第18話 獣の少女

 朝の光が森を照らしていた。

 湿った土の匂いと、遠くの鳥の鳴き声。

 リオンとイリスは北方街道を離れ、樹海の小道を進んでいた。


 「道、合ってるの?」

 イリスが地図を覗き込みながら眉をひそめる。

 「多分な。こっちは獣道だけど、王都へ続く街道を避けるなら最短だ。」

 リオンは木々をかき分けながら答えた。


 その時、耳を裂くような悲鳴が響いた。


 「――っ!」

 イリスが反射的に杖を構える。

 「今の、子どもの声!?」

 「行くぞ!」


 二人は同時に駆け出した。

 茂みを抜けると、開けた場所に出る。

 そこでは、小柄な影が三体の狼型魔獣に囲まれていた。


 「動くな!」

 リオンが叫び、光の刃を創り出す。

 「《創造:光刃陣》!」


 七本の剣が宙に浮かび、狼たちを一斉に貫いた。

 爆ぜる光、飛び散る黒い体液。

 魔獣は断末魔を上げて崩れ落ちた。


 「……ふぅ。」

 リオンが息を吐くと、イリスが駆け寄る。

 「リオン、あの子!」


 倒れた魔獣の陰に、小さな少女が座り込んでいた。

 年の頃は十にも満たない。

 白銀の髪に、獣の耳。

 そして、震える尻尾が見えた。


 「……獣人、か。」

 リオンは膝をつき、ゆっくりと声をかけた。

 「大丈夫か? 怪我は――」


 少女はびくりと肩を震わせ、後ずさった。

 「……来ないで!」

 「待って、俺たちは――」


 リオンが言いかけた瞬間、少女の手から微かな光が走った。

 空気が震え、風が集まる。


 「魔法……!?」

 イリスが驚きの声を上げる。

 だが少女の詠唱は途切れ、光はすぐに消えた。

 「……やっぱり、出ない……」

 少女は膝を抱え、泣き出した。


 リオンはゆっくりと近づき、膝を折る。

 「怖がらなくていい。俺はリオン、こっちはイリスだ。」

 少女はしばらく沈黙したのち、か細い声で言った。

 「……ミナ。ミナ・ルヴェル。」


 「ミナ、どうしてこんなところに?」

 「……村が、襲われたの。」

 「襲われた?」

 「黒い霧をまとった兵士たちが来て……みんな……」

 ミナの瞳が震える。

 「お父さんも、お母さんも……連れて行かれた。」


 イリスが息を呑む。

 「黒い霧……まさか。」

 リオンは拳を握った。

 「黒霧の遺物が、もう使われている……。」


 ミナを連れて森を抜けた三人は、焚き火を囲んで休息を取っていた。

 陽は傾き、風が冷たくなっていく。


 「ミナ、村の場所を覚えてるか?」

 「北の山のふもと……ルヴェル村。」

 「ルヴェル……地図にあった廃村の近くか。」

 リオンは顎に手を当てる。

 「黒霧が再び出たとなれば、聖王院が動いてる可能性が高い。」


 イリスが火の光を見つめながら言う。

 「リオン、あの遺物を使えるのは、普通の人間じゃないはず。

  誰かが創造に似た力を持ってる。」


 「……ダリウスかもしれない。」

 その名を口にすると、ミナが顔を上げた。

 「ダリウスって……赤い目の人?」

 「知っているのか?」

 「うん。村が襲われたとき、黒い鎧の人たちの前に立ってた。

  神の命に従えって言ってた。」


 イリスが震える声を漏らす。

 「やっぱり……聖王院が関与してる。」

 リオンは静かに立ち上がった。

 「ルヴェル村へ行く。

  何が起きてるか、確かめる。」


 「でも危険よ。」

 「放っておけるか?」

 その言葉に、イリスは小さく微笑んだ。

 「……ほんと、あなたはそういう人ね。」


 夜。

 ミナは眠れぬまま、焚き火のそばで丸くなっていた。

 隣ではリオンが剣の手入れをしている。

 「……ねぇ、リオン。」

 「どうした?」

 「怖くないの? 黒い霧とか、戦うこととか。」

 リオンは少しだけ考えてから答えた。

 「怖いさ。でも、誰かが立ち止まったら、

  次の誰かも止まる。

  だから、俺が最初に動く。」


 ミナは小さく頷いた。

 「……お父さんも、そんなこと言ってた。

  誰かを守るとき、人は一番強くなれるって。」


 リオンは穏やかに笑う。

 「いい言葉だ。」

 「うん……リオンみたいになれたらいいな。」


 その小さな願いを聞きながら、リオンは心の奥で誓う。

 ――この子だけは、守る。

 今度こそ、失わない。


 翌朝。

 三人は北の山道を目指して歩き出した。

 霧が濃く、空気に微かな鉄の匂いが混じる。


 「ミナ、疲れたら言えよ。」

 「うん!」

 少女は笑顔を見せたが、その耳はぴくりと動いた。

 「……誰か、いる。」


 リオンとイリスが同時に反応する。

 森の奥から、金属音と靴の音。

 十数人の兵士が現れた。

 黒い鎧に、胸には聖王院の紋章。


 「……やっぱり。」

 イリスが杖を構える。

 「聖王院の部隊。」


 先頭の男が声を上げる。

 「創造者リオン・アークライト、そしてイリス=メイフィール。

  貴様らを神敵として拘束する。」


 「神敵、ね。」

 リオンの瞳が鋭く光る。

 「神がどう言おうと――俺は人のために創る。」


 男が剣を抜いた。

 「ならば、神の秩序の名の下に滅ぼすのみ!」


 風がうなり、金属がぶつかる音が森に響く。

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