第2話 紹介

 まさか――お母さんと松永先生が付き合ってるなんて。

 私は何と言えばいいのか分からず固まってしまう。


「奈々美、松永先生と私は高校時代に同じ部活でね。彼は私の2つ下の後輩なの」

 そうだったんだ、全然知らなかった。

 どうして付き合うことになったんだろう。


「奈々美が生まれてこっちに越して来た時に再会したの。中学校で副担だった時はたまに話す仲だった。奈々美が高校生になってから偶然会って……友達付き合いから始まってお付き合いすることになったのよ」


 先生は、顔は怖いけど前に比べたら穏やかに見えなくもない。お母さんも幸せそう。

 それはいいんだけどどうしよう。私は先生の渋さにずっとドキドキしている。お母さんに変に思われてないかな。


「奈々美さん、久しぶりだな」

 そう言われるだけで胸の奥でトクンと音がした。“奈々美さん”って呼ばれちゃった。“梅野さん”とは違う、少し距離が縮んだような気がして……鼓膜の内側まで熱くなる。


「松永先生、ご無沙汰しています……」

「大学生活には慣れたか?」

「は……はい」

 先生、今日はシャツを着て少しだけフォーマルな雰囲気で似合ってる。大人の男性の魅力が溢れていて、つい見惚れてしまう。


 店員さんが料理を運んできた。白い皿に盛られたグリルチキンからは香ばしい匂いが漂い、フォークを手に取るものの味がわからない。

 お母さんと先生が笑顔でグラスを傾ける姿は、ごく自然な恋人同士のよう。


「そうだ、絵は描いているのか?」

「はい、美術サークルに入ってマイペースに描いています」

「そうか。高校の時の展示会を思い出すな……あの時には君のお母さんとお付き合いしていたんだ」


 そう、高1の時に絵画展にお母さんと先生が来てくれたことがあった。お母さんが珍しくおしゃれしていてデートかなって思ったけど、やっぱりそうだったんだ。

 

「……もしかしたらとは思っていましたが、本当だったなんて」

「驚かせてすまない。だが、奈々美さんの気持ちも大切にしたいと思ってる」

「そうよ奈々美。私たちは特に急ぐわけではないから」


 こう言われても……私が何しようがもう2人はそういう仲なんだよね。

 どこか寂しく感じるのはなぜだろう。

 

 お母さんを取られる気がしたから?

 それとも……松永先生のことが気になるから?

 もちろんお母さんのこともあるけど、今はどうしても松永先生ばかり考えちゃう。


「奈々美さんは、凛々子さんに似てきたな」

「え、そう?」

「ああ、学生時代を思い出す」

「やだ恥ずかしい」


 お母さんの女性らしさがアップしているような。本当にこの2人は付き合ってるんだ。これからどうなるんだろう……再婚とかするのかな。

 

 だったら松永先生は私の父親になるってこと?

 え……え……!?


 私は頭の中がぐるぐるしてぼーっとしてきた。

「奈々美、大丈夫?」

「あ……うん」


 こういう時は親の幸せを願うものかもしれない。

 もちろんお母さんには幸せになってもらいたい。

 だけど私は――別の感情でいっぱいだった。


 先生のことが素敵だなって、思ってしまう。

 いや……いけない、私にははるくんがいるのに。

 なのに――止められない。先生に惹かれてしまう自分がいる。



 結局、味がよくわからないままランチが終わった。レストランから出て2人が並んでいると、どこか別の世界の男女に見える。嬉しそうに話すお母さんと、笑顔で頷く松永先生。

 

 私の知らなかった2人がそこにいる――まるで自分が置いてけぼりになった気分。

 もう大学生なのに、こんな子どもっぽいことを考えているのが恥ずかしい。だけど、すぐに受け入れられるほど私はまだ大人になりきれていない。


 先生への憧れと2人が恋人同士だという事実が混ざり、胸がざわめいている。

「では……奈々美さん。今日はありがとう」

「先生、ありがとうございました」


 理想的にはここで「うちの母をよろしくお願いします」とでも言うのだろうけど、私にはまだ言えなかった。

 

 

 家に帰ってからお母さんが話す。

「ありがとう奈々美。松永先生に会ってくれて」

「うん……」

「まさか中学時代の先生だなんて、受け入れるのに時間がかかるわよね」


 確かにそうだけど――それよりももっと大きな理由がある。


 中学時代の思い出が蘇って私はどうかしてしまいそうだ。

 どうしてこんなに考えてしまうの……?


「あ……私は構わないと思うから」

 お母さんと目を合わせられず声が小さくなってしまい、そのまま自分の部屋に行く。しばらくひとりでいたい。


 あれは修学旅行の時だった。肝試しのペアで1人少ない男子の代わりが副担の松永先生で、くじ引きで私が先生を引き当てた。

 暗くて怖い中、先生はずっと手を握ってくれて「大丈夫だ」って言ってくれて、背中もポンポンとしてくれて。あったかかったな……。


 私の中ではちょっと特別な思い出。心にしまっておくつもりだったのに、鍵を開けちゃったよ。

 受験時代には先生にたくさん励ましてもらった。いい先生だったな。そう……いい先生ということで、自分だけの記憶のままにしておきたかったのに。まさかお母さんと付き合ってるなんて。


 かと言ってどうにかしたいわけでもないし、私の彼氏は……はるくんだけだし。

 なのにさっきから先生のことばかり考えてて……ああ、やっぱりこの気持ちはどういうことなんだろう。


 その時、ピロンとスマホの音が鳴った。


『奈々美、GWって実家帰ってる? 会わない?』


 中学時代の友だち――すみれちゃんだ。

 そうだ、彼女に話を聞いてもらおう。


『久しぶり。話したいことがあるの。会いたい』

『オッケー! じゃあ明日にする? 駅前のいつもの場所で』


 すみれちゃんなら松永先生のことも知ってるから、私の気持ちもわかってくれるかも。とにかく誰かに話して気持ちを整理したい。1人で抱えてちゃいけない。


 明日の再会が、私の気持ちをさらに揺らすことになるなんて――この時はまだ、想像もしていなかった。

 

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