第9話 パパ、教えるの上手だね

 厨房に男が二人。

 店名が刺繍された深緑のエプロンを羽織り、不本意ながら蓮城と俺はペアルックを決めることになった。


「とにかく中華の基本からやってみるか。餃子はもちろん知ってるよな?」

「当然っす! 大好きっす!」

「じゃあ、餃子に必要な材料をお前が探してきてくれ。調味料は冷蔵庫の隣の棚だ」

「えっ!? ……が、頑張るっす!」


 最初は自信満々だった蓮城の顔が、一気に不安の色に染まる。

 もちろん、正解など期待していない。

 こいつの知識レベルを測るためのテストだ。


「おい……なんで冷凍庫を漁ってんだ?」


 ……開幕早々、雲行きが怪しい。


「まずは冷凍餃子っすよね? 俺、レンチンならしたことあるけど、フライパンで加熱したことないんっすよ。師匠、しっかり教えてください」

「……アホか。そんなもん客に出せるか」


 俺の想像を悪い意味で超える知識量ゼロだった。


「そうなんっすか……。俺、てっきりレンチンとフライパンが素人と料理人の差だと思ってたっす」

「わかった。質問を変えよう。お前、餃子の中には何が入ってると思う?」

「肉……と野菜」


 間違いではないが……解像度が低すぎる。

 このままではらちが明かないので、俺から正解を提示することにした。


「餃子のあんにはな、いろんなものが入ってる。店によってまちまちだが、基本はキャベツ、豚ひき肉、ニラ、生姜、ニンニク。調味料は醤油、ごま油、砂糖、塩、胡椒、オイスターソースってとこだ」

「砂糖と塩を両方入れるんっすか?」

「そうだ」

「なんでっすか? プラマイゼロじゃないっすか?」

「甘さと塩辛さは打ち消し合うもんじゃない……。対比効果で旨味を引き立てるんだよ。スイカに塩をかけるようなもんだ」

「なるほど! そういう理屈なんっすね。勉強になるっす!」


 大学を出てるくせに、そんなことも知らないのか。

 無名大学なら誰でも金を積めば入れると聞いたんで、おそらく、前世のこいつもそういう類の人間なのだろう。

 俺は料理一筋、高校では常に赤点回避に必死で、大学受験なんて眼中にすらなかったから偉そうなことは言えんが。


「じゃあ、さっき言った材料を出してくれ」

「了解っす、おっさん!」

「職場でおっさんはやめろ……。前世でも上司をおっさん呼ばわりしてないだろ?」

「そうっすね。……えっと、じゃあ親分!」

「俺はカタギだぞ」

「お父さん!」

「気色悪い、やめろ」

「師匠!」

「……まあ、いいだろう」


 ──師匠か。 悪くない響きだ。


 若かった頃は一端の従業員だったし、故郷で開いた俺の店はずっとワンマン経営だったので、部下を持つのは初めての経験だ。

 教え導く立場というのは、案外悪くない気分にさせてくれる。


「師匠、ニラってどんな野菜っすか?」


 冷蔵庫に顔を突っ込みながら蓮城が聞いてくる。

 こいつは本気マジなのか……?

 スーパーの青果コーナーを素通りする人生を送ってきたのか?


「緑色の細長いやつだ。ネギに似てる」

「ネギなら知ってるっす! ミ◯とかカモネ◯が持ってるやつっすね」


 確かにネギはフィクションで多用されがちではあるが……こいつは切り刻まれてないネギを現実で見たことがないのか?

 こいつ、自宅の台所に足を踏み入れたことすらないらしい。


「まずは野菜を切るぞ。包丁の使い方はわかるか?」

「簡単っす!」


 蓮城が包丁の刃を鷲掴みにしようとしたので、俺は慌ててその手首を掴んだ。


「馬鹿野郎、指を落とす気か! ここの包丁は全て俺が研ぎ澄ませた業物わざものだぞ。いいか、こうやって──」


 柄の握り方、添える丸めた手、まな板に対する立ち位置。

 基本中の基本を叩き込み、手本としてキャベツを半分ほど千切りにしてみせる。

 タンタンタンタンッ、と小気味良い音が厨房に響く。


「神業っすね……残像が見えたっす」

「お前の番だ。やってみろ」


 俺は柄を向けて包丁を渡す。


「こうっすか?」


 蓮城が包丁を握る。

 瞬間、空気が変わった。


 ──トトトトトトトッ!


 目にも止まらぬ速さで上下する刃。

 完璧なリズム、均一な幅、そして迷いのない手つき。

 俺が数年かけて身につけた所作を、こいつは一瞬見ただけで、コピー機のように完全に再現してみせた。


「お、おう……」


 まさか、ここまで完璧に模倣されるとは……。

 俺のささやかな自尊心が、千切りキャベツのように細切れになりそうだ。

 やっぱり大卒ってのは、俺みたいなのより物覚えがいいのか?


 いや、きっと俺の教え方が天才的だったに違いない。そうに決まっている。


「野菜を切ったら、次は豚肉だ。調味料を加えて粘り気が出るまで練るぞ」

「量はどのくらいっすか?」

「適当だ」

「測らないんっすか?」


 初心者に「適当」は酷か。

 長年の勘で体が勝手に動いてしまうので、言語化をサボってしまった。


「最初は測った方がいいな。蓮城、あっちに計量スプーンが──」

「わかったっす。じゃあ、師匠が一度やってみてください。俺、それ見て覚えるんで。とりあえず肉の量との比率を目で盗むっす」

「お、おう」


 ……一度見ただけで覚えれるのか?


 こいつのおそらく無根拠な自信が恐ろしいが……さっきの包丁さばきを見る限り、蓮城には料理人としての才能があるのかもしれない。

 もしそうなら好都合だ。スイラン姐ちゃんはまったくもって頼りないのだが、こいつなら即戦力になる。


「練り終わったら野菜を加えて混ぜる。これで餡の完成だ。次は包むぞ。冷蔵庫から作り置きした皮を出してくれ」

「了解っす」


 俺は皮を一枚手に取り、スプーンで餡をすくった。


「いいか、ここが重要だ。餡の量は多すぎても少なすぎてもダメだ。多すぎれば皮が破けるし、少なければ貧相で食べた気がしない。皮の縁に水を塗って、こうやってヒダを作る……」


 親指と人差指を使い、器用に皮を折り込んでいく。


「隙間なく閉じるのがコツだ。焼いてる最中に肉汁が逃げたら台無しだからな」

「なるほどっす」


 俺たちは着々と二人がかりで生餃子を作成していった。


「……で、並べたら熱したフライパンに油を敷いて焼く。やってみろ」

「了解っす」

「焼き色がついたらお湯を入れて、蓋をして蒸し焼きだ。最後にごま油を回し入れて、カリッと仕上げる」

「はい!」

「最高の焼き加減だ。さっさと火を止めて、皿に移せ」

「わかったっす!」


 ジュウウウウッ!


 香ばしい音とともに、食欲を刺激する強烈なニンニクとごま油の香りが立ち上る。

 完璧な焼き色の羽根つき餃子。蓮城の初作品が完成した。


「一つ味見してみろ」

「えっ、客に出す前にいいんっすか?」

「まずいものを知らずに出しちまうよりはマシだろ。まあ実際、この餃子はもうどうにもならんが、スープとかなら後から調味料で調整できる。どちらにせよ味付けがズレていないか、常に確認する癖をつけるべきだ」

「なるほどっす! いただきまーす!」


 蓮城は焼きたての餃子をそのまま口に放り込んだ。

 ハフハフと熱がりながら噛み締め、次の瞬間、彼の目から滝のような涙が溢れ出した。


「んぐっ、んぅぅ……美味い……! 外はパリパリで、中は肉汁がジュワッて……! これ、最高っすよ師匠! ……本当に俺が作ったんっすか?」

「ああ。全部お前の実力だ」

「……師匠ぉぉっ!」


 感極まった蓮城が、汗と油の匂いを漂わせながら俺に猛然と抱きついてきた。

 暑苦しい! そして、娘と違って全然柔らかくない!


「ありがとうございました! 俺、感動っす!」

「わかった、わかったから離れろ! 外で待ってる女どもに、その最高傑作を食わせてやれ」


 蓮城は餃子の皿を神聖なものかのように慎重に捧げ持ち、意気揚々とホールへ旅立った。

 満面の笑みで蓮城が出した餃子を、スイラン姐ちゃんと乙音ちゃんが口に運ぶ。

 サクッ、という小気味良い音。

 二人は同時に目を見開き、やがてとろけるような恍惚の表情を浮かべた。


「はふぅ……あったかくて……とっても安心する味です……。口の中が幸せで満たされていくみたい……」

「いいネ〜。誠のいつもの味に、イケメンの出し汁が混じった感じだヨ」


 イケメンの出し汁って表現、なんか不味そうなんだが……まあ、褒め言葉として受け取っておこう。

 褒められて鼻の下を伸ばしている蓮城を横目に壁に寄りかかっていると、スイラン姐ちゃんが忍び寄ってきた。


「アンタ、いい趣味してるネ」


 耳元に唇を寄せ、スイラン姐ちゃんが小悪魔のような笑みを浮かべる。


「どういう意味だ?」

「乙音ちゃんだヨ。ピッチピチのギャルじゃん。なのに、アンタみたいなおっさんのことをすごく信頼してるヨ。やっぱり、アンタ──」


 ツン、と俺の胸板を指先でつつく。


「──ここが大きい若い女が好きネ?」

「おい! 勘違いするな。あいつは娘の友達なだけだ」

「ふーん、本当にそれだけかナ?」


 よ、余計なお世話だ。


 確かにゲームのあいつは何度も攻略したし、オカズに使えるCGをコンプするために夜な夜なプレイに励み、夢にも出るほど好きだったが……それは前世の話だ。

 今の俺は、彼女たちの保護者であり、頼れる父親なんだ。

 娘の友達相手に、そんないかがわしい感情を抱くわけがない。断じてない。


 俺の視線に気づいたのか、乙音ちゃんがこちらを向き、天使のような微笑みで小さく手を振った。

 俺は動揺を悟られぬよう、精一杯のポーカーフェイスで手を振り返す。

 我ながら締まらない。

 前世では画面の向こうの存在だったヒロインが、実体を持って微笑みかけてくるんだ。多少のデレは許してくれ。


「誠、顔が赤いヨ?」

「……な!? さ、さっき入ってた厨房が暑かっただけだ!」

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