第1話 パパ、お弁当作ってよ

「んっ、うがぁ……」


 二日酔いの強烈な頭痛に叩き起こされ、俺は目を覚ました。

 背中には、雲の上のようなふかふかな感触。


 ──ここは……?


 俺の質素な家には、煎餅みたいに硬い、ツギハギだらけのボロ布団しかないはずだ。


「ねえ、パパ。早く起きてよ。もう時間だよ」

「ん? あぁ……」


 重いまぶたをこじ開けると、カーテンの隙間から差し込む朝日が、俺の頬に垂れる栗色の髪を透かして輝いていた。

 見知らぬ美少女が、至近距離から俺を覗き込んでいるのだ。


 ──ああ、俺もとうとうやっちまったか。


 酒に溺れたアラフォー独身男が、人肌恋しさに店で女を買い、ホテルで一夜を明かしたわけだ。

 泥酔していたとはいえ、自分の惨めさに反吐が出る。

 一線を越える前に踏みとどまる理性だけは残しておきたかったんだが……どうやら俺の自由意志は、造田じいさんの酒に完全敗北したらしい。


「すまん、昨晩のことは何も覚えていないんだ。あと、むずかゆいから『パパ』って呼ぶのはやめてくれ。……ちなみに、延長料金とかは発生してないよな?」

「……パパ、なに言ってんの? とうとうボケが始まった?」


 美少女は、ジトッとした憐れみの視線を俺に向けてくる。


 ……ん? 違うのか?

 それとも、何がなんでも設定ロールを最後まで演じ切るタイプの店なのか?

 最近の風◯はプロ意識が高いな。


「早く私のお弁当を作ってよ。今日はパパの当番でしょ?」

「お弁当? 当番?」

「……本気で忘れちゃったの? パパ、大丈夫?」


 言うが早いか、美少女はキスをする勢いで俺の顔に急接近してきた。

 コツン、とおでこ同士が触れ合う。

 吐息がかかる距離。いい歳こいたおっさんの心臓が、羞恥と動悸で早鐘を打つ。


「んー、熱は普通だね。一応、お医者さん呼んどこっか?」

「あっ、いや、大丈夫。心配すんな。弁当作ってやるから、ちょっと待ってろ」


 わけがわからないが、酒の過剰摂取以外は至って健康体だ。

 ここで大ごとにされて医療代まで発生してしまっては困る。


 俺はベッドから飛び降りると、パンツ一丁のまま部屋から飛び出した。


 ラブホかと思っていたが、部屋の外には生活感のある廊下が伸びていた。

 だが、そこは間違いなく俺のボロ屋ではない。

 シミも塗りムラも何一つない純白の壁。

 素足で踏んでも軋まず、確かな厚みと温もりを伝えてくる上質なフローリング。

 あちこちに飾られた洒落た花瓶からは、ハーブや季節の花の香りが漂っている。

 まるで俺が昔バイトしていた、高級フレンチの店みたいな内装だ。

 最近の風◯は、上流階級の一般家庭を丸ごと貸しだしているのか?


 ……と、とにかく、弁当だよな。


 俺はキッチンを探して階段を降りる。

 あの嬢ちゃんを満足させて、妙なトラブルに巻き込まれる前にさっさとトンズラしよう。

 これ、実は「お父さんロールプレイ」とかいう高額オプションなんじゃないか?

 ……昨晩の俺、何やってんだよ。俺の財布にそんな余裕があるわけないだろ。


 一階の広いリビングへたどり着き、アイランドキッチンの巨大な冷蔵庫を開ける。

 中には、高級スーパーで買ってきたばかりと思われる、一級品の食材が鎮座していた。


 水滴を弾くほど新鮮な濃緑の葉物野菜。

 のっぺりとした安物とは違う、鮮やかな赤身の肉。

 顔を近づけなくても漂ってくる、完熟した果実の芳醇な甘い香り。

 パックのラベルには当然のように有機認定マーク。

 いつも市場で競り落としている近所のおっちゃんの農作物には負けるが、家庭用としては破格のクオリティだ。


 ……これ、勝手に使っていいんだよな?


 ビクつきながらも、俺は長年の癖でバランスよく食材を選び取る。


 しかし、弁当なんて何年ぶりだろうか。

 幼い頃は親が頻繁に作ってくれたが、子供も嫁もいない俺にとっては縁のない代物だ。

 職場のまかない飯なんて客に出せない端材の寄せ集めだったし、外で買うくらいなら自炊した方が安上がり。

 客のテイクアウトを箱に詰めて渡すのは、一応、弁当かもしれない。


「パパ……何やってんの?」


 歯ブラシをくわえたさっきの美少女が、ペタペタとリビングへやってくる。

 だらしなく羽織った半袖のアンダーシャツ。

 その隙間、脇や首元から覗くのは、淡いピンク色のブラジャーだ。


 し、仕事でやっているとわかっていても……あの無防備なエロさには抗えない。

 俺の股間が正直に反応し、パンツがもっこりとテントを張る。


 俺は壁にかかっていたエプロンを咄嗟にひったくった。

 なんだか見られたら負けな気がするし、風◯に行った時点ですでに手遅れではあるが、彼女に変態扱いされたくもない。


「何って、弁当だろ?」

「パパのために買ってきた冷凍食品がいっぱいあるでしょ。無理に一から作らなくていいんだよ?」

「冗談じゃない。それは俺のプライドが許さんぞ」

「……パパのプライド?」


 なるほど。俺は「料理下手な父親」という設定なのか。

 最近のシチュエーション風◯は、妙なリアリティを追求してやがる。


「心配するな。とびっきり美味いやつを作ってやる。今日のパパにはジョエル・ロブションの霊が憑依してるからな!」

「じょうろ・ろぶすたー? よくわかんないけど、さっさと作ってよ。これ以上待ったら、学園に遅れちゃうからね」


 ……ったく、最近の若者ってのは食の教養がないな。

 まあいい。数多の男たちをしゃぶってきた腐った口であろうと、舌鼓をうたずにいられないようなものを出してわからせてやる。


 パンツの上にエプロンという変質者スタイルで、俺は包丁を握った。

 その瞬間、スイッチが入る。

 手際よく調味料を合わせ、ウィンナーには飾り包丁を入れ、ただの野菜サラダもドレッシングと和える順序を工夫して食感を残す。

 チンしたご飯も、具にこだわって極上のおにぎりへと早変わりだ。


 弁当箱の蓋を閉めたタイミングで、自称高校生の娘が戻ってきた。

 彼女も準備万端らしく、清楚な制服をビシッと着こなしている。


「ほら、できたぞ」

「あんがと。パパも急いだほうがいいよ。仕事に遅れちゃうからね」

「ああ、そういう設定だったよな」

「設定……ねえ。……パパ、やっぱり病院行く?」

「大丈夫だ。気にするな」


 心底不思議そうな顔をする娘を見送り、俺は自分の服を探すために再び二階へ上がった。


 ——ん?


 通りかかった洗面所の扉が開いていた。

 何気なく鏡に目を向けた俺は、そこにあったに足を止めた。


 お、俺の顔が……いつもの俺じゃない?


 ワイルドというより薄汚かった無精髭が、綺麗さっぱり消滅している。

 肌にはハリがあり、目元のクマもない。

 心なしか、十歳くらい若返って、そこそこのイケメンに修正されているような……。


 背筋に冷たいものが走り、俺はダッシュで部屋へ戻った。

 机の上に置かれた革財布を開き、震える手で運転免許証を引き抜く。


浦原うらはら まこと


 知らない名前だ。

 だが、隣に入っていた社員証にも同じ名前が記されている。


 ……いや、待てよ?


 俺はこの名前を知っている。そして、さっきの美少女の顔にも見覚えがある。


 ——浦原うらはら 梨檎りんご


 仕事以外に人生の楽しみがなかった俺が、店を畳んだ後の虚無感を埋めるために密かに嗜んでいたエロゲ趣味。

 その中で、俺がもっとも気に入っていたタイトル『スイート・アップル』。

 浦原梨檎は、その作品のメインヒロインの名前だ。


 もしかして……まさかとは思うが……俺はエロゲの世界に転生してしまったのか?


 いやいや、おかしいだろ!


 転生ってのは、終わってる人生を一発逆転させる奇跡のイベントのはずだろ!?

 なんで「冴えないおっさん」が転生して、「少しマシなおっさん」になってんだよ! 夢がなさすぎるだろ!


 どうせなら主人公……せめてヒロインと絡める親友キャラか竿役くらいの立ち位置をよこせよ!

 メインヒロインのパパってなんなんだよ!?

 女の子たちとの恋愛イベントが発生しないじゃないか!

 指をくわえて、自分の娘がどこの馬の骨とも知らん男に攻略されるのを見守るしかないっていうのか!?


 冗談じゃない。

 いまだに自分がパパになったという実感は1ミリも湧かないが、それだけは断じて許さんぞ……!




◇ ◇ ◇




 読者の皆さん、こんにちは!


 今作はヒロインごとに一章ずつ使う構成で進みます。第一章が完結するまでは毎日更新する予定なので、続きが気になった方は、ブクマしていただけると幸いです。感想、★評価、レビューなども、非常にモチベになるので大歓迎です!


 ここまで読んでくださり、ありがとうございました m(_ _)m

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