第33話 名もなき士爵



「綺麗な髪だ。お前の亡き母親にそっくりだな」



 しわがれた手が頭を撫でる。


 骨ばったその手には、身体には、顔には無数の傷跡がある。


 祖父はローファス家に珍しく。内政を苦手とした高潔な武人であり、幾多の戦場を駆けては領土を拝領されたある種ローファス家中興の祖と言われている。



「リア……私はもうすぐ死を迎えるだろう」


「おじい様……」


「泣くな。私は満足している。ローファスの歴史上、武の才があり兵の指揮が出来る者は私だけだと思っていたがもう一人。恐らく内政も出来る……が残念ながら性別までは選べなかった。」



 幼いながらリアは何を言いたいか理解していた。



「お前は聡明な子だ。たとえ当主になれずとも恨まず兄を支えてやれ。あれも父であるレイルに似て政治向きだろう」


「…………」



「リア、もしお前が当主になったなら私が口にする言葉を心に秘めよ」


「言葉ですか」



「……名誉と誇りを一対の剣とし自分が信じる正義の為に生きろ。


 領土を守れ、民を愛せ、家族を許せ。


 友を持て、愛する者を作れ。


 ローファスの名に恥じる行動をするな」



 ふう……と祖父は苦しそうに息を吐いた。



「歳は取りたくないものだ。リア、レイルとナフタをここへ」


「はい」



 それがリアが祖父の動いている姿を見た最後の日だった。




☆☆☆





「報告します。エルゼン伯爵軍壊滅しました」



 後方の援軍に来ていた士爵の兵士の報告は耳を疑う内容だった。


 あの小道を大軍が進めるとは思えない。


 エルゼン伯爵軍は三千はいたはずだ、しかも小道を出た先に布陣していたはず、出てきた敵を一斉に攻撃できる要所だ。



「馬鹿な」



 リヒトが憤る気持ちも分かる。



「どうして壊滅を?」


「突然陣内に敵が現れましたので奇襲ではないかと思いますが詳しくは……ただ、その軍はそのままエルゼン伯爵の陣を突破しヒューネルの街へ向かったとの事です」



 リアは思案する。


 街には一応少しの兵を残してきた。


 壁もあるし少しは保つとは思うが街は商人も多い、向かった兵を見て、利に走り裏切る者が出る可能性がある。



「リア様、このリヒトが……」


「いえ、私も出ます。フェイルさんは……草原の砦に行っていましたね。待つには時間が惜しい。指揮をドウタ兵士長に任せてここを千で発ちましょう。小道の糧道を断ちつつ、敵を後ろより追いかけます」



「それは良いですが、リア様も行きますのに千で大丈夫でしょうか」


「敵は小道を通っています、糧道は細く、恐らく奇襲部隊。正面の大軍より少ないはずです。ならばここに二千置くのは必定。最悪ここが抜かれれば大軍により私達が挟撃されます」



 地図を見てリヒトは唸る。



「問題は戦場ですが報告から考えれば私達が接敵するのはすでに街の近くです、ならば街の兵と協力して挟撃可能なはず」


「畏まりました」


「報告有難うございます、あなたの上の士爵の名をもう一度聞いても?」



 言われた名前はやはり聞いたことのない名前だった。


 ――が、王都からの援軍ならばきっと領地が相当遠い所なのだろう。



「ありがとうございます。あなたはここで休んでください。では、草原の砦にも報告の兵を、私達はすぐに出ます!」



☆☆☆



 草原の砦にその知らせが来たのは高原の砦に報告が行ってから暫くしてからだ。



「あり得ない……」



 そう呟くのはナルドだ。


 説明を聞くと確かにあり得ない敗北だ。



「原因は?」


「そこまではどうも……」


「失礼」



 一人の貴族らしき人物がやってきた。



「私は砦後方に布陣しておりました。ダンバ男爵と申すもの」


「これはこれは、私はハヤト。リア・ローファス様庇護の下、準貴族をしています。こちらがナルドです」


「おお、貴方がローファス家最強の魔法使いと名高いハヤト士爵ですね。高名はかねがね」


「そんな事は……」



 どんな噂が立っているんだろう。



「それで、なんの御用でしょうか?」


「実は先ほど高原の砦に行きましたら入れ違いでリア・ローファス様は不在との事でしたので急ぎこちらに来ました。実は我が軍はエルゼン伯爵が攻撃を受けていると聞き救援に向かいましたが敵はもう陣を落としてまして、しょうがなく後方へ戻りましたら、我ら後方にいた子爵、男爵部隊も先ほどまで戦闘が行われており、とにかく私はすぐにこの惨状をローファス伯爵に伝えようとこちらに来たのです」


「後方の陣が? どういう事ですか?」



 ナルドが眉を顰める。



「王都から援軍に来たという士爵の軍、彼らが急に味方を攻撃し始めまして……恐らくですが裏切りかと」


「は?」



 士爵って王から爵位を得て一応領土も貰っている準貴族だよね? それなのに裏切るってどういう事?



「その士爵の名前は?」



 偉そうな口の利き方にも男爵は嫌な顔一つ見せず名前を言った。良い人。



「ハヤト」


「はい」


「多分そいつら裏切りじゃない、最初から敵だ」


「最初から敵? どういうことですか?」



「僕は元々王都にいたからな、貴族の名前は大小と大体覚えているがそいつらの名前は一人として聞いたことがない」


「名前を騙ってるって事ですか?」



「騙ってるどころか偽名だろう、だが王都からの援軍と聞けば信じるしかないだろう。ただでさえ僕らは辺境伯やら辺境の子爵男爵達でお互い会った事もないなんてのはざらだ。遠く知らない土地から来たんだろうとしか思わない」


「ええ……」



 そんなことってある?



「いやでも、それをするには……」


「そうだ、王都にウェルス公国との内通者がいるな、だが内通する理由が分からない」



 しかし……と呟く。



「納得出来る点もあるな。エルゼン伯爵も敗北するわけだ」



 ナルドが爪を噛んだ。



「それで、エルゼン伯爵を倒した軍については聞いているか? まさか街へ」


「いえ、消えました」


「消えた?」


「はい」


「街へ行くわけでも僕らの方へ来たわけでもないのか……訳が分からない」



 直後、兵士が飛び込んできた。



「ハヤト様、ナルド様! 敵が押し寄せてきました! その数約二千、更に高原の砦にも約五千程の軍が来ていると」


「なら俺がまたフェイルとライベルを連れて」


「いや待て、妙に兵が少ない。僕らは後ろを取られたんだ、本当にここを落とす気ならばもっと多くの兵を出すはず……いや、出せないのか?」



 ナルドが兵士を見る。



「正面の軍に大斧を持った将は見えたか? 顔に大きな傷のある大男だ」


「いえ、そこまでは……」


「大斧?」



 ダンバ男爵が反応する。



「顔に傷のある大斧を持った者ならエルゼン伯爵の陣の近くで見た気がします」


「エルゼン伯爵の方で? 馬鹿な、ベルーガが向こうって事は本隊はそっちか!」



 ナルドが興奮しているが、知らない名前が出て来たな。



「ベルーガって誰ですか?」


「ウェルス公国の切り札、向こうで最も有名な将軍だ。そいつが出て来ない限り本気じゃないと楽観視していたがまさか奇襲部隊の方にいるとは……」



 なるほど、そんな将軍がいるのか。


 なら正面の軍にいないのはちょっと変だね。



「奇襲部隊が姿を消した。エルゼン伯爵の陣を突破したならどうして街を襲わない。目的が別にある……?」


「あれ、そういえばダンバ男爵は高原の砦に最初行ったって話してましたけどリア様はどこへ行ったんですか?」



「ドウタという兵士長の話だと、名も知らない士爵から敵がヒューネルの街へ向かったと聞き、小道の糧道を断ちつつ街の救援に向かったと」


「へえ」



「街の兵と挟撃……か」


「あれ、でも敵って街に向かったんですか? ダンバ男爵の話だと姿を消したって言ってましたよね」



「はい、街には向かっていなかったと思いますが……」


「……待て、名も無き士爵から街へ向かったっていう情報? もし敵の狙いが街じゃなく高原、草原両砦でもないとすれば、目的は内通者の依頼でもある……」



 ナルドが何かに気づいた顔をする。



「ハヤト!」



 言われて俺も気づく。


 敵の目的が街でも砦でもない。


 という事はローファス領じゃない。



 そして内通者がいる、そいつはどうして小道、後ろの子爵男爵部隊を撃破、混乱させたのに街には何もしなかったのか。


 敵は街も領地も出来るだけ無傷のまま手に入れたい、なら邪魔なのは領主の……。



「ナルド、フェイルはここ、魔法も使えるライベルを高原の砦に置きますから是が非でも正面の敵を湿地に行かせないでください。俺は湿地に向かいます」

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