第2話
居酒屋の入口から顔を覗かせた慎一郎先輩は、今私と見つめ合っている。交際していたあの頃を思い出して、少し気まずい。
瀬名先輩と一緒に使っていた四人用の座敷テーブルに、慎一郎先輩を手招きした。瀬名先輩の隣に慎一郎先輩が座り、対面席に私が座った。
「二人はよく一緒に飲んでるの?」
「今日、たまたま遭遇したんです」
慎一郎先輩はドリンクメニューを見ながら、「相変わらず偶然が多いね」と小言を零した。
「慎一郎先輩とも会えて嬉しいです」
「由依は上手だね。本当にかわいいやつだな」
慎一郎先輩が柔らかく微笑んだ。その笑顔を見てあの頃に戻ったと錯覚を起こす。忘れていたが、慎一郎先輩の顔は本当にタイプなのだ。しかし、瀬名先輩も、慎一郎先輩もきっとお相手がいて、年齢的には結婚を考えている女性と同じ家に住んでいてもおかしくない。
「まあまあ、瀬名先輩も慎一郎先輩も相当おモテになるんでしょうし、もう結婚を見据えた交際してるんじゃないですか」
無理矢理に引き上げた口角の筋肉がピクピクと動く。先輩たちはお互いの方が顔を見合わせると、困ったように笑みを浮かべた。
「いないよ、俺は」
先に声を上げたのは、慎一郎先輩だった。その慎一郎先輩の腕に肘を当てながら「俺は、ってなんだよ」と瀬名先輩が目を細めている。そして私の方へ顔を向けると「俺も、いないからな」と少し不服そうな表情を見せた。
二人の言葉にやはり、あの頃の自分に巻き戻される感覚があった。初めてステージ上に立っていた二人を見た時の胸の高鳴りがそこにはある。これは恋の知らせだろうか、それとも青春時代を思い出し、脳が勘違いをしているだけだろうか。
「由依は?」
慎一郎先輩の言葉に一瞬、身体が強ばる。
「全然、お付き合いも結婚のけの字もありません。まあ出逢いも無いですし…あはは」
また乾いた笑いが無意識に漏れ出す。
「え、てっきりもう相手がいて、それこそ結婚とかも視野に入れてる時期かなと思ってた」
慎一郎先輩が言い終わったタイミングで、料理が運ばれてきた。いくつか頼んだおつまみが順番に並べられる。
「あ、生ビールを一つお願いします」
慎一郎先輩が去ろうとした店員さんを止め、ドリンクの注文をしていた。
「えっと、なんの話でしたっけ…」
目の前に並ぶおつまみに手をつけながら、生ビールを流し込む。
「本当にいないの?彼氏とか、旦那さんとか」
「本当にいませんよ。そんな時間もなかったというか、いや甘えですね。マッチングアプリとか含めて出会えるチャンスはあったはずなのに、それを逃し続けた結果です」
酒の席だからだろうか。慎一郎先輩や瀬名先輩の前だったからだろうか。気が緩んで重い話をしてしまった。
美咲からマッチングアプリは勧められてたし、婚活パーティーの参加や合コンのセッティングもいつでも協力すると言ってくれていたのに、私はそれを拒んでいた。ただあの先輩たちのことを考えるとそれ以上に、気持ちが盛り上がるような人に出会えるとは思えなかったのだ。
大学時代の瀬名明宏と、牧慎一郎を見て恋に落ちた身としては、誰でもいいからと草木を分けて探すような事は出来ない。今でも未練タラタラにあの頃に思いを馳せてるのは、私だけだ。
「俺はマッチングアプリ使ってみたけど、顔が良くて年収良ければ誰でもいいのが見え透いててさ、怖くなってやめたわ」
瀬名先輩が眉間に皺を寄せた。隣で慎一郎先輩も眉間に皺を寄せている。
「俺は普通に何もしてなかったな。出会えるような事に参加してない」
「好きな人がいるとか?」
慎一郎先輩の箸が止まり、どこかを見つめながら「まあ、当たらずとも遠からずだな」とこぼした。聞かなければ良かったと後悔するも、知ってしまった事を、今更忘れることは出来ない。私は、大学時代に付き合っていた後輩でしかなくて、今はもう特別な関係を持っているわけじゃない。慎一郎先輩に奥さんや彼女さんが居なければいいだなんて、相変わらず女性の事は苦手であってほしいなんて勝手に願ってしまった。欲が出てしまったのだ。元彼女としての意地かプライドか、何とも虚しい気持ちだ。
今日にしても、たまたま遭遇した瀬名先輩が、慎一郎先輩を呼んでくれたから会えたのに過ぎない。
大学時代に引き戻されたせいか、あの時の恋の歯車がまた回り出すようなそんな予感を信じて、私はこの夜、酒を大量に流し込んだ。
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