第2章 光明の道

 「三浦陸です。心を癒す会のセミナーに参加したいと思って……」

 電話口の女性は、柔らかな声で応じた。

 「ようこそ。あなたの“光”を探す旅に、一歩踏み出されたのですね」


 その言葉に、わずかな吐き気を覚えた。

 だが陸は努めて冷静に返した。「はい、少し心の整理がしたくて」

 「では、初回カウンセリングを受けていただきますね。会場は来週の日曜。服装は自由ですが、できれば白っぽい色を。清浄な気を保てますので」


 通話が切れると同時に、静寂が部屋を満たした。

 陸はスマホを見つめながら、自分の手が汗ばんでいることに気づく。

 ――自分で決めたことだ。怖じ気づくな。

 そう心の中で繰り返した。



 当日、会場は郊外の研修センターだった。

 清潔で無機質な建物。受付には若い男女が並び、誰もが穏やかな笑みを浮かべている。

 「ようこそ、三浦さん。お待ちしておりました」

 出迎えた女性スタッフが名札を差し出した。名札には「参加者番号12」とだけ書かれていた。


 「お名前ではなく、番号でお呼びしますね。ここではみんな平等ですから」

 その言葉に、背筋をかすかに寒気が走る。


 会場の中には十数人の参加者がいた。

 男女問わず、どこか疲れた表情。

 会社の不満、家庭の問題、心の病――いくつもの「救いを求める目」が集まっていた。


 やがて壇上に一人の男が現れた。

 白いスーツに銀の髪、年齢は四十代半ば。

 彼がマイクを握った瞬間、空気が変わった。


 「初めまして。私は“光明の道”の導師、天ヶ瀬蓮堂です」


 その声は低く、落ち着きがあり、まるで心の奥に直接響いてくるようだった。

 「皆さん、ここに来たということは、もう“闇”に触れたからです。

  人は皆、苦しみの中で光を求めます。

  ですが、本当の光は――“壊れること”の先にあるのです」


 言葉の一つひとつが、静かに会場を包み込む。

 陸は、奇妙な静寂の中で周囲を見渡した。

 誰もが微動だにせず、蓮堂の言葉に聞き入っている。

 まるで心臓の鼓動さえ、彼の声に合わせて打っているようだった。



 初日のプログラムは穏やかなものだった。

 「自己肯定ワーク」「感情の解放」「新しい自分の受容」――

 言葉だけを見れば、心理療法やセミナーによくある内容だ。


 だが、妙だったのはその進行方法だ。


 参加者がひとりずつ前に立ち、自分の弱さや後悔を語る。

 他の全員はそれを聞きながら、無言で「うなずき続ける」。

 うなずくたびに、心が少しずつ麻痺していくような感覚があった。


 陸の番が来た。

 「……僕は、大切な人を失いました」

 その一言を口にした瞬間、司会役の女性が静かに言った。

 「その人は“あなたの闇”です。手放しましょう」


 会場中の人々が、同じ言葉を繰り返した。

 「手放しましょう」

 「手放しましょう」

 「手放しましょう」


 合唱のような声が、耳の奥を打った。

 陸の心の奥で、何かが軋んだ。



 その夜、宿泊棟に戻ると、窓から見える外の風景は不自然なほど静かだった。

 部屋には時計もテレビもない。スマホは「セッション集中のため預ける」よう指示されている。

 陸は枕元のノートを手に取った。表紙には金色の文字でこう書かれている。


 > 《光明日記――あなたの再生の記録》


 ページをめくると、最初に印刷された言葉が目に入る。

 > “思考は毒。言葉は呪い。光だけが真実である。”


 その文を見つめるうちに、頭の奥でざわめく声がした。

 “光だけが真実である”――。

 どこかで聞いたような、しかし拒絶できない響きだった。



 二日目、プログラムはさらに進んだ。

 「浄化の時間」と呼ばれるセッション。

 参加者が輪になり、互いに過去の罪や後悔を叫ぶ。

 スタッフが静かに近づき、肩に手を置くと、泣き崩れる者が続出した。


 陸はその様子を見ながら、背中を冷や汗が伝うのを感じていた。

 この行為は、“自我を削る”儀式だった。

 泣く者、笑う者、叫ぶ者――

 誰もが徐々に「壊れていく」。


 そのとき、向かいの席に座る女性が目に入った。

 ――真希だ。

 短く切られた髪、無表情のまま。

 彼女は泣いていた。だが、涙の奥に感情がなかった。


 陸が思わず立ち上がりかけた瞬間、スタッフが彼の肩を押さえた。

 「焦らないで。あなたの“光”も、すぐに見つかります」


 囁く声は優しく、しかし底知れぬ冷たさがあった。



 夜。

 陸はベッドの上で目を閉じながら、天井の薄い照明を見つめていた。

 ――真希が、そこにいる。確かに。

 けれど声をかけることはできない。名前を呼ぶことも許されない。


 「光の中で生まれ変わる」と、スタッフは言った。

 “生まれ変わる”とは、つまり“消える”ということなのだろうか。


 その答えを求めるように、陸は再びノートを開く。

 ページの端に、誰かが書き残した走り書きがあった。


 > “三日目の夜、音が止まる。目を閉じるな。見続けろ。”


 その文字だけが、震えていた。



次章予告

第3章 再生の儀式

三日目の夜、すべての音が消える。

陸はその瞬間、“光明の道”の本当の目的を知ることになる。

――そして、初めて“壊される側”になる。

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