『光の檻』

神田 双月

第1部:『光明の道』

第1章 消えた恋人

 藤沢真希がいなくなったのは、金曜の夜だった。

 雨上がりの駅前、街灯の光がアスファルトに反射して揺れていた。最後にメッセージを送ったのは午後九時すぎ。「ちょっと話したいことがあるの。今夜、電話してもいい?」それが既読になったまま、返信はなかった。


 翌日、三浦陸は真希の部屋を訪ねた。鍵は開いていた。

 部屋は整頓されており、荒らされた形跡はない。靴箱の中から真希のスニーカーが一足消えていて、机の上にはマグカップと一枚のチラシが置かれていた。


 ――〈心を癒す会 あなたの“光”を見つけよう〉。

 淡い金色の紙に、微笑む人々の写真が印刷されている。企業の自己啓発セミナーのようにも見えるが、裏面には「代表:天ヶ瀬蓮堂」の名と、郊外の住所が記されていた。


 陸は嫌な胸騒ぎを覚えた。

 そのチラシにはどこか、胡散臭い「清らかさ」が漂っていた。

 だがその時は、ただのカウンセリング団体だろうと思い、警察に相談してみた。


 しかし、返ってきたのは事務的な声だった。

 「成人女性の自主的な失踪の可能性がありますね。事件性があるとは言い難いです」


 電話を切ったあと、陸は深く息を吐いた。

 ――何かがおかしい。

 そう感じた理由は、真希のスマホの最後の位置情報が、彼女の職場でも実家でもなく、“郊外の山裾の倉庫地帯”で途絶えていたからだ。



 翌日、陸はその場所に車を走らせた。

 高速のインターを降り、コンビニも信号も減っていく。曇天の下、人気のない道路を抜けると、白いプレハブの建物が見えた。看板には「心を癒す会・セミナーハウス」。


 敷地の入口には、笑顔のスタッフらしき男女が立っていた。

 彼らはそろって白い服を着て、胸に金色のブローチをつけている。

 陸が車を降りると、女性のひとりが穏やかに声をかけてきた。


 「こんにちは。初めての方ですか?」

 「ええ……知り合いが、ここに来ていませんか? 藤沢真希という人なんですが」


 女性は首を傾げた。

 「どなたも、そのようなお名前の方はいませんね。ただ……皆さん、ここでは“本当の名前”を捨てることが多いんです」

 「……本当の名前を?」

 「はい。新しい光を見つけるために、古い自分を手放すんです」


 笑顔で言われた言葉に、陸は背筋が冷えた。

 その“笑顔”が、どこか作りもののように見えた。

 彼女たちの瞳には、熱がない。光はあるのに、温度がなかった。


 その日、陸は建物の内部を見せてほしいと頼んだが、

 「今日は一般見学の日ではありません」とやんわり断られた。

 仕方なく帰ろうとしたとき、ふとガラス越しに見えた。


 白い服の列の中に、見覚えのある後ろ姿があった。

 真希だった。髪を短く切り、同じ金のブローチを胸につけていた。

 陸が駆け寄ろうとすると、職員が前に立ちはだかった。


 「お知り合いの方でも、今は“再生の期間”です。外の方とは接触できません」


 その声はやさしいのに、決して通じる余地のない壁のようだった。



 数日後、陸は再び警察を訪ねた。

 だが担当の刑事は、淡々と書類をめくりながら言った。

 「“光明の道”か……名前だけは聞いたことがある。最近、そういうセミナー型の団体が増えてるんだ。だけど、違法行為が証明できなければ手出しできない」


 「彼女は、洗脳されてるんです!」

 「そう思うなら、家族が動くしかないな」


 家族――。

 真希の両親にも会いに行ったが、二人は穏やかに言った。

 「真希はね、ずっと悩んでたの。あなたとの関係にも。あそこに行って元気になれたなら、それでいいじゃない」


 陸は言葉を失った。

 まるで、周囲の人間すべてが静かに“向こう側”へ行ってしまったような感覚だった。

 孤立感だけが残る。



 夜、陸は一人でネットを漁った。

 「光明の道」「天ヶ瀬蓮堂」――検索結果は少ない。

 だが匿名掲示板の片隅に、ひとつだけ気になる投稿があった。


 > 『光明の道』のセミナーに行った。最初は普通。でも、“再生の儀式”のあと、

 > みんな別人みたいに笑う。

 > あれは宗教じゃない、“壊すための治療”だ。


 陸は無意識に背筋を伸ばした。

 画面の向こうの“壊す”という言葉が、静かに心臓を掴んだ。


 その夜、彼は決意する。

 ――自分が潜り込むしかない。

 真希を取り戻すために。


 だがその決意が、彼の人生の「光」をすべて焼き尽くすことになるとは、

 まだ誰も知らなかった。



次章予告

第2章 光明の道

陸は信者として潜入する。

優しい笑顔、穏やかな言葉、そして心を溶かす「セッション」。

光の中で、彼は少しずつ“自分”を見失っていく。

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