リリアナ?外伝1

――カルヴァロスを入手してから幾周回か後。


私はカルヴァロスという切り札と、鍛え上げた己の剣技を武器に、

黒い影との死闘に身を投じてきた。


しかし、ここまでに揃えた手札の全てを使っても“活路”が見えなかった。


王都の全戦力をかき集め、アレクやセシルにまで力を借りたとしても――

最後には黒い影の物量に押し潰され、私は殺される。


正直、手詰まりだった。そこで、私は一度振り返ってみることにした、

現時点での自分の強さを、冷静に、正確に把握しておくべきだと。


……もちろん、それだけではない。ほんの少しだけ、興味もあった。

いまの私は、この世界でどれほどの強さに到達しているのか。


セシルや鉄の巨像――

この世界で“強者”と呼ばれる存在と何度となく剣を交えてきた。


だが、何度も対峙したからこそ、理解してしまった。

アレクシスだけは、別格だ。


これまで私は、彼を常に一撃で気絶させてきた。

あるいは隙を突いて、初撃で殺し切ってきた。


けれど、自分の剣を極めてから後、正面から彼と矛を交えたことは

――実のところ一度もない。


そう思ったら、自然と決断していた。

私は自分の実力の“試金石”にアレクシスを選んだ。


カルヴァロスと、いまの自分の剣技。

――それが、彼にどこまで通用するのか。


その答えを、この身で確かめてみたくなったのだ。



「リリアナよ、貴様との婚約を破棄させてもらう!」


卒業式の広間に、聞き飽きるほどに繰り返された声が響いた。

もはや季節の挨拶のようにすら感じるその言葉を合図に、私はいつもの口上を述べ、決闘へと持ち込む。


だが、今日の決闘は今までとは違う。

積み上げた努力の“確認”――それが目的だ。


左足を前に、カルヴァロスを脇に構える。

いつも通りの構え──だけれど今回は違う。


剣先へカルヴァロスの推力を集中させ、地を蹴る。

爆ぜる空気。私の身体は矢のようにアレクシスへと吸い込まれていく。


彼はいつものように、初撃を受け止めようとしていた。

本来なら、受ける剣ごとアレクを壁へ叩きつけて決着だが――


(挨拶代わりです……!)


角度を調整し、カルヴァロスを握る力をほんの少し緩めた。

アレクの剣を“折らないように”、ただ“弾くだけ”になるように。


――ギィィィィィン!

金属が鋭く鳴る。


「……っ!?」


アレクが、剣ごと弾かれ、ずざざ、と床を滑り後退する。

それでも踏みとどまった。踏みとどまれる程度の力加減にしたのだから、当然だ。


気づけば、アレクシスは驚愕に目を見開いていた。

──その表情は初めて見る。


息を整え、静かに構え直す。――ここからだ。

私が求めていたのは、“この先”の勝負なのだから。


「リリアナ……貴様、どういうつもりだ」


低く、怒気をはらんだ声だった。さすがだ、たった一撃で、

アレクシスは――気づいたのだ。手加減したことに。


広間の空気がざわつく。

けれど、私はただ、静かに微笑んだまま剣を構える。


「答えろ、リリアナ。なぜ手心を加えた!」

「……」


答えない。

私の沈黙を、殿下は侮辱と受け取ったのだろう。


「この一撃……この重さ!今の一振りで私を倒せたはず

それにその剣……古代兵器か!どこで手に入れた!

北公の蔵からでも引っ張り出してきたのか!」


アレクの視線がカルヴァロスに注がれる。目を細め、苦々しさが滲む。


私は小さく、喉の奥で笑った。

「ほほほ……一撃で決着がついては、興が削がれるというものでしょう、殿下?」


アレクの目が鋭く光った。空気が変わる。

――アレクシスが本気になった。


その瞬間、広間の端で息を呑む音がいくつも走った。

わずかに背筋が震えるのを感じた。


「……誰か!盾をよこせ!」


「殿下、これを!」

猛々しい声が響き、ひとりの青年が即座に反応する。


分厚い盾がアレクシスへと投げ渡される。

なるほど、あれはアニメにも登場した騎士団長の息子──確か勇猛なことで有名な青年だった。


そんな考えが頭をよぎったのは一瞬だけ。

すぐに、私は思考を切り替え、アレクシスに集中する。


盾を構えたアレクは、ゆっくりと吐息を整え、静かに言った。

「その立ち居振る舞い……それに古代兵器。どうやら決闘は伊達や酔狂ではないらしい」


アレクシスが私を見る目が変わっていた。

軽蔑でも怒りでもない。“戦士を見る目”だ。


「この一月でお前に何があったか、事情は知らん……だがお前は強い」


私は黙っていた。

その評価は、今日の私にとってなによりも必要な言葉だったから。


「本気で相手してやる」


アレクシスが盾を構えた瞬間だった。


――ガアァァァァァッ!!


盾がまるで獣の咆哮でも上げたかのように、空気が震えた。

耳をつんざく轟音、さらに低く、重く、腹の底を揺さぶる“鳴動”だ。


肌にビリビリと衝撃が伝わり、思わず呼吸が乱れそうになる。


(……今のは)


知っている。何度もアニメで見た。

アレクシスが強敵との死闘で最後の切り札として使っていた、彼の固有魔法――音色の力。


音を纏い、音で打ち、音で震わせ、

振るう盾と剣は、雷鳴のような衝撃を生む。


つまり彼は――

(音の力を操る、この国最強の音階騎士クラングリッター……!)


アニメではあれだけ心強かった彼の必殺剣、

だが敵に回すと感じる圧倒的な死の予感


広間の空気が変わった。

観客たちは音もなく後退り、教師たちは息を呑む。


アレクシスがゆっくりと、一歩、前に出る。

これなら、ようやく“剣を交える”にふさわしい。


私はカルヴァロスを構え直し、静かに笑みを浮かべた。

(さあ、ここからが本番ですわ)



そこからの戦いは――はっきり言って、防戦一方だった。


「切り裂けッ!」


アレクシスが剣を構えた瞬間、動きが一変する。

まるでヴァイオリン奏者が弦を奏でるかのような、しなやかで滑らかな連動。


盾を弦とし、剣を弓とし――

奏でられた“音”が、飛ぶ斬撃となって空間を支配する。


空気が裂け、床が波を打ち、視界そのものが震動した。

耳鳴りが鋭く肌を叩きつけ、体がわずかによろめく。


(くっ……!)


一月で鍛えられる限界まで鍛えたつもりだ。

でも所詮、もとは貴族令嬢。


この速度、この密度の斬撃を、すべて躱しきれるほどの身体能力はない。

けれど――私には、いくつか他者にない“強み”がある。


観客に紛れて後方に控えているカイル。

彼の固有魔法疲れ知らずの加護は、常に私に届いている。


(体力は気にしなくていい……どれだけ動いても、息が切れることはない!)


だから私は、来る斬撃のうち躱せるものは全力で躱し、

どうしても避けられない一撃だけ――


「カルヴァロス!」


カルヴァロスで打ち払って無効化する。

この剣には魔法そのものを打ち消す力がある。


音階を纏った斬撃ですら、刃に触れた瞬間に霧散させてしまう。

しかし――防いでいるだけでは勝てない。


アレクの攻撃の切れ間。

そこにわずかな隙を見つけた私は、剣先に推力を集中させて踏み込み、一撃を叩き込んだ。


轟音が広間に響く。

だが。


「甘い!」


アレクは盾で受け、剣で力を添え、二重の壁のようにその一撃を押さえ込んでいた。

本来なら、盾ごと、腕ごと、身体ごと吹き飛ばすはずの一撃。


だが――インパクトの瞬間、音色の魔力が“打点をずらした”。

微妙に角度を変え、流れを逃がし、


衝撃がまるで水面を流れるように、力をすり抜けていく。

いとも容易く。完璧に。


(……やはり、アレクは強い!)


この国で……いえ、この世界でも屈指の剣士。

彼の強さは理不尽ですらあり、だからこそ心を奮わせる。


アレクシス・フォン・レギウス。彼の強さはまごうことなき本物だ。

当然だ。主人公である聖女クリスと肩を並べる物語の中心人物なのだから。



「――リリアナァッ!」


アレクシスの怒号が、広間の空気を鋭く裂いた。

その声には怒りだけでなく……どこか、私への“期待”のような色が混じっていた。


「お前の最初の一撃はもっと重かったぞ!

私をバカにしているのか! 本気を出せ、リリアナ!」


(……お見通しでしたか)


静かに目を細める。

そう、私はまだ全力を出していなかった。


いや――出せなかった、というべきだ。

カルヴァロスは、黒鋼の迷宮で手に入れた時点でもう限界だった。


刀身は歪み、ひび割れ、損傷は内部構造にまで達している。


あと数回。

あと数回、全力で振るえば――完全に壊れる。


だからアレクの攻撃を分析し終えるまでは、出力を抑えて戦っていた。

けれど――


(……仕方ありませんわね)


私はカルヴァロスを胸元まで掲げ、ドレスの裾を払うように優雅に礼を取った。


「失礼しました、殿下」


ほんの一瞬だけ、貴族令嬢の顔を戻し――

次の瞬間には、その仮面を捨てた。


「ここからは、私も全力です」


アレクシスの青い宝石のような瞳が見開かれる。

私は握り直した柄に力を込め、叫んだ。


「往きますわよ、カルヴァロス!」

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