水曜日の通り魔 アナザーストーリー
キリ子ゲームズ開発
第1話: 水曜日の通り魔 - 崩れゆく日常
放課後のチャイムが校舎に響き渡り、今日の授業が終わりを告げた。
ゆいはほっと息をつき、鉛筆を置く。教室には、今日一日を終えた生徒たちのざわめきが満ちていた。
友人と他愛ないおしゃべりを交わしながら教室を出ると、西日に染まる廊下がどこかセンチメンタルな気持ちを誘う。友人たちの朗らかな笑い声が遠ざかっていく中、優衣の心には、いつもこの時間になると、微かなざわめきが宿るのだった。
他の人には見えないもの、聞こえないものが、時折、ゆいには感じられる。それは、幼い頃からの『いつものこと』。だからこそ、ゆいはなるべく気にしないように、見て見ぬふりをして、ごく普通の女子学生として、ごく普通の毎日を過ごしてきた。今日も、きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせながら、彼女はいつもの帰り道へと足を踏み出した。アスファルトを蹴るスニーカーの音が、夕暮れの街に響く。
ゆいは校門を出て、活気あふれる商店街を背にする。人通りの少ない住宅街へと足を踏み入れると、空はまだ明るさを残しつつも、太陽はすでに山の端に隠れ始めていた。西の空には、燃えるようなオレンジ色が広がり、街灯がぽつぽつと灯り始める。薄闇が街を覆い始める、そんな時間帯だった……。
ゆいの帰り道には、少し遠回りにはなるものの、近道だと信じて通り抜けている公園があった。ブランコやすべり台が錆びつき、少し寂れた雰囲気を漂わせる公園だ。子どもたちの遊び声も聞こえず、街の喧騒からも少し離れて、ひっそりとしている。風が、かすかにブランコの鎖を揺らす音だけが、静かに響いていた。
公園の真ん中あたりに差し掛かった時、ゆいの視界の隅に、ベンチに座り込むスーツ姿の男性が映った。彼の背中は丸く、まるで胃を抱えているかのように見える。顔色は青白く、額には脂汗がにじんでいるようだった。
明らかに、様子がおかしい。
ゆいは思わず、
『あの、大丈夫ですか……?』
と声をかけようと、一歩足を踏み出した。
彼女の声に、男性はハッと顔を上げる。その瞳は焦点が定まらず、どこか怯えているようにも見えた。男性はゆいを一瞥したかと思うと、まるで何かを振り払うかのように、ガバッと勢いよく立ち上がった。
「え……?」
ゆいは小さく呟き、驚きに立ち尽くす。
男性は、ゆいに背を向け、ふらふらと公園の奥へと歩き出してしまった。その足取りは、どこかおぼつかない。まるで、見えない何かに引きずられているかのように見えた。ゆいは声をかけそびれて、その場に立ち尽くす。男性の姿が、暗がりに吸い込まれるように見えなくなっていく。やはり、『いつものこと』なのだろうか。見えない何かが、彼を急かしていたような、そんな嫌な予感がゆいの胸をよぎった。
もう少し様子を見たほうがいいかもしれない、と思ったけれど、その気持ちは次の瞬間、かき消される。公園の奥から、突然、耳をつんざくような女性の叫び声が響き渡ったのだ。
「ひっ……!」
ゆいは思わず息を呑み、身体が硬直する。
心臓が、恐怖で早鐘を打った。何が起こったのか、頭が真っ白になる。足はすくんで動かないけれど、ゆいの好奇心――いや、得体の知れない不安に突き動かされるように、彼女は公園の奥へと様子を見に足を進めた。
暗闇の中、必死に目を凝らすと、そこには信じられない光景が広がっていた。先ほどベンチに座っていた男性が、地面に倒れている。彼は、まるで人形のように動かない。そして、その男性の腹部からは、おびただしい量の血が流れ出し、公園の土にじわりと広がっていた。暗闇でもはっきりとわかる、赤い血の海……。
「う、嘘……」
ゆいの口から、か細い声が漏れる。
彼女の目には、倒れている男性しか映らなかった。犯人の姿などはどこにもない。まるで、突然、現れて、突然消えたかのように……。一体、何が……。なぜ、こんなことに。膝から力が抜け落ちて、今にも倒れそうになる。
思考がまとまらないまま、ゆいは震える手でスマートフォンを取り出した。
「け、警察……!」
荒い息遣いの中で、ゆいは震える指先で、110番に通報した。耳元で聞こえる自分の声が、ひどく震えているのがわかる。受話器の向こうのオペレーターの声が、遠く、現実離れして聞こえた。
それからしばらくして、どれくらいの時間が経っただろう。
遠くから聞こえてきたサイレンの音が、次第に大きくなる。パトカーの赤色灯が、夜の公園をあやしく照らし出した。人々がざわめき始め、複数の警察官が駆けつけ、現場はあっという間に物々しい雰囲気に包まれる。無線機から飛び交う声が、緊張感を高めた。
「おい、そこの君! 何があったか説明できるか?」
体育会系の、少し声の大きい男性の警察官が優衣に近づいてきた。その顔には、焦りと苛立ちが混じっているように見えた。優衣は、なんとか状況を説明しようと、絞り出すように言葉を並べた。
「あの、公園の奥から叫び声が聞こえて……それで、見に行ったら、あの、人が倒れていて……」
「犯人は見たのか? 何か特徴はあったか?」
警察官の問いかけに、ゆいは首を横に振る。
「いえ……誰の姿も、見えませんでした。私が見た時には、もう、倒れていて……」
「そうか……。他に何か変わったことはなかったか? 例えば、誰かが逃げていくのを見たとか、何か物音を聞いたとか。些細なことでもいい、覚えていることは全て話してくれ」
「いえ……本当に、叫び声の後に、倒れている人がいるだけで……。何か、妙な空気は感じましたけど……」
ゆいは思わず、霊感で感じた『妙な空気』のことを口にしそうになったが、寸前で言葉を飲み込んだ。こんな状況で、そんなことを話しても、きっと信じてもらえないだろう。
ゆいの証言に、警察官は腕を組んで唸った。眉間に深いしわが寄っている。「チッ」と舌打ちが聞こえたような気がして、優衣はさらに身を縮めた。
やがて、救急車も到着し、倒れていた男性はストレッチャーに乗せられ、素早く運び去られていく。現場には、規制線が張られ、鑑識の人間が慌ただしく動き回っていた。ストロボの光が、闇を切り裂くように何度も閃く。
そして、しばらくして、他の警察官たちとは少し違う雰囲気の一人の刑事がゆいの前に立った。背が高く、どこか気だるげな雰囲気だが、切れ長の目が印象的だ。こんな状況でも乱れていないスーツの着こなしが、彼の几帳面さを物語っているようだった。
「やあ、君は見たところ……女子高生で年は16か17ってところか、下校途中に事件に出くわしたって感じかい」
「僕は安立。今回の事件を担当する刑事だよ」
「君、名前は?」
彼の口調は、こんな状況だというのに、どこか軽妙で、掴みどころがない。まるで、海外ドラマに出てくるような刑事だ。その軽やかな物言いは、張り詰めた優衣の心を、ほんの少しだけ和ませてくれた。
「立花、ゆいです……」
ゆいは自身の名を告げた。
「ゆいちゃん、だね。突然のことで驚いたと思うけど、もう少しだけ詳しく事情を聞かせてもらえるかな? 君が第一発見者だそうだから」
安立刑事はゆいに尋ねる。
ゆいは頷き、再び、今日起こった出来事を、なるべく正確に説明した。今度は、冷静に、自分が目撃したことだけを話すように努める。安立刑事は、優衣の話を熱心に聞いてくれた。その視線は、鋭くも優しい。時折、手元のメモ帳に何かを書き込んでいる。
「なるほどね……。犯人の姿は見ていない、と。公園に入った時、男性がベンチに座っていたのは確かだね?」
「はい……。少し、体調が悪そうでした。顔色が悪くて、苦しそうにしていたので、声をかけようとしました」
「声をかけようとしたら、彼が急に立ち上がって、公園の奥へ向かった、と。そこから叫び声が聞こえた、というわけか……」
安立刑事は顎に手を当て、考え込むような仕草を見せた。そして、ゆいの目を真っ直ぐに見つめ、尋ねた。
「ありがとう。何か他に、変わったことはなかったかな? 例えば、公園にいる間、変な気配を感じたとか……」
彼の言葉に、ゆいはドキッとした。なぜ、彼が霊感のことを知っているのだろう。優衣の心臓が、再び大きく跳ね上がる。
「え……? あの……特に、何も……。急に叫び声が聞こえただけで……」
ゆいはとっさに、自分の霊感のことを隠そうとした。彼はゆいの戸惑いを、見抜いているかのように、ふっと笑みを浮かべた。
「まあ、いいさ。無理に話す必要はない。今日はもう遅いし、随分と疲れただろう。残りの話は、後日改めて聞かせてもらうよ。今日はもう帰っていい。自宅まで、誰か送っていく手配をしようか?」
安立刑事は、ゆいの様子を窺うように、少し心配そうな表情で言った。
「いえ、大丈夫です。家はすぐそこなので……」
ゆいはそう言って、安立刑事は軽く頭を下げた。
ゆいは、他の警察官たちにいちべつされながら、ようやく夜の公園を後にした。
規制線の張られた公園から離れるにつれ、胸のざわめきは少しずつ収まっていった。
しかし、夜風が、冷たく頬を撫でるたびに、あの光景が脳裏に蘇る。
赤い血の色、地面に横たわる男性の姿、そして、突然響いたあの女性の叫び声……。
私の心は、まだあの恐怖と衝撃から抜け出せずにいる。
ただ明日になれば、いつもの日常に戻ると思っていた。
明日から、今までと同じように学校に通い、友だちと笑い合うことができる――と。
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