第五話


 ……意外と生徒が、校内にいたらしい。


海原うなはら、あった! すぐ戻る!」

 放送室で拡声器を発見したわたしは。

 扉を閉めて、廊下を走り出す。


 角を曲がって、階段を駆けおりて。

 渡り廊下をまた走ろう。

 そう思って、勢いをつけて踊り場を越えたのだけれど。


 ……慌てて、急ブレーキをかけざるをえなかった。


 アイツの呼びかけに応じてくれた、在校生たちが。

 続々と移動を開始してくれている。

 それはありがたい。

 だけどそのためにここから先が……大混雑中だ。



「ね、ねぇ海原」

「……どうした、高嶺たかね?」

「拡声器、通路が混んでてまに合わないかも」

「……そうか、わかった。ちょっとだけ考える」

 インカムの向こうのアイツが、冷静な声でわたしに告げるけれど。


 花道をつくるなんて、みんなはじめてのことだ。

 複雑すぎることではないから、大きな声で叫ベば……伝わるとはいえ。

 集会が終わるまでの残り時間を考えたら。


 ……拡声器があったら、便利だよね?



 アイツのことだ、次のプランを考えているはず。

 ただ、どうにか届ける方法がないだろうかと。

 わたしがもう一度聞こうとしたその瞬間。


 ……え? いまのって……?



由衣ゆい! 放送室に急いで戻って!」

 間違いない。インカムから再度、夏緑なつみの声が聞こえてきて。

「つ、鶴岡つるおかさん?」

 続いて、アイツの驚いた声がする。


「ウナ君、姫妃ききちゃんのを借りたの! いいから、信じて!」

「……わかった。高嶺、戻ってくれ」

 よくわからないけれど、アイツがいうならきっと正しい。


「由衣、戻った?」

「まだ」

「戻った、由衣?」

「ちょっと待って、夏緑!」

 一瞬で戻れる距離なわけないのに、せかさないでよ。

 それに、無駄に走らせるこの部活。本当に文化部なんだよね?


 三回目の夏緑のコールの前に、あと少しだと叫んで。

 それから少しして、やっと着いたと告げると今度は。

「開けて! カエデの木が見える窓開けて!」

 ちょっと夏緑、なんなの? どういうこと?


「そのまま『千雪ちゆき』に、投げてっ!」

「ええっ?」

「バレー部の市野いちの千雪ちゆき! 下にいる一年三組の女の子の名前は、市野千雪っ!」



 あぁ……このズレかたが夏緑だ。

 驚いたのは、その子の名前じゃなくて。

 拡声器を投げるってほうなのに……。


「ねぇ! この高さから投げろって、本気?」

「千雪レシーブうまいよ。あと……サーブもすごいから!」

 ちょ、ちょっと待って。

 レシーブはともかく、サーブって……拡声器破壊する気?

 意外と高いんだよこれ。

 もし壊したら大変なのに……海原、なんかいってよ!



「高嶺由衣さん! 投げて!」

 開けた窓の下から、わたしに催促している声がする。

 ただ、いくらなんでも拡声器だよ?

 機械がもし壊れたら……まぁ謝るけれど。

 それよりもし顔に当たって怪我させたりしたら、大問題でしょ!


「……ごめん、すばる君は別件対応中」

 玲香れいかちゃんが、冷静な声で教えてくれるけど。

 ちょっと、それだけ?

 投げろとも、投げるなともいわないの?



「……高嶺さん」

 窓の下の声は、とても落ち着いていて。

「落とすだけでいいよ、わたしが受け取るから」

 心配ないと、いうけれど。


 実はわたし、高いのだけはすっごく苦手で……。

 放送室の窓から、真下なんて見たことない。

 だからね、きっとわかんない人には無理だろうけど。



 ……わたしにだって……できないことあるの!




「お願い、大丈夫だから」

 わたしこそお願いだから、催促しないで。

 せめてアイツが返事をするまで、待って欲しい。


「必ず『海原昴君に届ける』から!」

「……えっ?」

「投げなくていいから、そっと落として。わたし、絶対に受け取るから」


 ……アイツに、届けるため?



 だ、だよね。

 だったらわたし……ちゃんとしないと……。



「お、お願いします!」

 そういってわたしは、ひとつ目の拡声器を下に落とす。

 でも無理無理。

 下向いて確認とか、絶対無理!


 ……一瞬置いて、声が聞こえた。



「あといくつ? わたしちゃんと受け取ったよ!」

 そうなの?

 すごくない?


 でも……あとふたつもあるんだけど……。



 そうしたらようやく。

 アイツの声が、インカムから入ってきた。


「なぁ高嶺……同時には、落とすなよ」

 あのバカ!

「いいから、早く受けとんな!」

 そう答えたわたしは、もう迷うことなく。

 それでも壊れませんように、怪我しませんようにとは願いながら。


 ……すべての拡声器を、窓から落とすことに成功した。






 ……講堂から校舎へとつながる、拍手にあふれた『花道』は大好評だった。


「受験前、最高の贈り物になったぞ!」

 長岡ながおかじん先輩が、花道の終わりにいた僕を大げさに抱きしめて。

「うっす! 感謝っす!」

 柔道部の田京たきょうはじめ先輩が、僕たちふたりをまとめて締めあげて。

 僕は息をするのが苦しい以上に。

 正直……暑苦しかった。



「海原君、最高っ!」

 続いて新聞部の前部長とか、女子バレー部の前部長とか。

 馴染みの『女子の』先輩たちが、大喜びで近づいてきたときは。


「はいはい、その辺までだよ。近寄りすぎないでね」

 都木とき先輩がさりげなく、僕をガードしてくれて。

「……」

 あと、三藤みふじ先輩が真横に無言で立っていてくれたので。

「じゃ、じゃぁまたね……」

「受験、頑張りまーす……」



 ……特に苦しい思いをせずに、僕は救われた。





 ただ、そんな『うたげ』のあとにやってきたのは……。


「時間になるので……いってきます……」

 三年生たちが下校したあとで、職員室へ『出頭』するようにと。

 生徒指導部長と、副部長。

 加えて各学年の担当の先生たちとの約束を果たすべく。

 僕は放送室をあとにする。


 普段というより、入学以来本日まで。

 僕が『お世話』になることのなかった肩書きの先生たちは。

 いま……お怒りだ。


 まぁ、勝手に集会の終わりを遅らせて。

 花道を作って、大騒ぎしたのだから。

 誰かが犠牲になるのは、やむをえない。



 ところが……ひとりでいきますと、いったのに。

 放送部のみんなが、ゾロゾロとうしろについてきて。

 加えて職員室に近づくにつれ周囲には。

 女子バレー部のみなさんはもちろん、吹奏楽部に野球部にサッカー部の面々と。

 さらに加えて、なんだかたくさんの二年生と一年生たちが。

 わらわらといっぱい集まっている。


「す、すみません……とおりますね……」


 なんだか、気まずい沈黙の中。

 僕がそういって抜けていこうとしたけれど。

 たまりかねた誰かが、なにかいおうとしたその瞬間。


 三藤先輩が、スッと前に出てくると。

 あろうことか、『全員を前』にして。

「海原君くんに、まかせていただけませんか?」


 ……そういって、頭を下げた。




「で、でもそれだと……」

 その声は、バレー部の誰かだったけれど。

「わたしからも、お願いします」

 先に下校してと頼んでも、頑として動かなかった都木先輩が。

 三藤先輩の隣で……同じく頭を下げた。



 ……またこのふたりが、僕を『まもって』くれた。



 僕が、そう思ったと同時に。

「わたしたち、放送室に戻ろっか」

「そうだね、放送室でま・っ・と・こ!」

「海原、遅くならないでよ」

 玲香ちゃんと、波野先輩。それに高嶺が。

 一緒に歩いてきた道を、もどりはじめる。


 すると、三藤先輩が顔をあげて。

 一瞬だけ振り返って、僕と目を合わせると。

 左手で流した黒髪の先と、白い人差し指を僕の肩に軽く当てて。

 そのまま振り返らずに進んでいく。


「戻るか……」

「戻ろっか……」

 ここに集まってくれていた、多くの人たちも。

 まるでみんなのあとを追うように、それぞれ散ってくれると。


 ……ようやく廊下が、ガラガラになった。




 僕に背中を向けたまま。

 全員の姿が見えなくなるまで、見守ってくれていた都木先輩が。

「海原君……いってらっしゃい」

 少し勢いをつけてこちらを向く。



 ……もしかしたら単なる偶然、だったのかもしれないけれど。



 そのとき、軽く舞い上がったスカートの裾が。



 ……僕のズボンに、わずかに触れた。




 なぜだかその場所だけに、熱を感じながら。

「いってきます」

 そう答えた僕は。



 職員室の扉を……ゆっくりとノックした。 





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