第2話


 アリアナお嬢様はブラックヒル侯爵家の末娘。大きな声では言えませんが、現侯爵がまだ侯爵令息だった時期にメイドに手を出して作った庶子にございます。

 当時、メイドはそれなりのお金を渡されて屋敷を出され、街の片隅にある小さな家で子を産みました。お嬢様はそのまま4歳までは母子ふたりで暮らしており、その時にはファムに時々様子を見に行かせておりました。


 ですがお嬢様の母親が流行り病にかかり事態は急変します。母親はお嬢様に病がうつることを恐れ、ファムに預けたのでございます。そしてそのまま帰らぬ人となりました。


「ゾルト、その娘を回収してこい」

「回収とは?」

「我が侯爵家で引き取る。表向きは侯爵家の正式な娘として育てよう。お前の仕事を引き継ぐ器に育てあげろ」


 十五年前。代替わりし現侯爵となった旦那様より思いもよらない言葉が出て、私は絶句致しました。わずか4歳の少女に……しかも自分の血を分けた実の娘に、あまりにも過酷な運命を背負わそうとするとは。


 私の仕事を引き継ぐということは組織の頭領になるということ。当然、組織のトップクラスの実力を手に入れる必要がございます。そしてその為には血の滲むような訓練と、何度も心を折る鍛錬が課せられます。


 そうでなければ、とてもなれないのです。一流の殺し屋には。


 我が組織とは、闇に紛れ殺しや情報収集を行う工作員の集まり。ブラックヒル侯爵家がこの国で力を持っている理由は、この組織を掌握し、王家や公爵家の依頼を人知れず請け負っているからなのでございます。


 ですが命令に逆らうわけにはまいりません。私が今の地位を先代頭領から引き継いだのは20歳の時。そこからお嬢様の件を聞いたのが十年後。その間、次の頭領に相応しい人材は現れなかったのです。

 一番弟子のファムですら、その甘さがネックとなり無理だろうと私自らが判断を下し、彼女には娼館を任せました。

 長期間にわたって次代の兆しが無いことに旦那様も苛立ったのでしょう。人材がいなければ一から育てれば良いと考えたに違いありません。


 つまりは、アリアナお嬢様が成長しても組織の頭領に相応しい器になれなければ……。旦那様は庶子であるお嬢様の命を重く見ていないという事でしょう。


「……かしこまりました」


 そこから私は十五年の間、必死でお嬢様のお世話を致しました。組織の頭領の座を引き継ぐべく、殺しの技術以外にも教えられる全てを彼女に注ぎ込もうと致しました。

 それはそれは濃密に、微に入り細に穿ってあらゆる物事を。お嬢様がうんざりするほど、逐一あとをついて回っては、口うるさく指導してきたのです。


 ✾


 お嬢様とファムの元へ赴いた翌日の夜。


 今宵の満月は一段と大きゅうございます。

 煌々と光を放つ様は、夜会の為に庭に吊るされたカンテラにも負けないほど。

 ふたつの光は伯爵家の庭を明るく照らしておりました。


「まあっ、素敵!」

「そうだろう、我が家の自慢なんだ」


 今、伯爵家のパーティー会場から開放された掃き出し窓を抜けて、その庭に降り立った若き男女がおります。キャッキャと浮かれた声を上げ庭を堪能する女性の腰に、男が手を回しました。


「あら、イヤぁよ。こんな場所で恥ずかしいわ」


 女性は特段嫌でも無さそうな声でそう言うと、するりと男の腕から逃れます。恥じらいつつも男の焦燥を絶妙に煽る上手い動きです。

 彼は女性にとりなすようにこう言います。


「良いじゃないか、誰も見ていやしないさ」


 実際にはそうではありません。庭やテラスに設けられた椅子にはパーティの賓客が何名かが座っており、戯れる男女にチラリと目を向けます。

 しかし、男が伯爵家の三男で、女のほうは地味な顔立ちと安っぽい青いドレス姿ではあるものの、その体つきだけはなかなか魅力的であることを認めると、誰もが気まずそうにそっと目を逸らしたのでございます。

 きっと心の中でこう呟いたに違いありません。


(ああ、三男坊の悪い癖がまた出たぞ。きっとあの娘は何も知らず騙されているのだろう。可哀想に……)


 この伯爵家は潤沢な資金を持つ有力貴族でございます。故にこのような派手なパーティーを度々開き、多くの貴族階級と交流を図っております。それは良いのですが、如何せん評判の悪い三男のの場でもあるのがよろしくありません。


 彼は身分が下の子爵令嬢や男爵令嬢を言葉巧みに誘い、まるで恋人や婚約者であるかのように勘違いをさせて関係を持ったあと捨てる、という酷い行いを繰り返しております。

 彼の口車にうっかりと乗ってしまったご令嬢にも非が無いわけではありませんが、令息の行いは鬼畜の所業といえましょう。

 同じ鬼畜と言えど、使用人に手を出し、屋敷を追い出した後も最低限の金銭援助を行っていたうちの旦那様の方がまだまし……おっと、これは余計なことでございますね。


「うふふ、つかまえてご覧なさい~」


 今まで令息の手が届くか届かないかの位置を取り、彼を上手く焦らしていたご令嬢。彼女は美しい庭を横切り、彼との距離を更に開けました。

 とはいえ、これも戯れのひとつというのは明らかです。男は鼻の下を伸ばし「待て待て」と彼女を追いかけ、令嬢は楽しそうに「きゃあ」と声をあげています。


「ねえ……」


 速めていた足を止め、令嬢が振り向いて後方の令息に声をかけた時。その瞬間こそが肝心でございました。

 私は庭の植え込みに隠れ、ずっと息を潜めて成り行きを見守っていたのですが、この時こそ干渉すべき、と手にしていた一本を投げたのでございます。


 見事狙い通り、男の胸に小さなナイフが突き刺さりました。

 彼と彼女から、同時に声があがります。


「あ……? ぐふっ」

「きゃあああああ!! なんで!? イヤあああああ!!」


 女性の叫び声を聞きつけ、周りから賓客や使用人たちが一斉に駆け寄ってきます。が、それに間に合わず男性は呻き声とともに倒れ、女性は金切り声を上げた後に気を失ってしまい、やはり倒れました。

 二人の距離は変わらず離れたままで、彼女がナイフを握って彼の胸に突き刺したのではないと状況が物語っています。


「と、とりあえず坊ちゃんの手当てを! 医者を呼ぶんだ!!」

「こちらのご婦人は?」

「そっちは控えの間に運んでおけ!」


 美しい庭は人々の叫び声で騒然となりました。令息の顔色は土気色ですし、呼吸は浅く弱々しく、目は虚ろ。もう手遅れだとわかります。医者よりも、彼の悪行を赦し魂が安らかに天に昇るための神父を呼んだ方が良いでしょう。


 私は女性がその場から運び出されるのを見届けると、そっと庭を離れました。このまま誰かに見つかりでもしたら、私がナイフを投げた犯人にされかねないですからね。

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