第3話:初陣 ―テラス襲来―

 警報の音が学園全体に響き渡った。

 赤いランプが回転し、廊下を走る生徒たちの足音が重なる。

 「西区ポータル異常反応! テラス群発生! 繰り返す――」


 放送の声が途切れるたびに、空気が張り詰めていくのがわかった。

 リオは息を整えながら、防御服を身につけた。胸の奥で、何かが静かに燃えている。恐怖ではない――ただ、あの日、講堂で見た“影”を二度と放っておけないという感情だった。


 「リオ!」

 振り返ると、カイとアイリスが駆けてくる。

 「先生たちが言ってた。新人は原則出撃禁止。でも、指導教官の付き添いがあれば行ける」

 「まさか……」

 「もちろん行くでしょ?」アイリスが微笑む。

 「覚醒したばかりで実戦なんて、普通は無茶。でも、あなたの力を見た後じゃ、止めても無駄ね」

 「……ありがとう。二人とも」

 リオは頷いた。決意はもう固まっていた。


 ◆


 西区ポータル――そこは異界と地球を結ぶ巨大な門のひとつだった。

 普段は安定化装置によって閉鎖状態に保たれているが、異界のエネルギー流が乱れると、わずかに“裂け目”が生まれる。その隙間から漏れ出るのが、テラスと呼ばれる怪物たちだ。


 現場に到着すると、焦げた大地と崩れた壁が目に入った。

 黒い霧のような気配――それが蠢き、音もなく形を変えていく。まるで生きた影が地を這っているようだった。


 「……これが、テラス……」

 カイの喉が鳴る。

 「見た目より速いわ。警戒して」

 アイリスが指先に光を集め、杖のように構えた。

 リオも右手に力を込める。空気が振動し、周囲の景色が微かに歪む。


 「行くぞ――!」


 黒い影が弾丸のように飛び出した。

 カイが前に出て炎の壁を展開する。「《フレア・ライン》!」

 炎が地面を走り、影の進行を止める。だが、すぐに別の影が上空から襲いかかってきた。


 「リオ、上!」

 反射的に手を掲げる。

 「《エア・シフト》!」


 空間が波打ち、影が進行方向を失って弾かれる。だが、数が多い。五体、十体……小型テラスが次々と現れ、三人を囲むように動く。


 「囲まれた!? カイ、前衛を頼む!」

 「了解!」

 炎が爆ぜ、影を焼く。しかし、焼かれたテラスは霧のように分裂し、また別の形を取る。


 「再構成してる……! 通常攻撃じゃ通用しない!」

 アイリスの声が響く。

 リオは歯を食いしばり、もう一度空間を操作しようとした。だが、視界の端で何かが閃いた。

 ――時間が、止まった。


 一瞬だけ、音が消える。

 風が止み、炎が空中で凍りつく。目の前のテラスも動かない。

 リオは息を呑んだ。世界が“静止している”。


 (……俺が、やったのか?)


 意識を向けると、光が掌から溢れ出した。

 周囲の空間がきらめき、時間の膜が破れるように再び音が戻る。

 その刹那、静止していたテラスがすべて分解され、光の粒となって消えていった。


 ドームのような静寂。

 ただ、風が三人の髪を揺らしていた。


 「……なに、今の……?」

 アイリスの声は震えていた。

 「時間……が、止まった……?」

 リオは息を荒くしながら、膝をついた。頭の奥がズキズキと痛む。まるで脳が焼けるような感覚。


 「大丈夫か!?」カイが駆け寄る。

 「……少し、頭が……でも、平気だ」

 「お前……今の、異能なのか? 空間操作どころじゃねぇぞ!」

 「わからない……でも、たぶん……時間も……」


 その瞬間、遠くの空で雷鳴が轟いた。

 ポータルの中心――そこから、より巨大な影が姿を現す。

 人の形を模したような、黒い巨躯。空を覆うほどの存在感。


 「……中型テラス!? こんな早く……!」

 アイリスの顔が強張る。

 リオの視線がその巨体に吸い寄せられる。見ただけで、膝が震えた。

 だが――背中が、あの日の英雄像を思い出していた。


 (恐怖を超えて、立つんだ)


 「カイ、アイリス。俺が前に出る」

 「なに言ってるの!? あなたはもう限界よ!」

 「わかってる。でも、今しかない!」


 リオは駆け出した。空間の光が彼の体を包む。

 巨影の拳が振り下ろされる瞬間、空気がねじれ、拳がすり抜ける。リオの姿が一瞬消え、次の瞬間、巨体の背後に現れた。


 「《シフト・ブレイク》!」


 空間の断裂が走る。

 時間の流れが一瞬だけ遅延し、巨影の体が裂け、光に包まれて爆ぜた。


 爆風が吹き荒れ、地面がえぐれる。

 リオはその場に崩れ落ちた。視界が霞み、音が遠のく。


 ――その時、誰かの声が聞こえた。


 『力を使うな……そのままでは、お前も“あの英雄”と同じ末路を辿る』


 耳の奥に、知らない声。

 暗闇の中に、金の瞳が浮かんでいた。


 「……誰、だ……」


 問いかけた瞬間、意識が闇に沈んだ。


 ◆


 目を覚ますと、医務室の白い天井が見えた。

 隣にはアイリスとカイが座っている。二人とも心配そうな顔で見つめていた。


 「……目が覚めたか、リオ」

 アイリスの声が少し震えていた。

 「あなた、倒れたのよ。あのテラスを倒した後……」

 「ポータル異常はすでに鎮静化した。……でも」

 カイが言葉を濁す。

 「先生たちが言ってた。“あれは、人間の能力じゃない”って」


 リオは拳を握る。

 あの金の瞳。あの声。

 まるで、自分の中に“誰か”がいるような感覚だった。


 「……俺の中で、何が起きてるんだ?」


 その問いの答えを知るのは、まだ少し先のことになる。

 だがこの日――リオ・フェルネスは初めて“英雄の影”を踏み出した。

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