第19話

 よく晴れた平日の朝。

 千秋は浮き足立っていた。

 そんな千秋を、笑いながら男はたしなめた。

「少しは、落ち着けよ」

「だって、ずっと楽しみだったんだもん」

 千秋は、朝からずっと落ち着きがなかった。

 電車とバスを乗り継いで、海辺の式場に着いた。

 真っ青な空と海が広がっている白い式場の中に、千秋と男は入っていった。

 以前お世話になった式場のスタッフではなく、別のスタッフが対応をした。

 千秋と男は別々の部屋に案内された。

 案内された部屋に千秋が入って行くと、部屋には大きな鏡の鏡台があり、メイクセットがずらりと並んでいた。

 部屋の隅には、千秋が着るドレスがハンガーに掛かっていた。

 早速着付け係のスタッフが、千秋にドレスを着せた。

 千秋が、黒に赤い刺繍が入ったドレスに着替えると、着付け係のスタッフが声を上げた。

「大人っぽい、ドレスを選びましたね」

 このドレスは、男が選んだものだ。

 千秋はそのことを思い出し、照れ笑いをした。

 アクセサリーがないことに気がつき、着付け係のスタッフは部屋から出て行った。

 部屋には、千秋一人になった。

 部屋のドアが開き、振り向くと見知らぬ男が部屋の中に入って来た。

 その男は時期外れの黒いコートを着ていた。

 黒の帽子を目深にかぶり、黒いサングラスをはめていた。

「初めまして、千秋さん」

「……あんた、誰?どうして、私の名前を?」

 男は、その問いに答えなかった。

「ふ〜っ。あっちいなぁ!冷房、けちってんじゃないのか?」

 言いながら、男はコートを脱いだ。

「ふ〜ん。綺麗だな。馬子にも衣装?俺があんたの相手じゃなくて、悪かったな」

「誰よ!あんた!」

「おい、でかい声出すな」

 男は千秋に近づき、大きな手で千秋の口をふさいだ。

 声が出ない千秋は、初めて恐怖を感じた。

「あんた、広瀬智衣と森村あずさに、ちょっかいを出してるんだってな」

 千秋は目を大きく見開いた。

 男は千秋の口をふさいだ手を、少しゆるめた。

「あずさが、憎いから。それに、広瀬智衣は、倉木ひかるを殺したから」

男は、低く笑った。

「あんた、勘違いをしているぜ」

「えっ?」

 男は千秋の顔に自分の顔を近づけると、千秋の耳元でささやいた。

「倉木ひかるを殺したのは、広瀬じゃない。俺だ」

「嘘でしょ?」

「本当だ」

「あんた、いったい誰なの!」

「俺は、広瀬とあずさの最愛の友人で、広瀬の共犯者」

 そう言ったとたん坂登は、もっていたナイフで

千秋の心臓を一気に貫いた。

 黒いいドレスはどす黒い血に染まり、坂登は千秋の返り血を浴びたまま立っていた。

「おじさん……」

 その言葉が、千秋の最期の言葉だった。

 坂登は脱いだコートを着ると、息絶えた千秋を見下ろしていた。

「俺が誰かなんて、今となっては関係ないか」

 千秋の心臓を貫いたナイフを抜いた坂登は、何事もなかったようにその場から足早に立ち去った。

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