エピローグ2

 〈冒極〉支部の一室。

 壁にもたれ掛かりながら出来事を語るディライトの報告を、ニーズは窓際に立ち、外の景色へと視線を向けたまま聞いていた。

 皮で拵えられたソファに腰掛けたリンリンとサミアも、時折言葉を差し挟み、細部を補っていく。

 やがてディライトが全てを語り終えても、室内には沈黙だけが残った。

 窓辺に立つニーズは、瞼を閉じたまま動かない。

 まるで、死者への黙祷を捧げているかのように。

 そして――ゆるやかに瞼を開く。


「……やはり、ニールデンは死んでいたか」

 

 窓越しに差し込む光を見据えたまま、淡々と呟く。

 

「数年もすれば、本部への昇進は確実だったろうに」


 悲報を耳にしても、惜しむ色はあれど、ニーズに悲しみの影はなかった。

 〈冒極〉のナンバー2である自分が直々に来ているというのに、支部長を務めるケイン・ニールデンが姿を見せない――その時点で、答えはおおよそ定まっていた。

 重傷か、それとも……。

 悪い予想は、やはり的中した。

 しかも道中で拾ったを思えば、ケインの死はもはや疑いようもない。

 ニーズはわずかに顎をしゃくる。

 控えていた部下の一人が合図を受け取り、ソファ前のローテーブルへと歩み出る。

 コトリと置かれたのは、レンズにヒビの走った眼鏡だった。


「道すがら拾った物だ。映像機――魔道具だ。……心当たりはあるな?」

「……ケイン」


 卓上に置かれたひび割れた眼鏡――それはケインが常に掛けていたものであると、ディライトは一目で分かった。

 眼鏡を置いた職員がフレームを折り曲げると、そこから光が迸り、空中に映像が投射される。

 現れたのは、魔法生物たちの死。赤き大猩々との死闘。仮面をつけた謎の女。魂の咆哮。

 ケインの生きた証そのものが、断片となって浮かび上がった。

 凄絶な映像に、リンリンもサミアも息を呑み、声を失う。

 ディライトも衝撃を受けていたが、意識はケインが発した言葉に向いていた。

 ――彼はいずれ必ず、ランク5に至る。

 ケインがかけてくれる大きな期待。その期待の色は、この町に来たばかりの頃にも確かに宿っていた――と、ディライトは懐かしく思い返していた。




「休暇はまだ継続中ですかね」


 ペルニット町に来てからまだ一週間ほどしか経っていないとき、〈鈴々亭〉で食事をとっていたディライトの横に座っていた男性客が会計に行った。

 しかし、空いた席へと代わりに座って声をかけてきたのはケインだった。


「おかげさまで満足に休暇を過ごせてるよ――って言いたいところだけど、この店昼にもう来ないわ。客多すぎ」

「有名店ですからね」


 カウンターテーブルに置かれたコップへと水を注ぎながら、ケインはディライトへと言葉を続ける。


「君がこの町に来てくれて、私結構嬉しいんですよ? 実はファンなもので」

「マジ?」


 唐突な支部長のカミングアウトに、ディライトが食事の手を止めて、黒眼鏡越しにケインの眼鏡を見る。

 

「娘がね」

「あ、そっちね。サインいる?」

「一応ください」


 ケインが手渡したハンカチとペンをディライトは預かると、ペンで自身の名前をハンカチへと記載していく。ランク4にまで上がるほどの武勇伝を持っていれば、町中でも声を掛けられることはそう少なくない。

 貴重なファンを想って、丁寧なサインを描きながらディライトはケインへと口を開く。


「で。そろそろ出て行けって?」

「ランク5へと至るために、そう長く道草は食っていられないでしょう」


 ケインは、ランク4であるディライトがペルニット町に来訪したことに、喜びと同時に落胆せざるをえない気持ちが沸き上がっていた。

 魔導列車の駅があるとはいえ、都市と比べれば人口がそれほど多いわけではなく、迷宮といった未知の存在とも縁遠いこの地に、ランク4が留まり続けるというのはあまり喜ばしいことではなかった。


「確かに未知と呼べるのものには早々出会わないでしょうが――まさかこの町に?」

「いやいや違う違う。ホントにただの休暇」


 ディライトは手を軽く振ってケインの推測を否定すると、爪楊枝で歯間を掃除し始めた。


「ちょっとした意思表示だよ。冒険心がね――台無しにされちゃったからさ」

1つ目の巨人サイクロプスの群れを討伐した時の話ですね。確かにあれは凄まじい活躍でしたが、ランク5へと手が届くかと言われれば――」

「何年前の話してんだよ。じゃない」


 言葉を続けず、黙々と口内掃除に勤しむディライトからは、これ以上追求するな、という意思をケインは感じ取った。

 それでも、支部長として、1ファンの父親として、告げなければいけない言葉はある。


「もう十五年以上、ギルド全体でランク5へと昇格した者は出ていません。それはつまり、国が平和であったと同義もできますが……それでもやはり次の傑物がいつ出るか、皆期待するものです」


 未だ沈黙を返すディライトへと、構わずケインは言葉を続ける。

 

「私は、ディライト君だと思っています。巨災狩りジャイアントハンターこそが、次のランク5だと」

「重すぎる期待だね」

「重りにするからですよ。背中を押す風と捉えてください」

「向かい風にならないといいけどね、っと」


 爪楊枝を塵紙で包み、空いた皿へと置いたディライトは、食事を済ませたため席を立った。

 そのまま行こうとするディライトへと、ケインが粋な計らいをした。


「奢っておきます。追い風でしょう?」

「ハッ、確かに」


 ケインの気遣いに、ディライトは視線を向けることなく背越しに手をひらひらと振って店を出た。



 

「お疲れ、ケイン」

 

 悲しみがある、怒りが沸く――負の感情を露わにすることよりも、ディライトはまずケインを労いたかった。

 ディライトが呟いた言葉に賛同するように、ニーズが言葉を続けた。


「ニールデンの犠牲は、無駄ではなかった」

「無粋だな。副長にとっては、所詮替えが利く駒の1つに過ぎないもんね?」


 だが、その言葉をディライトは良しとしなかった。牽制するように非難交じりの皮肉をぶつける。

 組織の上に位置する者からすれば、支部長といえど替えの利く人材くらいにしか思っていないだろうとディライトは考えていた。

 ニーズの反応は、ディライトの予想とは異なるものだった。


「その通り、駒だ。優秀で――替えの利かない駒だった」

「……その台詞、聞かせてやりたかったよ」


 ただの一職員としか見なしていないニーズではあったが、確かにケインを認めていた。

 ぶっきらぼうに呟いたディライトが、映像の内容について言及する。


「黒幕だけど――ちょっと厄介だね」

「ちょっとどころではない。〈翳哭〉はこの国の腫瘍だ。長年放置していた問題が、まさかこのタイミングで牙をむいて来るとは」


 闇ギルド〈翳哭〉――映像の中で仮面の女が口にした、その名は、この国の闇を象徴する組織であった。

 ディライトの意識がそこへと向けられると、同調するようにニーズの表情にも険しさが浮かぶ。


 重苦しい空気が室内を支配する中、状況を十分に飲み込めていないサミアが疑問を呈した。


「えいこくって?」

「〈翳哭〉ネ。国からの承認を受けていない、不正規のギルドアル」

 

 サミアの質問に、リンリンが眉をひそめて答えた。

 

「人身売買、違法物品の取引、不法占拠……碌な噂は1つも聞かないとこヨ」

「……人身売買」

 

 サミアの耳がかすかに震え、声は小さく震えていた。

 人の悪意と欲望を寄せ集め、煮詰めた末に形を成した――まさに国の病巣とも呼ぶべき組織が存在する。

 その現実に耳をぴくぴくと動かすサミアへと、ニーズの鋭い視線が静かに注がれた。


「獣人族の少女よ。サミアと言ったな」

「うん」

「今までの話が確かならば、すぐにでも貴様の腹を切り裂いて【アヨングの魔法石】とやらを取り出したいところだが――」

「え」


 物騒すぎる言葉に恐怖を覚えたのか、サミアはソファから勢いよく立ち上がり、ディライトのもとへ駆け寄った。

 小さく身を抱きすくめ、怯えた眼差しで彼の影に身を隠す。

 そのあからさまな怯えように、リンリンとディライトは顔を見合わせ、思わず鼻で笑った。


「嫌われたアルな」

「大人が子供いじめてるみたいで、みっともないよね」

「……まぁ、聞け」

 

 ニーズは二人の言葉を軽く受け流し、重々しく口を開く。

 

「条件を2つ飲むなら、サミア――貴様の自由を認めよう」


 言葉の切り出し方が悪かったせいで、サミアにとってニーズは悪者のように映ってしまっていた。

 だがニーズ自身は、ため息をひとつつき、そうではないことを告げようとしていた。

 サミアは――魔匠連番のひとつを体内に取り込んだ存在。

 いわば時限爆弾のようなものであり、〈冒極〉にとっても、この国にとっても、吉と出るか凶と出るか分からない存在であった。

 吉凶が顕れる前に抹消してしまうのが最も安全な策である。

 だが、もし国をも揺るがしかねないほどの力を持つ魔道具のひとつが、こちらの戦力として加わるのなら――それは計り知れない価値となる。

 賭けであることを承知の上で、ニーズは思案していた。

 サミアの身柄を認めるにしても、条件を2つは設けねばならない、と。


「1つは、我らギルド〈冒極〉への加入だ。これは絶対条件だ。異論があるなら――即刻、貴様の解体を実行する」

 

 ニーズの声は冷たく、脅迫めいた響きを帯びる。部屋の空気が一段と凍りついた。


 ――その緊張を切り裂くように、サミアが首をかしげてぽつりと言った。

 

「サミア、冒険者じゃないの?」


 あまりにも場違いな素っ頓狂さに、空気が一瞬ひっくり返る。

 既に冒険者としての自負を滲ませるサミアの言葉に、ニーズは目を細めてディライトへと視線を向ける。

 どういうことだ、そんな問い詰めるような眼差しを受け、ディライトは隣に寄ってきたサミアの頭へと手のひらを置いた。

 笑いを堪えながらディライトは口を開く。


「冒険者やろうぜって、俺が誘ったんだ。サミアはもう冒険者だよ――ま、登録はまだだけどね」

「……そうか。ならば命令も下せるな」

 

 ニーズは短く肯定し、視線を鋭くした。

 

「では、もう1つの条件を伝えよう。これはノヴァライトへの責任も兼ねている」

 

 続く言葉に、ディライトとサミアは思わず背筋を正し、襟元を整えた。

 冒険者といえども組織の一員である以上、副長という立場の命令を軽んじることはできない。

 ディライトにとって命令を受けるのは癪に障ることだったが――今回の被害を未然に防げなかった責任は、己も負うべきだと考えていた。


 リンリンは心配そうに二人を見つめ、その表情にはわずかな緊張が滲む。

 厳かな空気が室内を支配する中、ニーズはついに最後の条件を告げた。


「副長として命じる」

 

 ニーズの声が低く響き、室内の空気をさらに張り詰めさせた。

 

「魔匠連番の回収が終わるまで――サミアはノヴァライトと行動を共にせよ」

 

 ニーズの命令に、ディライトとサミアは正反対の反応を見せた。

 ディライトは「まじかよ」と天を仰ぎ、露骨にうんざりした表情を浮かべる。

 一方のサミアは、もともと付いていくつもりでいたため、当然のことを告げられたことで小首を傾げていた。

 2人の対照的な様子に、リンリンは思わず吹き出し、ニーズは怪訝そうに眉をひそめる。

 ――町へ被害をもたらしたディライトには、魔匠連番を回収しつつ、身近で【アヨングの魔法石】――すなわちサミアを守り抜けという責務。

 そしてサミアには、体内に魔匠連番を抱えている以上、〈冒極〉の監視下に置かれるという制約。

 だが結果として、ニーズの示した条件はサミアにとっては何の束縛にもならず、ただディライトを苦しめる形にしかならなかった。

 その事実に、ニーズは心中で「もう少し条件を練るべきだったか」と思索を巡らせかけた――。

 だが、その考えを遮るように、気怠げなディライトの声が場に落ちる。


「そもそも勧誘したの俺だから、甘んじて受け入れるけどさぁ――」


 下を向き、片手で顔を覆ったまま――その視線だけがニーズを射抜いていた。

 黒眼鏡サングラスの隙間から覗く双眸が、鋭い光を放つ。


「――〈冒極うち〉としてはどうすんの。様子見とかぬかしたら――何するか分かんないよ俺」

「誰に物を言っている。今回の一件で〈翳哭〉は明確な黒となった。国賊として認定される」


 個人としての責任は負う。だが――〈冒極〉として今後どう動くのか。

 日和見に徹するのか、それとも踏み込むのか。

 その答え次第では、ディライトは感情を剥き出しにしていたに違いない。

 だが幸い、それは避けられた。

 なぜなら、ニーズもまたディライトと同じく、冷酷な怒りを隠そうとはしなかったからだ。


「つまり――全面戦争だ」

「いいね」


 ニーズが告げた〈冒極〉の意向に、ディライトは賛同する。

 そして、映像に映っていた女についても言及した。


「仮面の女、こいつには借りがある。絶対返させろ」

「【互酬匣】とやらを持っていった者か。……まぁ、いいだろう。行方が分かり次第知らせてやる」


 映像に映っていた仮面の女――ディライトには心当たりがあった。

 スティレオが死の間際に放った自爆。そこに指向性を加えてディライトたちへと解き放ち、さらに魔匠連番の1つ【互酬匣】を持ち去った者――その声と一致していたのだ。

 同一人物であることは間違いない。とすれば、ケインを魔法生物へと変えた原因の1つでもある。

 ケインを撃ち抜いた感触が、いまだ右拳に残っている。

 ――借りを返すべき相手だ。

 ディライトの闘志は、未だ衰えていなかった。

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