第5話 夕餉の影

 ペルニット町、表通り。

 冒険者ギルド〈冒極〉支部の一室を後にして、ディライトとケインは並んで雑踏の中を歩いていた。


 夕日が町並みに橙の影を落とし、通りは一日の終わりを告げる喧噪に包まれている。

 定められた行き先はなく、二人は気ままに足を進める。すれ違うのは、仕事を終えて帰路につく壮年の男や、夕餉の支度を急ぐ主婦たち。夕刻は、町に最も人影が増える時間帯だった。


 露店で買った串焼きを片手に、ディライトは無造作にかじりながら、どこか鬱陶しげな視線を人混みに投げていた。


「どこもかしこも混んじゃってまぁ。鬱陶しいことこの上ないね」

「私達もその一部ですがね。支部長としては、活気があって何より」

「個人としては?」

「まあ、遠慮はしたいですね」

「いいね。俺の好感度アップ」

「それも遠慮したいですね」


 かくいうケインも、ディライトほど露骨ではないにせよ、人混みの多さには辟易していた。年齢と共に刻まれた眉間の皺が、今はいつも以上に存在感を主張している。


 彼の手にもまた、露店で買った串焼きが握られていた。二口か三口ほど齧っただけで、残りの大半は串に刺さったままだ。食べ進めて頭こそなくなっているが、水かきのついた四肢が突き出た姿は、どう見ても蛙そのものだった。

 食欲を削ぐような見た目ではある。だが大事なのは中身だ。塩気の効いた肉は意外にも旨みがあり、噛みしめるほどにケインの疲労をほぐしていくのを感じられた。


 対照的に、ディライトはすでに一本を平らげ、大人買いした証である紙袋から次の一本を引き抜く。躊躇うことなく、突き出た手足へと噛みついていった。


「……んぐっ。俺さ、”チュウカ”ってやつの気分だったのにさー」

「私もですよ」


 空腹は満たされつつあるのに、ディライトの顔には不満の色が濃い。串焼きを齧りながらも、その意見にはケインも否応なく頷かざるをえなかった。


 ギルド長であるバンギッシュ・テルヲと別れた後、二人は共に食事を取ることにした。普段から連れ立って食べに行くような親密さはない。

 だが、嵐のように現れて去っていったバンギッシュの余波を受けた者同士、まずは食事で気力を回復させる必要があったのだ。


 当初の目当ては料理人リンリンの営む〈鈴々亭〉だった。だが店先に広がっていたのは、目を背けたくなるような長蛇の列。見ている間にも列は膨れ上がり、とても待つ気にはなれなかった。

 かくして二人は“チュウカ”を諦め、雑踏の町中を彷徨った末に、今こうして露店の串焼きを手にしているのである。

 

「リンリンのとこ、並びすぎでしょ」

「夕時ですしね。就業終わりのギルド職員も加わりますから」

「支部長命で退かせられないの?」

「イヤですよ、嫌われたくないので」

「変わらないって。十人から二十人に増えるとか、それだけだよ」

「かなり違いますよね……私そんなに嫌われてるんですか?」


 ディライトから突き付けられた自身の好感度――そのあまりの低さに、ケインは思わず天を仰いだ。


 悲壮感を漂わせる彼を尻目に、ディライトはまるで気にも留めず歩みを進める。

 空腹こそ完全には満たされていないが、ひとまず胃袋が落ち着いた今、ディライトの口から出たのは、全ギルドに通達された緊急依頼クエストの話題であった。


「んなことより、ギルド側は魔道具何個持ってんの?」

「……【変幻自在の雫カメレオン・ポーション】を含めれば〈冒極〉だと四個ですね。他のギルドと合わせれば八個ほどにはなるかと」


 ディライトの質問に対し、〈冒極〉含めた全ギルドが保有している魔道具の数をケインは明らかにする。

 ディライトが口にした魔道具というのは、”魔匠”と呼ばれる伝説の魔道具制作者が創り出した魔道具のことを指していると、ケインはすぐに気付いた。

 魔匠側で保管していた四十九点もの魔道具が盗まれ、国中へとバラ撒かれた今回の一件について、ケインは現在までの状況を語った。


 ディライトの思った通り、数多あるギルドの手によって、人海戦術のごとく、既にいくつか魔道具は回収されていたようだ。

 だが、ケインの発言に確実性が欠けていることに、ディライトは気付いた。

 

「ほど?」

といえど一枚岩ではありませんから。報告だと、国側が所持している数は八個ですが、あと数個は隠蔽してるんじゃないですか?」

「陰謀論じゃん」

「確信をもって発言しています」


 ギルドの名を冠する組織は、冒険者の拠り所である〈冒極〉だけではない。


 ――ギルド連盟国家、エピック。


 ディライトやケインが暮らす〈エピック〉には、大小さまざまなギルドが乱立している。すべてのギルドは「連盟」の傘下にあり、その頂点に立つ7つの大ギルドが、表向きには国家の舵を取っていた。

 〈冒極〉もそのひとつであり、現状では最も多くの魔道具を収集している……はずだ。


 ケインには断言できない。なぜなら、他のギルドが秘かに同等以上の数を握っている可能性が高かったからだ。


 この国は「国家」と呼ばれはするが、実際には一枚岩の統治機構など存在しない。各ギルドが自らの利益を最優先に動く群像の集まりに過ぎないのである。数百年に及ぶ歴史を誇るとはいえ、その内実は安定とは程遠く、真に連盟国家として形を成したのも、わずか数十年前のことだった。


 報告を上げれば、国家所有物として魔道具を取り上げられる。ゆえに隠し持つギルドがあっても不思議ではない。むしろ十中八九、虚偽の申告をしているギルドがあるだろう、とケインは冷静に推測していた。


「ま。〈恒魔〉は間違いなく隠してるだろうね」

「私もそう思います」

 

 〈冒極〉同様に、国の舵取りの1つを担う魔法師ギルド――〈恒魔〉の名を出して、ディライトもケインの考えに賛同を示した。

 魔導において、大きな貢献を示しているが、人体実験といった非道に手を染めている――そんな怪しい噂が絶えない組織である。全幅の信頼を置くには難しい。


 深いため息と共に、ディライトは先の言葉を紡いだ。

 

「〈冒極ウチ〉も隠せばいいのに」

「公にしようが隠そうが、テルヲオサにとっては一緒じゃないですか」

「どっちにしろ使うからね」

「……早速私物化してましたしね」


 両者は同時にため息をつき、揃って蛙の串焼きへと齧りついた。


 牛や豚とも言いがたい、どちらかといえば鳥肉に近い――“霜降り蛙”特有の風味が、じわりと口いっぱいに広がる。噛むたびに湧き立つ香ばしい匂いが食欲を煽り、一口毎に早く次も食べたいと刺激される。

 その味は、見た目さえ目をつぶれば紛れもなく絶品。だが、香ばしい焼き蛙という外観だけは、どうにも人を選ぶものだった。


 ケインは口の端を拭いながら、隣のディライトが抱えている紙袋にちらりと視線を送り、恨めしげにぼそりと呟いた。


「私も、もっと買えば良かったですね」

「そんな目で見てもやらねーよ……うまっ……ってことは、ざっと四十くらい? 他のランク4と競争なら二十くらいかな、集められるのは」


 未だ回収されていない魔匠の魔道具、その残りの大半を――自分なら必ず見つけ出せる。

 ディライトは、堂々と言い切った。

 それは過信でも自惚れでもない。言葉の端々ににじむ揺るぎなき確信を、ケインははっきりと感じ取った。

 

「随分と大きく出ましたね。他の魔道具の情報なんてほとんど出ていないというのに」

「いけるでしょ。だってランク5に一番近い男だよ、俺は。実質ランク5みたいなもんでしょ」

「本当にどこからくるんですかね、その自信。テルヲ長にソックリ」

「喧嘩売ってるよね」

「売ってません。串を私に向けないでください」


 霜降り蛙を平らげたディライトが、残った空串を何気なくケインへと差し向ける。

 ケインはその先端を指で軽く押しやり、自分とは反対の方向へと逸らすと、背後へ僅かに視線を走らせた。

 そして、眼鏡のブリッジ接続部を指先で整えながら、ディライトにだけ聞こえる声で密やかに告げる。


「つけられてます」

「気付くのおっそいね」


 思わずケインは、顔ごとディライトへ視線を向けた。


 ――なぜ、この男は黙っているのか。気付いていたのなら教えてほしい。


 胸中に募った訴えを口にしても、どうせ口八丁でかわされるに違いない。

 非難の色を宿した眼差しを向けながら、ケインは事の始まりがいつ生じたのかをディライトに問いただした。

 

「……いつからですか?」

「ギルド出てから」

「……はぁ、私も衰えましたね」

「椅子に座って紙ばっか捌いてるからだよ。たまには外出て魔道具でも集めてみたら?」

「結構です。支部長自らなんて……私はギルド長やディライト君とは違います」

「だから嫌われるんだよ。身体張らない上司だから」

「嫌われてません。身体を張らないからこそ上司なんです」


 ディライトとケインの背後、数十歩ほど離れた位置に、襤褸布をまとった背丈の異なる二人組の姿があった。

 出で立ちは浮浪者そのもので、町中に紛れればただの風景の一部として見過ごされるだろう。だが、ギルドを出て以来、付かず離れずの距離を保ち続けているとなれば、話は別だった。


 ケインはそこで合点がいった。

 露店で串焼きを買ってから、道を右や左に曲がり、わざとギルドへ戻らずにいたのは、追跡が必然か偶然かを確かめるため――その試しが、今や決定的な結果を示していた。ギルドから十数分も離れたこの場所でなお姿を見せている以上、尾行されているのは紛れもない事実だ。

 思い当たる節は1つ。バンギッシュと接触した直後から尾がついているのなら、彼らの狙いもまた自ずと1つに絞られる。


 ケインは無言のまま懐へ手を差し入れ、透明な液体の入った小瓶に触れた。


「やはり目的は【変幻自在の雫】ですか」

「何で持ってきたの」

「味変で持っていこうとか言ったのは誰ですか?」

「俺だけど。国宝に匹敵する――とか言ってた奴が持ってきてるの笑う」

「二人だけ使うのはズルいですからね。……どうしたんですか?」


 突如として歩みを止めたディライトに気づき、数歩先まで進んでいたケインが振り返った。

 ディライトは顎に手を添え、何事か思案しているように見える。

 その不意の停止に、尾行者たちは対応しきれなかった。慌てた気配を残しつつ、彼らは物陰へと身を滑り込ませる。


「あの魔道具大好き爺。尾行されてるの分かってて言わなかったな」

「気付かなかった……は、在り得ないですね」

「多忙とか言いながら、絶対めんどくさがったでしょ」


 ディライトの推察を聞いた途端、ケインの口から今日一番深いため息が零れた。

 彼は眼鏡を外し、コートの内ポケットからケースを取り出して静かに収める。

 その眼鏡に度はない。冒険者として剣を振るっていた頃は必要とせず、事務方へ移ってからは威厳を示すため、という意味も兼ねて掛け始めただけだった。

 両の目に宿るのは、揺るぎない覚悟。

 ケインはまっすぐディライトを見据え、低く告げた。


「決めました。【変幻自在の雫】は本部へ持っていきません」

「どうすんの?」

「私が使います」

「ハハッ、好感度アップじゃん」

 

 そして、わずか数瞬後――二人は猛然と走り出した。しかも、別々の方向へ。


 標的の予想外の行動に、尾行していた二人組は一瞬たじろぐ。だが取れる手はひとつ、こちらも分かれて追うしかなかった。

 大柄な男と小柄な男。その主導権は、小柄な方が握っているようだった。短く指示を飛ばし、大柄を左へ、自らは右へ。

 尾行者の視線の先で、ディライトは右に、ケインは左に駆けていく。


 数秒遅れて、大柄な影がケインを、小柄な影がディライトを、それぞれ追い始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る