第四章 冬――試練と信頼

第30話 ふたりの1日

 (松永先生視点)

「凛々子さん、朝だぞ」

「ん……弦くん……もうちょっと」


 毎朝、リモート勤務の彼女を起こすのは俺の役割だ。12月に入り、朝は一段と冷えるようになった。

「……寒いから余計に布団から出られないか」

 湯気の立つマグカップから、コーヒーの香りが静かに広がる。


 俺が支度をしていると、凛々子さんが起きてきた。

「通勤している人って偉いよね……」

「リモートでも仕事は仕事だからな、無理するんじゃないぞ?」

「はぁい……」


「じゃあ、行ってくる」

「弦くん……」

 玄関で彼女とキスをしてから、ドアを開ける。

「行ってらっしゃい」


 家に誰かがいるだけで、身も心もあたたかい。

 寒空の下、俺は学校へ向かって行った。



 ※※※



「松永先生、ご結婚されたんですね。おめでとうございます」

 柏木かしわぎ先生に声をかけられた。彼女は若手職員で生徒からの信頼も厚い。

「ありがとう」

「新婚生活はどんな感じですか?」


 この手の質問にはどう答えるのが正解だろうか。

「そこまで変わらないけどな」

「またまた〜。絶対、甘い生活送ってるんでしょう?」

 柏木先生がからかうように笑う。

 甘い……か。考え方が若々しいな。


「まぁ……楽しく過ごしているよ」

「うふふ、お幸せに」



 ※※※



「ただいま」

「おかえり、弦くん♪ ごはんできてるよー」


 凛々子さんの眩しい笑顔を見るだけで、1日の疲れが吹っ飛ぶ。

 明るい食卓、 あたたかな日常――特別なことがなくても、それだけで幸せを感じられるとは。

「今ってさぁ、三者面談の時期だよね」

「そうだな」


 凛々子さんが探るような目をして言う。

「また弦くん……誰かと四者面談になってない?」

「……どうしてそんなことを?」

「だって顔に出てるもん」

 

 俺は副担任なので基本的に三者面談には行かない。だが、奈々美さんと竹宮くんの家庭には……一度だけ顔を出したことがあった。


 竹宮くんのところは家庭環境が気になってたから、出席した。奈々美さんのところは……凛々子さんが無理していないか、少し心配だったというのがある。


「今のクラスは、まぁ何人かは気になる」

「……じゃああの時、私のことは気になってたの?」

 彼女に目を見てそう言われると、誤魔化せない。

「ああ、君のことが気になってたかな」

 凛々子さんは嬉しそうに笑う。

 

「……私も三者面談でいきなり弦くんが出てきて、びっくりしたんだから。奈々美にバレてないかってヒヤヒヤしちゃった」

「フフ……」


 食後にコーヒーを飲みながら話す。外は静かになり、微かに街灯の光が揺らめいている。


「……それにしても最近の子って付き合うの早いよね」

「そうか?」

 きっと奈々美さんと竹宮くんのことだろう。あの2人は俺も早い方だとは思っていたが。


「全員が早いわけではないぞ」

「そうよね、私なんて全然だったから」

 そうなのか。凛々子さんのことだから、その笑顔で多くの男性の心を溶かしてきたのだろうと思っていた。


「凛々子さんは……きっと人気があると思ってた」

「えー? そんなことないよ。弦くんだって」

「いやいや」

 コーヒーを口にして笑い合う。

 

「ねぇ、奈々美と竹宮くん……あなたから見てどう?」

「……仲良くてお似合いだと思ってる」

「それなら、良かった」

「まぁ……なかなか帰らなくて時々困ってたが」

「……あら」


 2人の時間がゆっくりと過ぎていき、夜も更けてきた。


 

 ソファで凛々子さんが甘えたように言う。

「不思議……弦くんがこうやって目の前にいるなんて」

「……慣れないか?」

「……幸せなだけ」


 彼女が俺の胸元に頬を寄せている。

「弦くん……あったかい」

「凛々子さんもあったかいな」

「ふふ……この冬もこうしてたら安心だね」

「そうだな」


 髪を撫でると気持ちよさそうに目を閉じる彼女。愛おしくてその頬に口付けをする。

 

「今日は……どうする?」

「いいよ……弦くん」

 

 ふわりと髪が揺れて、彼女と唇を深く重ね合う。時間も心も溶けるように流れ、お互いの熱だけを肌に感じる。

 彼女の腰に手を回すとぴくんと肩が揺れる。震える指先で撫でれば、身も心もひとつになる。

 

 暗がりの部屋、小さな明かりに照らされて――2人の影が重なった。

 

 外では、冬の風が街路樹を揺らしていた。

 けれど部屋の中は、ただ静かに――ぬくもりだけが満ちていた。

 

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