第20話 起爆

「うっわ……」

「ひどい反応どうも。だけどどうせ仲良くするのなら、相手の容姿は整っていればいるほどいいだろ。部屋に気に入らないデザインの小物を置いたりしないのと同じ理屈で、自分に管理できる範囲はなるべく美しいものでそろえたい。気分や機嫌にかかわるからな。幸か不幸かそれで刺激されるようなコンプレックスもないことだし」

「ルッキズムきっつ~」

「でも、わかるだろ?」

 お手本みたいな赤点解答。そうだとわかっていても、簡単に否定はできないはずだ。

 事実として、佐伯さんたちは垢ぬけた容姿の女の子の集まり。恋愛や人間関係で悩むことはあっても困ることはない。そんなイメージの集団。

 ある種の取捨選択を行ったうえでそこに属しているのだという意識が、きっとどこかにはある。

「そういうのって、普通言葉にしない。仮に思っていたとしても、表に出すとギスる原因になるからな。だけど多かれ少なかれ人間関係には思惑や打算があって、それは個々人で微妙に違ってくる。俺と鈴川は、それがたまたま上手いこと噛み合ったってだけの話だよ」

 恋愛観だとか男女の友情論だとか、突っ込んで話せば話すほどボロが出る。思ってもいないような理屈を適当にこねくり回して上手いこと言った風の空気を出し、「これで十分だろ?」なんて言ってすまし顔まで浮かべてみせた。上っ面コミュニケーション免許皆伝。以降そんな肩書きで売り出していきたいと思う。

「じゃあ結局、鈴川さんとは遊びってわけね」

「要約に悪意しか感じないぞ~?」

「だとすると余計、詩歌に近づいてほしくなくなっちゃったんだけど」

 友人の立場で、俺のことを見定めているのだと思う。倉木さんには悪い虫がいくらでも近づいてくるから、その選別。

 なんだ、ちゃんと愛されてるじゃん。そう感じた。

 昔のトラウマが完全に払拭されるまでにはまだ時間がかかるだろうけど、たぶん佐伯さんは信用に値する人間だ。

 証拠として、倉木さんのことを太い家に生まれたお嬢様ではなく、男の趣味に難がある危なっかしい友人として扱っている。

「御堂は知らないだろうけど、あの子、すごい臆病なんだよね」

 超知ってるよ、とは言わない。

「美人だからいろいろ期待されがちで、それで結構参っちゃってるんだと思う。本人が言ったわけじゃないけど」

「たぶんその通りなんじゃない。近くで見てきた佐伯さんが思うなら」

「詩歌を泣かせるような男が出てきたら、偶数あったものを奇数にする。私はそう決めてる」

「最悪のくるみ割り人形じゃん……」

「テンションによっては、偶数を別の偶数にすることもあるかも」

「なんで楽しい飲み食いの場で、俺は族滅の脅しを受けてんの?」

「御堂が思ってたよりもゲスだったから」

 しかたないだろ。それ以外の方向性で攻めてもきっと信じてもらえないんだから。

 弁明したくともできないのがもどかしかった。誘導したのが俺である以上は自業自得なのだが。

「で、詩歌に近寄ったのも顔目的?」

「かもね。倉木って、ちょっとレベルが違う美人だし」

 本人曰く、お母さん譲りの美貌。薄暗いカラオケボックスの中でも、長い髪の毛が艶めいて見える。

 未だ男余りの状態でも会が成立しているのは、男子の多くが倉木さんの方ばっかり気にしているからだ。数の不均衡を、一個人のパワーだけで強引に解決してしまっている。

 しんどくないのかなと、今さら不安になった。前提として、ここは女の子に言い寄ったり好意を見せたりしても特に問題のない空間だ。みんな、それを理解したうえできている。そういう合意がある。この前どこかの運動部が敷いた包囲網とは話が違う。

 けれども、言葉が出なくなるほどの恐怖も、後から思い出して涙を浮かべるほどの悔しさも、まだ倉木さんの中で完全に消化しきれたわけではないだろう。ぐいぐいこられるのに苦手意識はあって当然。無理をしてなきゃいいんだけど。

「御堂、なんかさらっと嘘つくね」

 チラチラ倉木さんの方を気にし始めたところで、突然ドキッとするようなことを言われた。たしかに俺は嘘つきだけど、広範にわたって嘘をつくせいでどの部分に言及されたかがわからない。

「俺は嘘なんかついたことない。生まれてこの方一度たりとも」

「それ、嘘つきしか言わない台詞。――詩歌の方から近寄っていったのくらい、さすがに見てればわかるって」

 この前さ、と佐伯さんが続ける。

「詩歌が男子の先輩にいきなり囲まれた事件があったらしいじゃん。私は教室にいなかったから又聞きなんだけど、御堂は助け舟だそうとしたんでしょ」

「鈴川が駆け付けた話とごっちゃになってないか? 俺、なんもしてないんだけど」

「うっわ~、秘密主義すぎてキモ~……」

「プライバシー守ってるだけなのにひどい言われよう」

 なにか納得したように二度三度と頷きながら、「口の堅さは信用できるかもね」と呟く佐伯さん。「安心はできないけど、安全ではあるのかも」

 そりゃどうも~とか適当に答える。頼むから、このオーディションが一刻も早く終わりますようにと願いつつ。

「それで結局、詩歌とどうにかなる気ってあるの?」

「いやだな~佐伯さん、俺ごときにそんな決定権があるわけないじゃないですか~」

 相手はあの倉木さんですよ、倉木さん。周りよりちょっと仲良くなったくらいでそんな大げさな~。

 そう言って作り笑いで切り抜けようとしたが、佐伯さんの瞳に殺意の光が灯ったので黙ることにした。女の子を本気で怒らせると、後が怖い。

「あるよ、御堂には。その気になれば今日にでも」

 淡々と紡がれる言葉に言い返す気力はまったく湧いてこない。

 日頃から距離の近い佐伯さんは、既に倉木さんの身に起こったなにかしらの変調を理解している。

 それが世にありふれた単なる恋愛感情だったらどれだけ微笑ましかったろうなと、そう思わずにはいられない。

 実態はもっと複雑で、扱いに困るもの。壊れるってそういうこと。


 時を同じくして、別クラスの男子が、思い切って倉木さんをデュエットに誘った。

 みんなの前で歌うのは緊張するからとやんわり断る倉木さんだったが、既にイントロは流れ始めていてマイクを握らないとまずいような雰囲気。せっかく温まってきた場を冷ますというのはきっと誰もが避けたいことで、動きに迷いが見てとれる。

 その目が、助けを求めるように俺を見た。

 御堂くんなら。そんな思いが伝わってくるかのようだ。

 けれど俺はそこまで勇敢なわけでもなければ、機転が利くわけでもない男。これまでの経験を踏まえて必要以上に思考が熱を持たないようブレーキをかけている自覚もある。

 なにも考えず川へ飛び込んでいった俺。イライラを発散するようにチンピラを煽りにいった俺。倉木さんが想像する御堂修麿は既に過去の遺物で、今ここにいるのは、迷惑な運動部の連中に直接イヤミを言うことすらできなくなってしまったすかすかの抜け殻にすぎない。

 しかし同時に、だけどなあ、とも考える。

 朝陽を浴びて泣き笑いを浮かべる女の子に、出来る範囲で手を貸すって約束をした。

 じゃあ、やらなくちゃ。

 俺が、報いなくちゃ。


「貸しひとつ」

 立ち上がろうとしたところを、横合いから制された。

「はいは~い! 詩歌ダメっぽいから私歌う~!」

 みんなに聞こえる大きな声で言って、佐伯さんがマイクを受け取る。誰にも異を唱えさせないぞ。スクリーンの前に立って全員の視線を集め、そんな気迫で歌い始めた。

 俺はその様子を、呆気に取られながら眺めている。ちなみに結構うまい。

 友愛。勇気。慈悲。いろいろな表現が思い浮かんだ。昔なにがあったとしても、今の倉木さんには困ったときに力を貸してくれる頼もしい友人がいる。それ以上の救いってない。

 信じられるもの。信じるべきもの。目の前の光景をそう思えないのだとしたら、なにもかも嘘だ。

 心拍数を上げながら、倉木さんとアイコンタクトを取ろうと試みた。窮地にこそ、人の本質が出る。佐伯さんが友人思いの善なる存在なのは、もはや疑いようもない。

 そこで――

「お邪魔します……」

 ――どういうわけか、佐伯さんがさっきまで座っていた場所に、女の子がひとり腰かけた。

 っていうかめちゃくちゃ倉木さんだった。

 おいおい。おいおいおいおいおい。

 困惑する俺。はにかむ倉木さん。遠くでサムズアップしている佐伯さん。にわかに殺気立つ男子一同。

「えっと、ずっと同じ場所に座ってるのもどうかなと思って」

「いや、まあ、席替えは自由だろうけど……」

 どうしても言葉の歯切れが悪くなる。今じゃないかも~とか、ここじゃない方がいいかも~とか、思うことはたくさんある。

 だけど当の倉木さんがにこにこしているから、俺はなにも言えない。「上手だよね!」と佐伯さんの歌唱力を褒めながらタンバリンをしゃんしゃん鳴らし、そのたび腕がふれあう。

 倉木さん、かなりご機嫌なご様子。

 ただ、それでは面白くない層が一定数いるわけで。

 倉木~、どうせならこっち座りなよ~。入り口近くの男子の一団が手招きをした。御堂困ってるぞ~。そんなことも言った。

 後半は適当だったのだろうが、ぶっちゃけ図星だ。デュエットがお流れになってすぐ、別の男子の隣に座る。一部から不興を買ってもおかしくない動き。

 さらにそこで、もうひと押しあった。

 鈴川が怒るぞ~。

 どこかからきこえた言葉に倉木さんの眉がぴくりと反応するのを、俺は見てしまった。

 事情を知らない人たちにはわかるはずもない迷彩のかかった地雷。タブー、あるいはNGワード。

 倉木さんの壊れてしまった部分を刺激する、唯一の単語。

「そんなことないと思うな」

 どこか控えめな印象を持たれがちな倉木さんには珍しい、はっきりとした否定の言葉。場の空気がかすかに変わるのを、肌で感じ取る。

「鈴川さん、優しいから。怒らないし、なんでもゆるしてくれるもんね」

 内実はどうあれ、結果の部分だけを抽出するのであればそれは真だった。鈴川は、俺に対して怒ったりしない。本人が、そんな資格ないと思っているから。

「でしょ、御堂くん?」

「ああ、まあ」

 相槌を打つ。

 次に紡がれる言葉も知らないまま。

「このメガネだって、おそろいで買ったんだもんね」

「…………」

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