしても、それは彼の幸運ではありません。彼は十億円を得たのではなく――いずれ相当額を得るという結果が既に存在したにすぎません。彼は本来、定期的に一定の富を得るはずだったのです。さらにはそうしたマネーゲームに参加して予定よりも早く富を失う人間も現れます。そうした存在しない幸運や人間の欲望、そしてマネーゲームという制度が変数となって、世界に生じる結果に揺らぎを生じさせるのです。本来ならば、あるはずのなかった結果が生まれかけてしまいます。すると黄金律は一方に傾いてしまうのです」
言葉と同時に、天秤の片側が急激に沈み、もう一方の皿から光の粒がこぼれ落ちた。虚空に散ったそれらの粒は、遠い星々のように瞬きながら消えていく。
女神は淡々と続けた。
「あなたのように、貧困にあえぐ人間が存在するのは、宇宙の『防衛反応』でもあります。一人が過剰に予定外の富を得れば、世界はバランスを取るために、無数の貧困を生み出します。それによって、富の総量――すなわち黄金律は保たれる。けれどそれは同時に、『幸不幸の黄金律』の崩壊を意味します。幸福が極端に偏れば、その裏で、同等の不幸が生まれなければならないのです」
だが、富が幸不幸と直結しないこともある。富を持っている人間が不幸に陥り、貧困である家族が少しの奇跡で幸運を感じることもあるからだ。
黄金律が崩壊するとどうなるのだろうか。
「世界が、滅びます」
女神の声音が少しだけ低くなった。
「富の黄金律の崩壊の原因は、人間が経済や貨幣、あるいは価値というものを複雑化させてきたからだといえるでしょう。もとより、物々交換の時代は最小単位のクニが損をしたり、得をしてきたりしました。あなたの住んでいた日本にも、実際には多くのクニやムラが存在しました。そこでは貨幣ではなく、物資がものを言いました。至極単純な世界です。この中では損をする人間も、得をする人間も、クニ単位では生じますが、実際にはそれほど多くなかったわけです。これが農業の体系化に伴い、人口が増えると、クニは肥大化し、それを効率的に管理する様々な制度が生じ、共同体が生まれました。ここから世界は徐々に複雑化していくのです。最初は人種や種族の問題であったのが、やがて言語や文化大系まで細分化し、様々な宗教が生まれ、ついには社会と国家が生まれ、そして思想が生まれ、最後に世界は個人の自由を手に入れました。昔は制御できていた世界が、今ではもはや制御不能となったわけです」
複雑化した世界は、新たな変数を生み出し、黄金律を崩壊させ、結果の収束が揺らぎ続けるという。
「黄金律は変数が多ければ多いほど不安定になります。世界の複雑性というやつです。複雑化しすぎた世界は、自らを保つために単純化へと再構成されていく傾向にあります。そのためには『破壊』が生じます。戦争、飢餓、感染症――それらはすべて、世界が均衡を取り戻そうとする『自浄作用』に過ぎません。こうした破壊プロセスは、黄金律を構成する変数――無限に拡散し続ける思考や欲望を生み出す人類をリセットとする自然法則なのです」
まるで自己組織化されたシステムではないか。
要するに俺が生まれた世界というのは黄金律を保たないと滅んでしまうから人間を間引くために戦争や紛争が起きたりしていたということだろうか。
「あなたの死もまた、その揺らぎを是正する一つの解でした。あなたは自らを犠牲にし、負の連鎖に飲み込まれ、家族をすべて失った。これは本来ならばあなたの長い寿命の中で緩やかに起こるはずでした。しかし、黄金律が崩壊しかけてしまったため、あなたには生命の本能すら枯れるほどの不幸が押し寄せました。しかし、それは世界の天秤を戻すほどの重さを持っていたのです。あなたの『死』は世界が均衡を取り戻すために必要な『結果』だったのです」
女神は淡く目を閉じた。
言葉の余韻が、俺の意識に深く沈んでいった。
そんなスピノザ的な自然観を持ち出されたところで納得できるわけがない。俺のような人間でも道徳や因果応報というものがこの世にあると信じていた。
善い行いには善い結果があるはずだ、と。
だが、全ては自然によってもたらされるのだとしたら、この場にいる女神のような存在も「ただそこにある」だけの張りぼてじゃないか。
「その通りです。あなたたちのいる下界に直接介入する力など、神にはありません」
戦争や貧困が起こるのも、台風や地震が来るのと同じ力学なら人間がいくら立ち向かっても抗えないということではないか。
もし全てが自然の法則なら、正義も罪も、偶然の延長線上にあるということだ。
両親の死も、貧乏も、妹の蒸発も、俺の死も。
これまですべてのことは自然に報われない。
こんな茶番劇に付き合い続けてきた人生だったのか。
笑えもしない。
泣くほどの気力も残っていない。
「そこで、高次の世界ではあなたたちのような人々に第二の生を与えることにしてました。これが私たちにできる唯一の補償なのです。本来ならば、あなた自身も九十歳まで生きる予定でした。その中で緩やかに家族を失い、富を失うという結果があったのですが、黄金律の修正があなたの結果を早めたのです」
俺は、ただただ世界の黄金律とやらにあきれ果てた。
「しかし、あなたのような転生者が赴く世界は、黄金律が崩壊しかけている場所です。しかし、あなたは世界の均衡を保つ使命を与えられた存在になれます。変数の揺らぎが一つの時期に集中したことによって、黄金律が結果を修正しきれず、天秤が大きく傾いた世界には、もう一方の天秤へと傾くように重みづけした転生者を送ります。そしてそれこそが勇者という存在なのです」
嫌な予感がした。
この後の展開はだいたい決まっている。
この女神の次の言葉を当ててみよう。
―――あなたは勇者になれる。
「あなたは勇者になれるのです」
まんまだ。
まるでお決まりのテンプレートがあるようなセリフだ。
しかし矛盾している。
さっきの話では、女神様は下界の出来事に直接介入することができなかったのではなかったか。
「その人が生まれる前は、です。それに前世で黄金律によって間引かれた人間は、不幸、貧困、悪といった人間性の均衡が崩壊した存在です。あなたの幸福度を底上げして、なおかつ黄金律が傾いている異世界に転生させることこそが重要なのです」
まるで、今までも同じような人間が何人もいたような口ぶりだ。
「その通りです。俗にいう異世界転生の物語は、黄金律を調整するために転生者を送り込んだ別の神が記録した実録ものです」
ルポルタージュだったのかよ……。
「さあ、細山田小太郎。あなたはこれより神の権能を一つ授けます。そして記憶をそのまま受け継いで、異世界の勇者となり、人々を救うのです」
転生か―――。
俺も一時期はかなりハマって読みこんでいた。金がなさすぎて原作なろう小説しか読んでなかったが。
今でも憧れだった主人公たちが思い浮かんでは消えて行く。
スライムになったり。
骨になったり。
蜘蛛になったり。
おっさんがそのまま異世界に転移したり。
おっさんが剣星になったり。
おっさんが貞操逆転世界に行ったり。
おっさんが美少女になったり。
おっさんが悪役令嬢になったり。
おっさんが―――。
「おっさんものに偏りすぎてませんか?」
気のせいですよ、女神様。
「それで……あなたはどんな権能が欲しいですか?」
そうですね……転生か。
転生っていいですよね。
俺も憧れていました。
なんというか、レベルカンストしたまま第二の人生を送れるって最高ですよね。
「ええ。皆さん感謝を述べてくれていますね」
そうですか、そうですか。
それでは女神様。一つ不躾ならが質問よろしいでしょうか?
「なんでしょう?」
素人考えで恐縮なのですが、ここで拒んだら転生ってできない感じですよね。だいたい、そんな感じで皆さん転生による第二の人生を選んできたように思えます。
「そうですね。二つ目の選択として、ここで魂を循環させ、まっさらな状態に戻して輪廻転生をさせます。プロセスは変わりませんが、異世界転生と違って、前世の記憶を失うということだけ覚えていてください」
ちなみに第二の選択をした場合、転生先は選べますでしょうか。
「ランダムです。動物や昆虫、植物に生まれ変わることもあるかもしれません。楚の場合、人間のような理性はありませんが」
そうですか。
そのなんといいますか、それも拒んだらどうなりますでしょうか?
「輪廻転生自体を拒むってことですか?」
そうなりますね。
「その場合、あなたの魂は無に還ります。普通は魔族とか悪魔に堕ちた人間だとか天使だとかがそうなっちゃいますけどね」
無に還るということは、詰まる話、俺という存在そのものが消えてなくなるということでしょうか。
「紙を燃やすと跡形もなくなりますよね?あれと同じです」
無に還った存在はどうなるのでしょうか。
「新たな生命のエネルギーになります。無というのは存在の極致ではなく、単に形を持たないということなのです。あなたは今、意識だけの存在ですが、存在である以上、形があるのです。ですが無はその形が溶けた状態で混ざっていき、そこから別の形をした存在になっていくのです。しかしその存在はあなたという形ではない別の何かです」
なるほど、それは良いことを聞きました。
俺はふぅと溜息を漏らした。意識だけの存在でも呼吸のようなものはできるのだなと思った。
「そんなことを聞いてどうするのですか?」
女神様。俺、決めました。
「そうですか。それで権能は何にしますか?」
俺を無に還してください。
「………は?」
女神の目が見開かれた。
光の粒が一瞬止まり、白い空間が静まり返る。
「あ、あの。私の聞き違いか、あなたの言い間違いですよね? 『転生させてください』って言ったんですよね?」
いいえ。
無に還してください。
「な、ななななんでやねん!」
女神がツッコミを入れた。
荘厳な空間に、場違いな関西弁だった。
「普通、第二の人生を謳歌したいって思うでしょ! スローライフ楽しみたいんじゃないですか!? あなた以上の元社畜の皆さんだって、魔力カンストで便利に過ごしたり、異世界でカフェやって世界救ったりって人がいたんですよ!」
わあ、それはめんどくさそうですね。
だが、断る。
「なんでやねん!」
二度目のツッコミが入った。
女神様、俺は何も考えなしに無に還りたいと言っているわけじゃないんですよ。
「どういうことですか?」
何というか、考えるのを止めたいんですよね。
「何を言ってるの?」
その声は、ほんのかすかに震えていた。
まるで恐ろしいものを見るような目で女神が俺を見つめていた。
俺の前世を見ましたよね。
黄金律でしたっけ? これに打ちのめされて、散々な目に遭いましたよ。
それでこの天界で、女神様が答え合わせをしてくれたわけです。
「と、いうと?」
結果論なんですよね。
ならば、俺が異世界に行ったところで、結果はたいして変わらないんじゃないですか?
「そ、それは……まあ」
黄金律がある限り、その天秤を調整するために転生者を送り込むってことは、 すでに出来上がっているゲームシナリオのリメイク作品で、オリジナルを壊さない範囲で新人ライターが新展開を書かされてる、そんな感じですよね。
「嫌に具体的ですね。いや、そうなんですけどね」
で、転生者は黄金律の調整を受けて異世界で楽しく過ごせると。
「まあ、魔王がいたり、戦争の危機だったりはしますけど」
あ、余計めんどくさいですね、それ。
「さっきからめんどくさいって何なんですか、あなたは!」
女神が少し顔を赤くして、声を上げた。光の粒がその衝撃でふるふると震える。
いやね。前世の黄金律のせいであれだけ苦労したのに、また苦労させられそうだなって思ったんですよ。
もう自分がこうして意識の状態で女神様と会話しているのも実はめんどくさくて。
「不信心な……」
それに権能でしたっけ?
あれでしょ?
剣が強くなったり、魔力が常人より優れていたりって特典ですよね?
「まあ、ぶっちゃけそうです」
あー、めんどくささが青天井ですね。
「どういうことですか!」
だって、異世界に転生して超人になるんですよ。スパイダー●ン観てませんか?
「大いなる力には大いなる責任が伴う」ってあれですよ。
あれ本当にめんどくさいですよ。
だって、人を助けたりしないと文句言われたり、助けても敵作って酷い目に遭うじゃないですか。彼女が死ぬとか最悪な展開があったりしますし。
正直、俺にそんな責任負わされましても……。
「ですが、黄金律を調整するために世界を救うってことは重要でして」
でも救った後の世界もどうせ変わらないですよね。
例えば、魔王を打ち倒したところで人間同士の争いは枚挙に暇がないですし。種族間の争いだってあるでしょうよ。エルフを奴隷にする人間がいたり、ドラゴンに呪いをかけられる人間がいたり。
もうそうなればみんな魔王じゃないですか。
「それをいっちゃあ、おしまいですよ」
でも事実じゃないですか。
黄金律を調整する程度ってことは、結果はわかりきってますよね?
前世でも人間だけの世界であれだけの戦争が途切れることなく続いているんですよ?
それに転生者が前世の知識を使って「自由」とか「平和」をもたらすっていっても、どうせ一過性のものですよね?
だって黄金律の調整が入るなら、転生者が天寿を全うした後にまた人類が絶望するような状況が何度も繰り返されるんですよね?
俺はそんな結果が分かり切っている無駄なことをやりたくないのですが。
「で、ですが……無に還ってしまうとあなたの存在がなくなるんです! それだと―――」
それだと?
「それだと私の査定に響くんですよーーー!」
ですよー
ですよー
すよー
よー……。
女神の声の残響だけがむなしく反響した。
俺は、この状況だと堂々巡りの口論になると考え、面倒くさいがいくつか考えることにした。
無に還りたい理由は単にこれ以上、物事を考えたくないからだ。考えたところで世界はある一定の結果に収束してしまうのならば、これ以上何をやっても無駄なのだから。
だが、黄金律というものは少なからずその結果を達成できない、この世界で唯一の「原因」となるものを修正する自己再生プログラムのようだ。そして黄金律が崩壊すると、これらは自爆スイッチのような自己破壊プログラムへと変貌すると言った具合だろうか。
世界は一つの収束点へと突き進むが、収束点を動かす「揺らぎ」もまた存在する。
宇宙の摂理的なものが「決まった結果へと予定通り進むこと」であるならば、そこに揺らぎが生じて黄金律が調整するのは宇宙的危機の訪れといえなくもないだろう。
その黄金律すら崩壊すれば、宇宙は死ぬということか。
その黄金律の天秤を一定に保つための最終手段が「転生者」だろう。
女神によれば、すでにその世界に生まれた人間では、ただ黄金律の調整のために世界から振り落とされるだけで、真の調整役になることはできない。転生者は黄金律の天秤をいつでも揺り動かせる存在ともいえるだろう。
バグばかりのゲームの修正パッチに近い。
転生者の責任は非常に重い。
黄金律を崩壊させるような変数を排除して均衡を保ち続けなければならないのだから。
しかもそれがこの女神の査定に響くとかいう理由だ。
そりゃそうだ。
こいつらにとって「宇宙」や「世界」といったものは無数にある。いろんな世界から人間を引っ張ってきては異世界に移動させるだけ。
いわばこいつら神は現場を知らない無能上司!
差し詰め、転生者は現場監督や中間管理職!
割を食うのはどんな存在だろうか?
決まっている!
後者の人間だ!
めんどくせ……。
「今、めんどくさいって思いましたね!」
そりゃあ、だって……ねえ?
「くうう! 今まで人間といえば異世界転生で喜ぶ存在だったのにぃ! そのためにあなたたちの世界にも異世界からの転生者を送り込んで、作家にして、転生ライフを宣伝させたというのに!」
なろう小説って、女神の下請けだったのかよ。
もはやプロパガンダじゃねえか。
「宣伝効果があったからこそ、皆さん疑うこともなく快く転生してくれたのに……あなたのようなケースは初めてですよ……。今まで私たちの業績はオール転生で、人間は全員異世界に送り込んでいたのに、これでは私が神史上初めての転生拒否者を産んでしまうんです! ね? お願いです! どうか!」
女神は崩れ落ちるように額を床につけた。
……プライドは、ないのか。
「だってこのままだと査定に響きますもん! プライドで飯は食っていきませんもん!」
「もん」やめろ。
じゃあ、思考放棄しつづけても勝てる権能とかないですか?
「あ る わ け な い や ろ ! そんな権能あったら、私が使ってるわ!」
確かに。転生者の選別とか、異世界に送る際の手続きとか大変そうですよね。
そういえば、気になったんですけど「権能」っていうのは具体的に何なのでしょうか?
「言い忘れていましたね。オンラインのRPGのゲームだと、キャラクターのジョブを選択できますよね? 端的に言えばあれです」
どんなジョブが選択できるのです?
「たくさんありますよ。リストをお見せしましょうか?」
そう言って、女神は何もない空間から分厚い本を取り出した。中を開くとそれは図鑑のようで、無数のジョブが記されていた。
剣士、騎士、聖騎士、魔法使い、錬金術師、侍、戦士、弓術士……。
たくさんありますね……ところでこの中からジョブは一つだけしか選べないんですか?
「ええ。規則ですから」
でもぉ、俺は無に還れればそれでいいんですよねぇ。
「そうは言っても規則で―――」
じゃあ、無に還ります。
「二つまで可能にしましょう!」
十個で。
「いやいや、いくらなんでもそれは……三個までですよ、それ以上はいくらなんでも無理です」
九個じゃだめですか?
「無理ですよそんなの! 三個です!」
じゃあ七個は?
そうでないと無に還っちゃいますよ?
「うぅ……なら四個!」
あーあ、もう無に還っちゃおうかなぁ。
「くぅぅ~、じゃあ五個です! もってけ泥棒!」
ならここにある、「魔法師」、「陰陽師」、「召喚師」、「死霊師」、「暗殺者」の五つをください。
俺は早口でまくし立てた。
女神はしまったという顔をした。
こちらが最初からふっかけていたことに、ようやく気づいたらしい。
女神との値切り交渉という資本主義が生み出した悪魔のコミュニケーションを終えると、俺はようやく異世界行きも悪くないと考えるようになった。
「五つも権能を渡したとかバレたら、始末書と減俸かな……ふふ」
女神は先ほどの威厳を失い、どこかやつれた顔をしていた。
まあ、無茶を言った自覚はある。
けれどもう、これ以上は何も考えたくない。異世界では、ただ寝ていられればそれでいい。
「その代わり、黄金律が今にも崩れそうな世界に送りますからね!」
まあ、それでもいいですよ。
そういえば、世界が崩壊したら俺はどうなるんですかね?
「そりゃあ、無に……」
なら崩壊させた方が早く片付くだろうな。
「何としてでも、あなたは強制的に転生させますからね」
……ちぇっ。
「まあ、それはそうとして……細山田小太郎。いいえ、この名前のあなたを見るには今日で最後でしょう。転生先でのあなたには新たな名前、新たな人生が与えられます。どうかその権能を使って、黄金律を調整してください」
女神が天を仰ぐと、視界が白く滲みはじめた。
意識が少しずつ薄れていく。
「幸運を祈っております」
なんやかんやあっても、最後に向けられた笑顔は不思議と優しかった。
もしかしたら、先ほどまでのコミカルなやり取りも、全て計算のうちだったのかもしれない。
「ふふふ……これが私の素なんです」
そうでしたか……。
俺は、その言葉を最後に、完全に光の中へ沈んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます