第5話 パパ、友達を呼んだよ
「パパ、ただいまー!」
「おー、おかえり。我が愛しの娘よ」
「……きっも」
梨檎がゴミを見るような目で顔を引きつらせる。
確かに今の「愛しの」はオーバーすぎてキモかったな。反省しよう。
「お、お邪魔しますぅ……」
「たのもう……」
梨檎の後ろからぞろぞろとついて入ってきた二人の女子。
俺には見覚えしかない二人だった。
「パパ、紹介するね。私の友達の
そう、この二人は原作ゲーム『スイート・アップル』のサブヒロイン達だ。
「初めまして、
——
彼女は誰もが最初に攻略するであろう、原作におけるチュートリアル兼、癒やし枠のヒロインだ。
服装は極めて地味。肌の露出を極端に嫌い、夏だろうが冬だろうが長袖の上着を羽織り、制服のスカートの下には常に厚手のタイツを着用している。
だが、そのガードの堅さが仇となり、生地が彼女のふくよかな肉感にぴったりと沿ってしまっているため、逆にエロさが際立っているという業の深いデザインだ。
髪は肩口でくるりと内巻きになったミディアムボブ。
性格は引っ込み思案で臆病だが、その胸には慈愛と脂肪がたっぷりと詰まっている。
攻略難易度は低く、選択肢で彼女を優先するだけで簡単にカップルになれる所謂「チョロイン枠」だが、その裏にあるシナリオは胃もたれするぐらい重い。
主人公が彼女を父親の虐待から庇うストーリーは、多くのプレイヤーの涙を絞り取った名作だ。
……まあ、それはあくまでも原作での話。
この現実でも同じ設定が生きているかは不明だ。
「ほら、
「……拙者は
——
この子はネットで賛否両論を巻き起こした、いわゆる厨二病ヒロイン。
制服を着ていないシーンでは基本的にゴスロリチックな黒いドレスを纏っている。
手元には常に「五寸釘を刺されたウサギのぬいぐるみ」という呪物アイテムを携帯しており、体格は乙音ちゃんとは対照的に、ランドセルが似合いそうなほどの完全なる幼児体型。
アンチに「キャラ作りすぎ」「リアリティがない」と叩かれがちだが、彼女のシナリオを最後まで完走した奴がそんな感想を持つのなら、俺はそいつの読解力のなさを嘆くだろう。
ほんと泣けるんだよなぁ、こいつのシナリオ……。
過去のいじめがトラウマで人間不信に陥り、あえて人を遠ざけるためにイタいキャラを演じている健気な少女。
それに気づいた主人公が、スクールカーストからの転落も辞さずに彼女を守る姿には、おっさんの涙腺も崩壊したものだ。
「そういえば、パパ。今日は仕事に行ったんだね」
「ああ、それなら今日クビになったぞ」
「……はいっ!?」
俺があまりにもさりげなく特大の悲報を発表したので、梨檎は呆れと驚きと混乱がミキサーにかけられたような表情で固まった。
二人の友人達も慰めるべきかと悩んでいる顔をしている。
「だ、大丈夫なの? 今月の電気代とか水道代とか払えるんだよね? 私の学費とかも、大丈夫?」
「ああ、貯金が銀行にそれなりに入ってたから当面は問題ない。それに次の職場も決まってるしな」
「そ、そうなんだ……良かった……」
まあ、ボロい中華屋のバイト代なんて、たかが知れてるけどな!
貯金が尽きたらマジでどうしよう……。
この豪邸を維持するための固定資産税だけでもバカにならない。
早々にここを売っ払って、身の丈にあったアパートに引っ越すべきか?
「あっ、そうだそうだ。ねえ、パパ。今日はお願いがあって二人を連れてきたんだけど……」
「わかってるぞ。みんな俺の料理を食べたいんだろ?」
「そっ、大正解! さすがパパ!」
「問題ない。それを想定して、既に下ごしらえは済ませている。あと三十分ぐらいで完成するから、それまでテレビゲームでもして待ってろ」
「わーい、やったー! パパ、大好き!」
梨檎はぎゅっと俺に抱きつき、柔らかな胸を押し付けてくる。
友達の前だというのに過剰なスキンシップ。
こいつ、本当に年頃の娘なのか? ファザコン設定なんてあっただろうか?
三人がリビングへ移動し、友情破壊ゲームの定番『◯リオパーティ』を始めたのを横目に、俺はキッチンへと戻った。
コンロの上では、とろ火にかけた鍋がコトコトと音を立てている。
中身は豚の角煮だ。
あのクソ不味い中華屋のチャーハンの味を脳内から消去したくて、無意識にまた中華に手を出してしまった。
鍋の蓋を少しずらすと、甘辛い醤油と八角の香りが湯気となって立ち上る。
……いい色だ。
火を止めて、ここから常温でゆっくりと味を染み込ませる時間が必要だ。
その間に、サイドディッシュを仕上げよう。
サッパリとした春雨サラダだ。
戻した春雨の水気を、ザルで徹底的に切る。ここが水っぽくなると全てが台無しになる。
キュウリは優しい食感を与えるために繊維に沿って垂直の千切りに。
錦糸卵も加えて彩りを整える。
ボウルの中で、醤油、酢、砂糖、そして香りの決め手となるごま油を黄金比で混ぜ合わせる。
乳化するまでしっかりとかき混ぜたタレに、春雨と具材を投入。
手で優しく、かつ空気を含ませるように和える。
仕上げに煎りごまを散らせば、香ばしさが弾ける春雨サラダの完成だ。
よし。
豚の方も、温度が下がって味が芯まで染み渡った頃合いだろう。
「お前ら、できたぞ。こっちこい」
大皿ではなく、一人ひとり別の小皿に盛り付ける。
メインの豚の角煮は、飴色のタレを全身に纏い、箸で触れるだけで崩れそうなほどトロトロに仕上がっている。
脂身は宝石のように透き通り、添えられたチンゲン菜の緑が食欲をそそるコントラストを描く。
脇を固める春雨サラダは、キラキラと光を反射し、酸味の効いた香りが鼻腔をくすぐる。
白飯は、土鍋で炊きたての銀シャリだ。
アイランドキッチンのカウンター席に、三人の美少女が並んで座る。
目の前の料理から漂う暴力的なまでの美味そうな匂いに当てられ、三人ともゴクリと喉を鳴らし、恍惚とした表情で皿を見つめていた。
前世でも愛用していた国産のミネラルウォーターをグラスに注ぎ、俺は配膳を終えた。
「「「いただきます!」」」
少女たちが箸を動かす。
「ん、んぐっ……! はふっ……!」
最初に声を漏らしたのは乙音だった。
角煮を一口食べた瞬間、彼女の大きな瞳が見開かれ、次の瞬間にはとろりと涙目に変わる。
「お、美味しいぃぃ……! お肉が、口の中で消えちゃいました……! ううっ……ご飯が……ご飯が止まりませんっ!」
リスのように頬を膨らませ、猛然と白飯をかきこむ乙音。
こぼれたご飯粒が、ポロポロとダイナマイトな胸の上に不時着している。
普段の大人しさはどこへやら。こいつの本能は俺の出す飯には逆らえないようだ。
「……ふん。これしきの供物など……んぐっ」
真穂は冷静を装おうとしたが、春雨サラダを口にした瞬間、その硬いお面は崩壊した。
「……っ!? ……この酸味と甘味のハーモニー!? ただのサラダではない……! お、お代わりを要求する!」
「でしょでしょ!? 私のパパ、すごいでしょ!」
梨檎は自分のことのように胸を張りながら、角煮の脂身を幸せそうに咀嚼している。
「ん〜っ! トロトロ〜! 最高! パパ、おかわり!」
カウンター越しに見るその光景は、俺の店の常連だったジジババたちの笑顔に重なった。
ああ、そうだ。
俺はこれが好きだったんだ。
自分が作った料理で誰かが笑顔になる。たったそれだけのことが、こんなにも嬉しい。
「パパ、すごいよ。いつの間にかプロになってるじゃん」
いつの間にかじゃなくて、血反吐を吐きながら二十年以上かかったんだけどな。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、日が暮れた。
そろそろ帰らないと彼女たちの親が心配するだろう。
「パパ、私が二人を駅まで送ってくるね」
「おう、任せた。気をつけてな」
この世界では、ヒロインのエスコートを主人公の代わりに娘がこなしているらしい。
まったく……本来の主人公はどこをほっつき歩いてるのやら。
もし出会ったら、年配者として一喝入れてやらんといかんな。
玄関先で彼女たちを見送ると、最後に乙音が振り返った。
「あの……お父さん」
「ん? なんだ?」
「今日は本当にありがとうございました。……その、また来ても、いいですか……?」
消え入りそうな声。だが、その瞳は縋るように俺を見ている。
「もちろん大歓迎だ。時間が合わなかったら、別に梨檎と一緒じゃなくてもいい。お前が来たい時に来い。いつでも腹いっぱい、美味しいご飯を出してやるよ」
「っ……! ありがとうございます!」
乙音の顔が、パァッと花が咲いたように明るくなる。
彼女がそんなことを言った理由に、俺はうすうす勘付いていた。
——彼女は、家に帰りたくないのだ。
もし原作通りの設定ならば、彼女の家では酒癖が悪く、暴力を振るう無職の父親が待っている。
そしてその暴力は、いずれ性的なものへとエスカレートする。
本来なら主人公という避難場所があるはずだが、この世界にそんな救いはまだ用意されていないらしい。
……だとしたら。
俺が少しばかり首を突っ込んでもバチは当たらないよな?
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