あなたは私の宝物 〜イケオジ執事の秘密は、殺し屋の令嬢に暴かれる〜
黒星★チーコ
第1話
この国では公爵家にもひけを取らぬほどの力を持つ名門、ブラックヒル侯爵家の執事でございます。
私は幼少時に前のブラックヒル侯爵に拾われ、前侯爵と現侯爵に長らくお仕えして参りました。ただ、恥ずかしながらそのご恩はお返ししきれていないのが実情でございまして。
私は
その使命とは。アリアナお嬢様を教育し、我が組織の立派な頭領になっていただくことでございます。
「お嬢様! そのような格好でどこに行かれるおつもりですか!?」
本日も、みすぼらしい服を着て侯爵家の裏口からこっそり抜け出そうとしているお嬢様。見かねて声をかけますと、お嬢様はこともあろうに「……ちっ」と口から音をはじき出したのでございます。
「今! 何をなさいましたか!? 舌打ちですね? そうでしょう!」
「だっる。わかってるなら訊かないでよゾルト」
「なんという言葉遣い! 常々申しておりますが、ブラックヒル侯爵家の令嬢として相応しいふるまいを……」
「わかってるってば! 老眼が進みすぎて今の私の恰好が見えないの!?」
「見えているからこそお止めしたのです! 仮にもご令嬢がそのような格好で……!」
「だからこれは変装なの! 言動もそれに合わせてるのよ!」
「変装、でございますか?」
なるほど、確かに今の服装はあまり裕福ではない平民らしいもの。顔も化粧でお嬢様の美貌を隠し平凡なものに変えています。ですが……。
「なぜそのようなことを?」
「ちょっと明日の
「不向きな場所とは」
アリアナお嬢様は化粧でソバカスを散らせ、赤くした頬をニイッと吊り上げます。
「ファムおば様のところっていえばわかるでしょ?」
「な!?」
ファムは私の弟子のひとりにございます。ですが女性。組織内の役割を考えると、女性のほとんどはやはり実動よりも情報収集のほうが向いております。そして情報収集を行う職業としてうってつけなのが……。
「……お嬢様!! それはなりません! よりによって娼館など!!」
「だからぁ、こうやって貧しい平民の娘のフリをして行くんだってば。それにファムおば様のところなら間違いが起きようもないから大丈夫でしょ?」
「いや、それは……!」
ああ、お嬢様の仰ることは筋が通っております。ファムが女主人を務める娼館は当然ながら組織のもの。つまり、外の人間には一切の秘密ではございますが、ブラックヒル侯爵家が裏についております。ですから娼館の中でお嬢様がトラブルに巻き込まれることは決してないでしょう。
ですが道中にはどんな危険が潜んでいるかわかりません。
「……わかりました。では10分ほどお時間をくださいませ。支度をしてまいります」
「えっ! まさかゾルト、くっついてくるの?」
「ええ、万が一にもお嬢様の御身になにかあってはいけませんので」
勿論、私が手塩にかけてお育てしたアリアナお嬢様ですから、ちょっとやそっとのトラブルならご自身で対処できるでしょうが。
そのお嬢様はぷうっと頬を膨らませ、唇を突き出します。ああ、いくら平民の真似をしているからとはいえ、はしたない!
「もう~ゾルトったら過保護なんだから……あっ、そうだ!」
急にお嬢様がふくれっ面をやめたかと思うと、その目がキラキラと輝きだします。そう、まるで悪戯を思いついた小さな子供のように。
「ねえ、ゾルトも変装するでしょ?」
「ええ、それは勿論」
「じゃあ、私の恋人に変装して!」
「……は?」
「聞こえなかった? 私の恋人よ! それなら自然と手をつないだり腰に手を回したりするから、私が貴方を撒いて逃げ出すこともできないわよね?」
「いや、それは無理というものでしょう……私めではとてもお嬢様と釣り合いません」
私の見た目は六十歳手前。最近は体力の低下もひしひしと感じている老いぼれです。普通ならば引退をしてもおかしくない歳なのです。今年19歳になられたお嬢様と恋人とは、幾らなんでも無理がございます。
「あら、ゾルトもヤキが回ったのね。貴方の変装の腕ならそれくらい誤魔化せると思っていたのに」
「……」
「恋人のふりをしないなら、私は捕まえられないわよ。途中で逃げ出して一人で行っちゃうかもしれないわね?」
「ぐっ……」
キランキランに目を輝かせ、私の監視から逃げ出す予告をなさるお嬢様。こうなると本当にやりかねません。アリアナお嬢様とはそういう御方なのです。
「努力は致しますが……流石に30歳以上も若返るのは難しいかと」
「じゃあ20歳以上若返って! それくらいの歳の差夫婦なら後妻なんかでありえなくもないし」
無理をごり押しされるお嬢様。しかもいつの間にか恋人から夫婦と言う設定にすり替えまでされて。私は白旗をあげたのでございます。
「……少々お待ちを」
私は自室に戻ると全身の関節をポキポキと鳴らします。普段はわざと背を丸め肩を縮こめて小さく見せている身体をぐっ、と伸ばしました。そして隠している仕事道具を取り出します。
髪に塗っていた特殊な染め粉を落とすと、白髪に見せかけていた髪が元の焦げ茶色を取り戻しました。
これだけで普段は五十代後半の老紳士の姿が、本来の四十代半ばまでは戻りましたが。お嬢様のワガママに応える為にはあと十歳は若返らねばなりません。
――――まさかとは思いますが、お嬢様は私の実年齢を知っているのではありますまいな?
いえ、それは考えすぎというものでしょう。
私はお嬢様のお召し物に雰囲気の合う平民らしい服装に着替えました。最後に針を手に鏡の前に立ちます。
「ふう……」
息を吐き、顔の筋肉を狙って何か所かに針を刺していきます。筋肉に微小な刺激を与えることで一時的に活性化を促し、垂れた頬や目の周りが上がり若返って見えるのです。ですが一歩間違えれば急所を刺す可能性もあるため、繊細な技術と精神の集中が必要になります。
私はこの役職に就く前、つまり三十年近く前にこの技術を身に着けました。当然、急所の知識についても。
約束の10分後。どうにか体裁を整えて裏口に戻ると、お嬢様はニコニコ顔で仰います。
「あら、やっぱりまだヤキは回っていないわよ。それなりに若く見えるわ。さっ、行きましょう」
そうしてご機嫌で私の腕にご自分のそれを絡めるお嬢様。そもそも夫婦でも恋人でも娼館へ男女が腕を組んで行くのはおかしいのではございませんか? しかしそれを口にすれば、またお嬢様は何を言い出すかわかったものではございません。
私はため息をつきそうになるのを押し殺し、お嬢様を左腕にぶら下げたままファムの娼館へ歩いて向かったのでございます。
「ウフフフ。百戦錬磨の頭領も、お嬢様にかかっては形無しねぇ」
娼館の女主人は楽しそうにそう言いました。笑い事ではないのですが。
一方、お嬢様は私の前で椅子にかけ、安物のドレスや宝石などを吟味しながらキャラキャラと声を弾ませて応えます。
「そうかしら? まだまだな気がするわ。ゾルトったら毎日あれこれ口うるさいんだもの」
「アハハハ! 確かに! 頭領って面倒見が良すぎてお母さんみたいなところがあるものねぇ」
「え、おば様にもそうだったの?」
「そりゃそうよぉ。私は頭領の一番弟子だったのよ。頭の先からつま先まで、美しく見える立ち居振る舞いをそりゃあもう、うるさく言われたものよ」
「へえええ。じゃあ私たち、ゾルトの子供みたいなものってことね」
「兄弟も沢山いるわよぉ。今の組織の構成員は全員、頭領の教育をうけてるもの」
ふたりはニヤニヤと私の方を振り返りました。確かにお嬢様はつきっきりで私が教育しましたし、年齢差的にも子供と言っていいでしょうが、ファムは私と実年齢は五歳しか違わないと言うのに、ちょっと厚かましくはないでしょうか?
彼女はどちらかというとお嬢様の母代わりで、だからこそお嬢様はファムに懐いていると思うのですが。
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