第22話 黒の巫女、アーテル
森の風は静かだった。
だが、どこか重く――まるで空気そのものが何かを警告しているようだった。
リオンは焚き火の灰を払って立ち上がる。
イリスとミナはまだ眠っている。
その隙に、周囲の気配を探った。
「……来てるな。」
肌を刺すような冷たい魔力。
黒い風が木々の間を流れ、葉が逆立つ。
リオンは剣を抜いた。
光が走り、白い刃が朝霧を裂く。
「出てこい。隠れるつもりはないんだろ?」
返事はなかった。
代わりに、木の枝がひとりでに揺れ、
黒い羽根がひとひら、ふわりと落ちてきた。
――そして、そこに彼女はいた。
漆黒の衣に身を包み、白い肌を月光のように光らせる少女。
腰まで届く長い黒髪、金の瞳が不思議な輝きを放つ。
彼女は静かに、まるで祈るように手を合わせた。
「初めまして――創造の子、リオン・アークライト。」
声は柔らかく、それでいて、どこか冷たい。
リオンは剣を構えたまま問い返す。
「……名乗った覚えはないが。」
「知っているの。あなたの記録を。」
「記録?」
少女――アーテルはゆっくりと目を閉じた。
「世界の裏には、拒絶の記録がある。
あなたが創造の記録を継いだように。」
リオンの眉が動く。
「お前は……拒絶の側か。」
「そう。私は黒の巫女、アーテル。
神の拒絶を受け入れた者。」
リオンは一瞬、構えを強めたが、アーテルの気配は敵意ではなかった。
それはむしろ――静かな悲しみのようだった。
「なぜ俺の前に現れた?」
「あなたに伝えるため。
――創造も拒絶も、いずれ同じ結末を迎えると。」
「同じ、結末?」
「そう。
創造が行き過ぎれば、世界は膨張して壊れる。
拒絶が進めば、世界は収縮して消える。
あなたも、私も、神の均衡装置にすぎない。」
リオンは息を呑む。
「俺を……神の駒だと言いたいのか。」
「駒ではない。鍵よ。
あなたが世界を創る鍵で、私がそれを閉じる鍵。」
その言葉に、リオンは剣を下ろせなかった。
「……じゃあ、なんで俺を殺しに来ない。」
アーテルはかすかに笑った。
「殺す? それは簡単。でも、それじゃ世界は閉じてしまう。
――私は、あなたを理解したいの。」
「理解?」
「創造とは何か。拒絶とは何か。
あなたの見る世界を、この目で確かめたい。」
その言葉は、まるで詩のようだった。
リオンは剣をゆっくり下げる。
「……お前、変わってるな。
拒絶の巫女ってもっと、冷酷な化け物かと思ってた。」
アーテルの目が細められる。
「化け物……そう呼ばれるのは慣れてるわ。」
その一言に、どこか哀しみが混じっていた。
その時、森の奥から悲鳴が聞こえた。
「――きゃあっ!」
イリスの声だ。
リオンが振り向く。
黒い影が木々の間から飛び出してきた。
数人の男たち――聖王院の追撃部隊だった。
「見つけたぞ、創造の子!」
「殺せ! 巫女もろとも!」
アーテルがわずかに目を細めた。
「愚かな者たち……。」
黒い風が彼女の周囲を舞う。
リオンが制止する間もなく、
彼女の周囲に拒絶の円環が展開された。
「《拒絶:空間消去(ノクス・エクリプス)》」
光も音も飲み込む漆黒の波が広がる。
兵士たちは叫ぶ間もなく、影のように掻き消えた。
残ったのは、焦げた地面と冷たい風だけ。
リオンが息を飲む。
「……今のは……」
「拒絶の構文よ。」
アーテルが静かに言う。
「あなたの《創造》が存在を生み出すなら、
《拒絶》は存在を削除する。」
リオンは唇を噛みしめた。
「……だから、恐れられるんだな。」
「そうね。
でも、あなたも同じ。
創造しすぎれば、世界は耐えきれず壊れる。」
アーテルがゆっくりと歩み寄る。
その金の瞳が、リオンをまっすぐに射抜いた。
「リオン・アークライト。
あなたの“創造”が、私の拒絶を超えられるか――見せて。」
その瞬間、空気が張り詰めた。
リオンも剣を握り直す。
「……いいだろう。
ただし、試すだけだ。殺し合いはごめんだ。」
「それでいい。戦いは、理解のためにある。」
光と闇がぶつかる。
リオンの創造陣とアーテルの拒絶陣が交錯し、
森の空間そのものが歪んだ。
「《創造:雷槍アークボルト》!」
「《拒絶:因果断層》!」
雷が走り、空間が切り裂かれる。
閃光と闇がぶつかり合い、衝撃波が地面を吹き飛ばした。
イリスとミナが遠くから見守る。
「リオン、危ない!」
「でも、あの人……殺す気じゃない。」
ミナが呟く。
アーテルの動きには、確かに慈悲があった。
やがて、両者の力が拮抗し、光と闇が弾ける。
煙の中で、二人は同時に剣を止めた。
「……もう、十分だな。」
リオンが息を吐く。
アーテルも頷いた。
「ええ。
あなたの創造には、破壊の意志がない。
だから、世界はまだ壊れない。」
その言葉に、リオンは微かに笑った。
「お前、やっぱり悪いやつじゃないな。」
アーテルが肩をすくめる。
「それ、拒絶の巫女に言う言葉じゃないわ。」
「俺は創造の子だ。常識のほうが間違ってる。」
アーテルが小さく吹き出した。
「……ふふ、なるほど。
あなたが神に拒絶された理由、少しわかった気がする。」
風が止み、静寂が戻る。
アーテルは振り返り、森の奥を見た。
「この先に、拒絶の核がある。
放っておけば、世界の地脈が侵される。
私たちは、同じ敵を持っているの。」
「同じ敵?」
「神よ。」
リオンの表情が固まる。
「お前も……神を?」
アーテルは頷いた。
「私は拒絶の巫女。
けれど本当に拒むべきは、創造主そのもの。」
リオンは剣を腰に戻した。
「……なら、目的は一緒だ。」
アーテルの瞳が少し柔らかくなる。
「そうね。
あなたが望むなら、一時的な同盟を結びましょう。」
「望むさ。
創造も拒絶も、どっちも人のために使えるなら。」
アーテルが差し出した手を、リオンが握る。
その瞬間、光と闇が混ざり合い、小さな輝きが生まれた。
「――契約、成立。」
アーテルが静かに言う。
遠く、聖王院の塔の上。
アルバが黒い鏡を見つめていた。
「……アーテルめ。勝手な真似を。」
背後の聖王が目を細める。
「構わぬ。
創造と拒絶が交わることで、真なる神は目覚める。」
夜の森に、二つの影が歩き出す。
創造の子と、拒絶の巫女。
相反する二つの理が、今ひとつの運命へと結びついていく――。
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