ライはロボット

一文字零

第1話

 十七時を告げるチャイムが、儚く街に溶ける。

 令和も二十年を数えようというのに、このメロディーだけは変わらない。

 夕陽に染まった校舎の三階廊下が、下階から駆け上がるバスケ部員たちの足音に震える。トレーニング中なのだろう、荒い息遣いが階段を駆け抜けていく。

 私は孤独に歩いていた。行き先も目的もなく、ただどこかで誰かが、私を私たらしめる何かを差し出してくれると願いながら。

 今週は部活動の体験入部期間。もう金曜日だ。新入生は今日までに所属を決めなければならない。

 決めなければならないのだ。

 期限まで部活を見つけられない私は、いっそ帰宅部でもいいかと思った。だが、心の奥にいるもう一人の私がそれを許さなかった。私はずっと空虚だった。得意なことも趣味もなく、好きな人も嫌いな人も友達も恋人もいない。それが何より恥ずかしかった。自分を変えたい――その願いを叶える最も手近な方法が、部活動だった。

 ウィーン……ウーン……ジーィ……。

 音がした。細く、一定の調べが確かに聞こえる。

「何部?」

 永遠にも思えた放課後が、突然終わりを告げた。

 まだ見ぬ部活があるのかと、藁にもすがる思いで音源へ向かう。教室の扉の前に立った。

「第二理科室」

 まだ足を踏み入れたことのない教室だった。かつては選択科目で使われていたが、今は使用されていないと先輩から聞いた覚えがある。

 ドアに手をかけ、勢いよくスライドさせた。これで最後。もう、どうにでもなれ――心の中で叫びながら。

 ウィーン……イーン……ジー、ジー……。

 やはり音はここから響いていた。人の気配はない。デュアルモニターを備えた大型のパソコンが一台。音はその駆動音らしい。床を這う配線は麺のように絡まり合い、理科室特有の実験机の上には、パソコンに向けられた写真立てと、人型のロボット――確かに人型のロボットが、可憐に佇んでいた。

 私は無意識に硬直し、「え」とだけ声が漏れた。

 ロボットは完全な人間そっくりというわけではない。プラスチックの髪、関節部分の分割線は、実にロボット然としている。それでもどこか親しみを覚える、とにかくキュートな容姿だった。

「え」

 私の声を模倣するように、教室の奥から小さな声が返ってきた。男子の声だ。一人だけらしい。

「あ、えっと……ここ、何部なんですか?」

 尋ねると、ふらりと男子がこちらへ現れる。足音は床に散乱したネジやボルトを踏みつける音と共にあった。

「AIロボット部、だが?」

 背は私より頭一つ分ほど高く、女子も羨むようなキューティクルを持つ短髪と、愛嬌のある目をした人物だった。美容への関心は皆無に見えるが、生まれ持った素質なのだろう。

「ここを知らないということは新入生か。今は体験入部期間だ。ということは……」

 男子は言葉を切って驚愕の表情を浮かべた。

「まさか入部希望なのか?」

「あ、いや、まだそういうわけでは」

「『まだ』ということは、可能性があるということか?」

「まぁ、そう、ですね」

 返答すると、男子はあからさまに怪訝な顔をして、机上のハリボーグミを手に取り、一つ口に放り込んだ。

「食うか?」

 咀嚼しながら、無愛想に一粒差し出してくる。カラフルなグミの中の赤だった。

「あ、ありがとうございます」

 受け取って口に含む。いつものハリボーだ。小学生以来かもしれない。私には歯応えが強すぎて、顎が疲れそうだ。

「あの、この部活について教えていただけませんか?」

 男子は頭を掻いてから、吐き捨てるように話した。

「え? あー、AIロボットとか作ってる。名の通りだけど。あと、俺はコウ。二年だ。もし、もしも縁があったら、まぁよろしく」

 無愛想。徹頭徹尾、無愛想だ。

 私とコウ先輩は、理科室特有の椅子に向かい合って座った。

「てか、体験入部期間って今日までだろ? なんでこんなところに来るわけ」

 先輩は二個目のグミを口に入れた。

「実は全然決まってなくて……やりたいことも得意なことも」

「中学の時は?」

「何も」

「へぇ」

 先輩は何か言いたげに、三個目のグミを見つめた。

「俺もそうだったよ」

「えっ」

「俺にはなーんにもないの。だからこんなことで紛らわせてんのよ」

 先輩は微動だにしないロボットを指差した。

「こいつはライ。今製作中でね。歌って踊れる女性アイドル型ロボット……になる予定」

 ロボットは俯いて瞼らしきパーツを閉じている。その可愛らしい姿は、確かにアイドルだった。

「これ……全部一人で?」

「そうだ。部員もずっと一人だし、そもそもこの部活自体、俺が好き勝手やるために作ったものだ。一年の時の担任に頼み込んで例外的に認可してもらって、部費を使いながらなんとかやってる」

「技術はどこで?」

「親父が機械工学の専門でさ。俺も小さい頃から古いパソコン分解して遊んでた。その内に自然とできるようになった。とにかくここは、俺が一人で好き勝手してる場所なのよ」

 あっという間に、先輩はハリボー一袋を平らげた。

「何もないって言ってましたけど……先輩にはロボットがあるじゃないですか。こんな素敵な特技、趣味じゃないですか」

 言い終えると、先輩は俯いて空袋をくしゃくしゃにした。

「俺はな、ロボットのせいで一人になったんだよ」

 まずい――直感が警鐘を鳴らした。触れてはならない領域に踏み込んでしまった。申し訳なさが込み上げてくる。

「あ、すいませ……」

「いい。もう昔の話だ。それより、まだ名前を聞いてなかったな」

「そうでした、アミです。もし入部することになったら、よろしくお願いします」

「君、この話聞いてまだそんなこと言ってるのか?」

 先輩はそう言って頭を掻きながらパソコンの前へ移動し、青いゲーミングチェアに腰を下ろした。

 もし入部することになったら、と表現したものの、私はいつの間にかこの部活に入りたいと強く思っていた。ここなら、この部活なら、私は私らしさと呼ぶべき何かに出会えるかもしれない。そんな直感。この胸の高鳴りを無視するなんて――。

「君、理系?」

「文系ですけど」

「ロボットやAIを学んだことは?」

「ないですけど」

 先輩は大きく溜息をついた。そして深く息を吸い込み、全てを吐き出すように言った。

「あのな、ロボットってのは一週間やっても一ヶ月やっても一年やっても分かりゃしない。生半可な覚悟で入られても困る。それに……」

 先輩の言葉が詰まる。

「それに?」

 先輩は本当は言いたくないことを言うように、どもりながら口を開いた。

「一人に、させてくれ。俺を理解するのは俺だけだからな」

 私まで寂しくなった。まるで自分の一部を見ているようで、苦しくもなった。

「私も理解したいです、先輩のこと」

 口が先走った。

「意外とグイグイ来るね、君は。誰も俺を受け入れてくれなかったんだ。両親だって最初は俺の技術をもてはやしてたけど、今はもう金のかかる趣味だと煩わしく思ってる。この部活を作ってくれた担任も、予想外に部活動予算が余ったからって生徒会に働きかけてくれた。けど後になって、やっぱり運動部の部費に回すべきだったとか目の前で言いやがって」

 何という怒りに満ちた表情だろう。

 何という悲しい口調だろう。

 だがそれ以上に湧き上がる感情があった。羨ましい。ただ羨ましかった。苦悩も憎悪も私にはないものだった。先輩になれたらいい、とさえ思った。

 私は何もしてこなかった。何もしてこなかったから、目の前で沸騰する先輩のエネルギーが、どこにもぶつけられず終わるなんてもったいない。

 だから。決めた。

「私は部活動も委員会も習い事さえしたことがないです。でももうそんな自分を辞めたい。私は今、先輩のロボットへの熱意を好きになりました。こんな風になれたらって思いました。だから決めました。入部させてください」

 先輩は背もたれに体重を預け、両腕を伸ばした。私はここまで来て引くわけにはいかなかった。

「雑用でも買い出しでも何でもします。お願いします。私は先輩の力を信じてみたいです。最後までやり遂げるって、私を信じてください」

 魂が前のめりになっていた。後から体が追いつき、唇が震え出した。

「あー、なんか大変なことになったな、君のせいで。俺はもう人を信じられないと思ってたよ。でもまだ俺は人を信じてみたいと思うような人間だったんだな。藁にもすがる思い……ってやつか?」

 両手で目を覆った先輩は、反発するように背もたれから身を起こし、静止した。あとは先輩次第だった。

 十秒ほどの沈黙の後、先輩は両手を顔から離し、私を指差して告げた。

「奥のドアを開けると第二理科準備室だ。入ってすぐの棚にUSBメモリがある。沢山引き出しがあるが、『記憶データ1』と書かれた引き出しを探して取ってきてくれ」

 私に向けられた人差し指は、そのまま第二理科準備室へ方向転換した。

 胸が熱くなる感覚。こんな高揚は生まれて初めてかもしれない。

「先輩、それって……」

「入部を許可する。たった今から君はこの部活の二人目の部員だよ」

 ウィー……シャー……シャー……。

 あの音がまた鳴り始める。私はすぐに立ち上がって奥のドアへ向かい、第二理科準備室に入って電気をつけ、目当てのものを探した。

「どれどれ……あった」

 意気揚々――まさにこの言葉のために。私はすぐに部屋を出て、一刻も早く先輩にメモリを渡したかった。

「ん?」

 ふと上を見ると、私の身長ほどの棚の上に、大量のハリボーグミの小袋が積まれていた。

「よし」

 私は言われた通りのものを持って第二理科室に戻り、先輩に渡した。

「メモリ、これで間違いないですか?」

「正解だ」

「あと、これも」

 おまけのハリボーグミ、一袋。

「これは……」

 先輩は無言でそれを受け取り開封し、一気に二つ口に放り込んだ。

「この短時間で少し理解したみたいだな。長らくこんな言葉は口にする機会がなかったんだが……どうも、ありがとう」

「こちらこそ、入部許可ありがとうございます」

 先輩の仏頂面が、少しだけほころんだ気がした。

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