第二幕:章7 偽りの別れ

 渋谷ヒカリエのスカイロビーは、2025年の夜に浮かぶ雲海のようだった。31階の開放的なラウンジは、ガラス窓から見える渋谷の夜景が、宝石の絨毯を広げる。柔らかな照明がテーブルを照らし、遠くのスクランブル交差点の光が、波のように揺らめく。ユリは窓辺のソファに座り、レイの向かいに膝を寄せていた。道玄坂のバーでの詰問から数時間、彼女の心は坂の傾斜のように揺れていた。タイの傷の重さ、家族の視線が、胸を締め付ける。

 「レイ…私たち、終わりよ」ユリの声は、風に溶けるように弱々しい。レイの目が大きく見開く。「何言ってるんだ、ユリ。SHIBUYA SKYの誓い、忘れたのか?」彼の手がユリの指を掴むが、彼女はそっと振りほどく。ラウンジのBGM—渋谷のシティポップのリミックス—が、二人の沈黙を埋める。ユリは窓に視線を移し、眼下の車列を見つめる。「家族のため。キャット・クルーの誇り、守らなきゃ。タイの傷も、私のせいだって…みんな、怒ってるの」

 レイの顔から血の気が引く。拳を握りしめ、テーブルを叩きそうになるが、ぐっと堪える。「俺のせいだ。モンキー・クルーを巻き込んで…でも、ユリ、俺はお前を諦めない。この街の混沌で出会ったんだ。別れなんて、ありえない」ユリの目から涙が一筋、頰を伝う。偽りの別れの台詞が、喉に棘のように刺さる。ロレンスさんの計らい—代々木公園での密談で決めた策だ。「家族を説得するふりをして、時間を稼げ。秘密の結婚で、絆を固めろ」と彼は言った。アプリ経由の簡易セレモニー、ブロックチェーンで記録される永遠の誓い。

 ユリは立ち上がり、レイの肩に手を置く。「ごめんね、レイ。最後に…この夜景、一緒に見て」二人は窓に寄り添い、渋谷の光を浴びる。ヒカリエのガラスが、二人の影を重ねる。ユリがスマホを取り出し、隠しアプリを起動する。画面にロレンスさんのアバターが現れ、穏やかな声が響く。「今宵、渋谷の空の下で、二人の魂を結ぶ。誓いの言葉を」レイは戸惑うが、ユリの目を見て頷く。「ユリ、俺はお前を愛する。この街の光のように、永遠に」ユリも応じる。「レイ、私も。混沌の交差点で、君だけが私の道しるべ」

 アプリがキラリと光り、デジタル証明書が発行される。秘密の結婚式は、ネオンの祝福に包まれ、静かに完結した。レイの唇がユリの額に触れ、二人は抱き合う。ラウンジの空気が、甘く温かく変わる。「これで、俺たちは一つだ。家族の壁、ぶち壊そうぜ」レイの言葉に、ユリは本物の笑みを浮かべる。ヒカリエのスカイロビーは、二人の新たな始まりを、優しく見守っていた。

 だが、喜びの余韻は脆く散った。ユリのスマホが激しく振動する—タイから。「今、ヒカリエの前だ。お前のモンキーども、潰す」外のロータリーから、叫び声とガラスの割れる音が響く。モンキー・クルーの隠れ家近くで、キャット・クルーの襲撃が始まっていた。タイが傷を押さえ、復讐の炎を燃やす。「ユリを返せ! モンキーのガキ、全員道連れだ!」マキとベンが応戦し、路地で拳と叫びが交錯する。警官のサイレンが遅れて近づく中、レイはユリの手を引いてエレベーターへ。「逃げろ、ユリ! 俺が止める」

 ヒカリエの扉が開き、夜の渋谷が牙を剥く。偽りの別れは、真実の絆を生んだが、タイの誓いが、街全体を血の渦に巻き込もうとしていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る