第2話 強制選択肢(リアル版)

「ぐうぅぅぅぅぅぅ………」


 腹の音が、薄暗い廃屋に虚しく響いた。

 着ているのは擦り切れた麻の着物一枚。懐を探っても、小銭どころか木の葉一枚入っていない。


(マジでゼロスタートかよ……!)


 ゲーム『戦国の覇道』なら、浪人でも「探索」コマンドで運よく金100を拾えることもあった。

 「商人」コマンドで相場をいじる稼ぎも、元手がなければ意味がない。


(今は……西暦何年だ?)


 『覇道』知識を総動員する。

 俺が「木下藤吉郎」なら、恐らく1550年代半ば。

 織田信長はまだ「尾張のうつけ」。家督を継いだばかりか、あるいは継ぐ直前。


(史実の藤吉郎は、今川仕官に失敗したり、針売りで日銭を稼いだり……)


 そんな回り道をしている暇はない。

 俺には知識がある。最短で信長に仕官し、信頼を得る――それが第一歩だ。


「……とはいえ、まずはこの腹だ」


 このままでは、信長に会う前に飢え死にする。

 よろよろと立ち上がり、外へ。


(『覇道』のマップ、通用するか……)


 尾張・清洲は「商業LV3」の拠点。市場は大きい。

 人が集まる場所なら、日雇いくらい見つかるかもしれない。


 土埃の道。行き交う人々はみすぼらしく、顔つきは険しい。


(これが……リアルか)


 ゲームの「民忠誠度60」なんて数字では測れない、疲労と不安の色。

(デバッグしてたNPCより、生気がないぞ……)


 市場は想像以上の活気と――混沌。

 野菜の声売り、魚の生臭さ、鎧のまま酒をあおる足軽たち。


(治安、低っ……)


 人混みを避けつつ、食い物、あるいは金になりそうな落とし物(リアル「探索」)を探して地面をキョロキョロ――。


 ドンッ。誰かにぶつかり、尻餅をついた。空腹で踏ん張りが利かない。


「いてっ……」

「あ、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」


 手を差し伸べてくれたのは、快活な声の少女。十三、四だろうか。

 粗末な着物だが清潔で、何より――この荒んだ市場に似つかわしくない、真っ直ぐな目。


「あ、ああ、平気だ……」


 助けを借りて立ち上がる。少女は俺の顔を見、それから腹のあたりに視線が落ち――


「ぐぅぅ……」


 最悪なタイミングで腹の虫が返事をした。

 精神年齢三十二歳、年端もいかない少女の前で。顔が熱い。


 少女はきょとん――からの、くすくす。

 小さな包みを開き、何かを差し出す。


「はい、どうぞ。お腹、空いてるんでしょう?」


 少し黒ずんだ麦飯の握り飯。


「え、いや、でも……君の――」

「いいから、いいから! このあとお屋敷で仕事だから、まかないがもらえるんです。

 それより、お侍さん? 顔、真っ白ですよ」


 差し出された握り飯。

 前世で培ったクライアント折衝のプライドと、今この瞬間の空腹――天秤は一瞬で傾いた。


「……あ、ありがとう。助かる……!」


 ひったくるように受け取り、夢中でかき込む。

 ボソボソの粒、じんわり広がる塩気。


(うまい……!)


 どんな高級焼肉より、デバッグ明けのラーメンより、うまい。


「ふふ、すごい食べっぷり。そんなにひもじいなら、うちの叔父さんのところで働きます? 人手が足りないって」

「叔父さん?」

「浅野又右衛門(あさのまたえもん)っていうんです。あ、私は『ねね』! お侍さんは?」


 ――ねね。


 その名で、麦飯を危うく噎せた。

(未来の正室、“ねね”だ!)


 脳内で『覇道』の警報が鳴る。

(やばい、イベント発生――!)


 その瞬間、視界に半透明のウィンドウがノイズと共に浮かび上がった。


――――――――――

【イベント:運命の出会い】

以下の選択肢から行動を選びなさい。


A:彼女の手を両手で握りしめ、「この御恩は、天下統一で返す!」と叫ぶ。

B:その場で土下座し、「ねね様! 拙者の妻になってくだされ!」と求婚する。

C:握り飯を天に掲げ、「ウキキ!(感謝)」と猿の鳴き真似をする。

――――――――――


「ふざけんなああああああ!!!」


 心の中で絶叫。

(何だこの地獄の三択! まともなのが一個もない!)


 本当は、普通に「ありがとう、俺は藤吉郎だ」と誠実に名乗りたい。

 だが、選ばないと時間が止まったまま。ねねは「お侍さん?」と首をかしげた姿勢で固まっている。


(Bは論外だ。初対面で求婚は狂人。Cは尊厳が死ぬ。史実の“猿”に引っ張られてるのか!?)


(……消去法でA、か……?)


 Aも相当ヤバい。いきなり「天下統一」とか、痛い通り越して怖い。

 それでも、押さなければ進まない。歯を食いしばり、俺はAを選択した。


 次の瞬間――体が勝手に動く。


「うおおおおっ!」


「ひゃっ!?」


 ねねの小さな手を、両手でガシッ。


「この御恩は、天下統一で返す! 必ずだ!」


(俺のバカァァァ! 何言ってんだ俺は!)


「て、天下……? あの、握り飯ひとつで……?」


 ねねの瞳が「ヤバい人に遭遇した」モードに切り替わる。

「そ、そうだ! 俺は木下藤吉郎! この恩は忘れない!」


 もはやヤケ。

 これが“リアル”。知識はあっても、行動の自由がない。


「と、とうきちろう……さん?」


 警戒心マックスで手を振りほどいたねねは、少し考え――


「……もしかして、叔父さん、本当に人手が足りないかも。変な人だけど、悪い人じゃなさそうだし」


 意を決し、俺の袖を掴む。


「よし、決めた! 藤吉郎さん、ちょっとツラ貸しなさい!」

「へ?」

「まずは叔父さんのところで、まともな飯と仕事にありつく! 話はそれから!」


 俺は、未来の天下人の妻に引きずられながら、決意を新たにした。


(ああ、そうか。リアルってのは、腹が減るだけじゃない)


 ゲームでは記号(パラメータ)だった「縁」が、こんなにも温かく、こんなにも強引に、人生へ介入してくる。


(まずは、この少女――ねねの期待に応えないと!)


 チート知識をどう活かすか。

 その前に――この握り飯を、きっちり完食してからだ。

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