第八話


 ……受験生たちが、『丘の上』にやってきた。



海原うなはら君、そろそろはじまるよ〜」

 並木道を進み、学校のバスロータリーに向かうと。

 高尾たかお先生が弾んだ声で、僕に話しかけてくる。


「なんだか、楽しそうですね」

「そう見える? ならふたりとも大丈夫だね」

 玲香れいかちゃんの質問に、ニコリと返事をした先生が。

「ほらほら、はじまった」

 そういって、受験生のひとりに話しかけにいく。



「あの……」

「もしかして、受験票忘れかな?」

「そ、そうなんです……」


響子きょうこ先生、さすがだね」

 僕の隣で、玲香ちゃんが感心したものの。

「受付の一番右に、妙に若作りしている先生がいるから伝えてくれる?」

「……なんだかちょっと、無駄な情報入っている気がする」

 すぐに少しだけ、複雑そうな顔になる。



「あの、実は。お、お守りが……」

「よし! じゃぁこれあげるね!」

 高尾先生が手提げから、『実家の神社』のお守りを取り出すと。

「どう、かわいいでしょ?」

 うれしそうに受験生に渡しているけれど。


「ねぇすばる君……」

「『金運成就』って書いてあるよね……」

 ふたりとも少し、先行きが不安になってくる。



 ところが、予想に反して。

「あ、ありがとうございます!」

「どういたしまして!」

 受験生が元気な顔に戻って、歩きだす。


「ね、ねぇ昴君……」

「あ、あれでもいいんだ……」

「う、受かるといいね」

「もう、先生を信じるしかないよね……」


 別の子に、『健康長寿』のお守りをうやうやしく授けるその姿は。

 どことなく巫女みこに見えなくもないけれど。


「海原君! 走って!」

「えっ?」

「バスの中にカバン忘れたって! 走れっ!」

 いきなり切り替えたその表情は真剣で。

 僕は全力で……バスを追いかけさせられた。




「恐れ入ります、保護者控室なんですけれど……」

 は、走り終わったあとは。

 道案内なら……校内地図さえあれば余裕だ。


「『一人部屋』とか、ありますか?」

「へっ?」

「もう、息子が心配で心配で。落ち着きたいんです」

「し、少々お待ちください……」



「トイレの個室じゃ……ダメですよね?」

「とりあえず、話しを聞いて欲しいんじゃないかしら?」

 インカムで、『本部』に詰める三藤みふじ先輩と相談していると。

 玲香ちゃんがひとこと。

姫妃ききに相手させてみたら?」

 そういったので、半信半疑で波野なみの先輩につないでみる。


「さっきもそんなお母さんいたから平気。ま・か・せ・て!」

 よくわからないけれど、その声は自信満々なので。

「控室の入り口のあたりに、『おでこ』が光っている生徒が待機しています」

 そういって、移動をうながしてみる。


「は、はぁ……」

 要領をえない感じの、母親を前に。

 玲香ちゃんがスッと入ってくると。

「能天気な子なので、すぐにわかりますよ!」

 笑顔でサラリと告げて、次の生徒に向かっていく。

 多分これで……大丈夫なのだろう。



「あの……き、気分が……」

 うわっ……またか……。

「三人目だけど、いいか?」

 救急班高嶺たかねに連絡を取ると。

「もうこっち六人目なんだけど!」

 玄関ホールの市野いちのさんのところまでは、自力でこさせろと逆に指示される。


 あぁ、よくわからないけれど。

 入試にはなかなか……平常心で臨むのは大変らしい。





「わたし次があるから、佳織かおりと交代するね」

 インカム越しに、高尾先生から連絡がきた直後。

「あ、あのっ! ……すみませんっ!」

 目の前に、瞳を潤ませた女の子が現れる。


「じゅ、受験校が……」

 あろうことか、降りる駅も乗るバスも。

 極めつけに、受験校さえも。

 完璧に……『間違えた』なんて……。


「ちょっとー海原君、なに泣かせてるのー」

「いや、そうじゃなくて藤峰ふじみね先生!」

 僕が状況を説明している途中で、先生は。

「タクシーだね」

 意外に適切な手段を選んだものの。


 ただ……三藤先輩によれば。

「渋滞と他校の受験と故障とトイレと食事中で、当分無理だそうよ」

 世の中、そう簡単にはいかないらしい。



「じゃよろしく、海原君」

 うわっ、藤峰先生の声色が……い、嫌な予感がする。

「はい?」

「だってほかに方法ないでしょ?」

「ですけど、どうやって……」


 すると先生は、平然と。

「タクシー見つけたら、道路に飛び出しなよ」

「え?」

「そしたら絶対、とまるでしょ」

 僕に死ねと、いうのですかっ?



 嫌ならほかの方法を考えろといわれて。

 僕は……学校前の横断歩道の信号を。

 気が進まないものの、無駄に押してみる。


 赤信号になると、きちんと両側の車が停止する。

 ただ、信号を押しただけだとなんだか……申しわけなくて。

 とりあえず向こう側に渡って、それから折り返して元に戻ると。


 ……目の合った先頭のドライバーが、明らかに僕にイラついていた。



「ごめんなさい……」

 学習した僕は、次は渡るだけにして。

 その次は戻るという動作を繰り返して、三回目。

 ついにタクシーが、あらわれた。


「先生! タクシーです!」

「よし、でかした!」

 いぶかしげなドライバーを、逃げられないように中へ誘導すると。

「運転手さんっ!」

 藤峰先生が、ドライバーに必死の形相でくらいつく。



「この学校まで、千円でお願いね!」

 えっ……先生?

 運転手が、無言で。

 降ろしていた運転席の窓を、そっと閉めようとしはじめる。


「えぇぃっ! 二千円っ!」

 普段乗らないので、正確にはわからないけれど。

 どう考えても……距離的に安いだろう。



「だったらどうだ、二千二百円!」

 それに確か、値引きとかってダメなはずだし。

「お願いします! 納豆ガーリックトーストつけるからっ!」

 そんなパンは……絶対もらってもうれしくない。



 ……このままでは、タクシーに逃げられる。



 そうなったらまた、無駄に横断歩道を渡ることになる。

 加えて他校志望の女子中学生が大泣きする未来なんて、見たくない。

 だが、ここで僕は。

 『あるもの』を手にしている先生を見て。

 人生で……一度くらい。



 ……使ってみたいセリフがあるのを、思い出した。




「失礼します、先生」

「えっ?」

 僕は、先生が握りしめていた『五千円札』を手に取ると。


「お釣りはいりませんっ!」

 まるで夢のようなセリフを、口にする。



 ……正直、ちょっ、ちょっとだけ……快感だ。



「早く乗って! 受験校には連絡しておく!」

 五千円札が突然消えたのに理解が追いつかず。

 たいまつのない自由の女神像みたいに固まっている先生を無視して僕は。


「急いでください! 未来への道を切り開きますからっ!」

 そういって、再び前に向かって進みだすと。



 ……横断歩道のボタンを、ポチッと押した。



 タクシーが走り去るのを見送り。

 さわやかな気分で、『本部』に連絡を取る。

「……もう連絡済みよ」

 そう答えてくれる三藤先輩は、さすがだ。

 ただ……。


「次からはいき先を伝えるだけで、『定価』で走ってもらえるわよ」

 なんだか、時間だけが無駄にかかったと。

 遠回しにいわれた気がした。



 ……高校入試には、ドラマがある。



 名前も知らない受験生たちのために。

 きょうは、少し役立てただろう。

 僕はこのとき、『藤峰佳織』の執念深さなどすっかり忘れて。

 ひとり、晴れやかな気分で。



 受験生たちの合格を祈願しつつ。

 冬の空を、仰いでいた。





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