第16話 自傷ルーパー

 壊れたものと壊れたものがぶつかり合う。それがどういうもので、なにが生まれるかを、俺はたぶん正しく理解できていなかった。

「どんの字~。帰りどっか寄ってこ~」

 遠回しに俺ともう関わるなと言われたにもかかわらず、鈴川は当たり前のように俺の机の前まできて言った。

 その光景自体は特別珍しいものじゃなくて、教室のみんなは「ああまたか」みたいな反応を示しているんだけど、ひとりだけ、そういうわけにもいかない人がいる。

「鈴川さん」

 倉木さんはパーフェクトスマイルを浮かべながら、鈴川の肩に手を置いた。

 この前の一件があったから、クラスメイトはこのふたりが友人関係にあると思っている。

 盗み見られていたのに気づいていないから、過去の一件を持ち出して鈴川を断罪した一幕が俺には知られていないと倉木さんは思っている。

 その前提の中で。

「ごめんなさい。実は今日、私が先約を入れていて。ね? 御堂くん」

「あ、ああ……」

 初耳すぎる約束だけど、とても知らないなんて言える雰囲気じゃない。

「え、じゃあ混ぜて」

「…………」

 そのありきたりな提案に、倉木さんは閉口した。

 嘘だろ。マジかこいつ。それに類することを考えているだろうというのは容易に推察できるが、態度にも言葉にも出さない。

「いいでしょ、どんちゃん」

「長考いいか?」

「なんで?」

「悩みたいだろ、せっかくなら」

 見ようによってはきれいどころふたりに手を引っ張られている構図なわけで、それってなかなか経験し難いことだ。であれば、ちょっとでも時間を使って余韻を長く楽しみたい。

 なんて、ちっとも思うことはできなかった。

 爆弾処理班、出動! 

 頭の中から、そんな号令が聴こえてくる。

 何切る問題だ。

 麻雀を打っているわけでもないのに、そんなワードも思い浮かぶ。

 問題があるとすれば、赤いコードと青いコードのどっちを切っても最終的に爆発するところか。どうにかして、液体窒素での瞬間凍結でもできればいいんだけど。

「いいよ」

 俺の長考が終わるよりも早く、倉木さんが肯定した。

「一緒に行こう」

「そうこなくっちゃ」

 こうなると、もう俺の意思なんて関係なかった。「早く早く」帰り支度を鈴川に急かされ、テキストやらノートやらを適当にリュックに詰め込む。「ゆっくりでいいからね」倉木さんに言われて、筆箱を出したり引っ込めたりしながら時間を稼ぐ。

 なんで天使と悪魔みたいになってんの~? とつっこみたかったが、これはどちらかというとラジコンであることに気がついた。

 御堂ラジコン改・コントローラーを誰かに委ねるバージョン。

 今、覚悟の出撃。



 指先が脳の指令なく勝手に動いたりしないように、御堂ラジコンもまた、コントローラーの指示なくして動作はしない。

「どんちゃん、これ一個あげる」

 たまたま学校の近くにきていた屋台からたこ焼きを1パック買って、鈴川が俺の口に放り込んできた。

「ほいひい」

 灼熱の球体を口の中で転がしながら辛うじて答える。猫舌なので味がわかるのはしばらく後だが、たこ焼きをまずく作る方が難しいのでたぶんおいしいはず。

「御堂くん、喉乾かない?」

 自販機で買ったミネラルウォーターを差し出してくる倉木さん。しかしなぜか、俺に持たせてはくれない。

「助かった」

 だばだばこぼして襟周りをびちゃびちゃにしながら答える。からっと晴れたいい天気だから、しばらくすれば乾くはず。

「イメチェンしよっかな」

 鈴川が俺の眼鏡をかっぱらってかけた。伊達だと知っているからこそできること。

「似合う似合う。なんか賢そうに見える」 

 適当に褒める。レンズを一枚噛ませるだけで、どことなく知的な雰囲気になる。

「ごめんね、さっきのでネクタイ濡れちゃってない?」

 湿っているのを確認してから、倉木さんがしゅるしゅるほどいた。そうしてなぜか、自分のブラウスの上に合わせる。

「似合う似合う。なんかかっこいい感じ」

 適当に褒める。ちょっとしたアクセントになっていて、いかにもおしゃれ上級者ってイメージ。

「悪い、ちょっとトイレ行ってくる」


 御堂ラジコン、無念の早期離脱。

「いや無理だろこれ~」

 もっと早くに気づいておくべきだったのだろうが、どう頑張っても平然とはしていられない。

 鈴川はいつもならあり得ないくらいくっついてくるし、倉木さんは過去イチのレベルで声を張っている。

 俺を真ん中に置くことで、かなりよくない種類の化学反応が起きちゃっている。

 もちろんトイレに行くというのは嘘で、ちょっと離れた場所からふたりの様子をうかがうことにした。

「「……………………」」

「oh~」

 薄々感じてはいたが、学校を出てからというもの二者間でのコミュニケーションがまったくといっていいほど発生していない。

 熱のない、冷たい戦争。

 そこへ、最初に斬り込んだのは倉木さん。

「御堂くんにこれ以上かかわらないでって言ったつもりだったんだけどな」

「それくらいわかってるって。でも、はいそうしますなんて答えてないし」

 ふたりの認識に、もっといえば倉木さんから鈴川へ向けた認識には大きな齟齬があった。 

 別に鈴川は、倉木さんのことが煙たくてうざったいから煽るような喋りをしているわけではない。

「それに、そういうのって結局御堂が決めることだし」

 実態はむしろ逆。

 そこにあるのは、つついたら作動する正しい回路をようやく手に入れられた喜びだ。

 自分に必要だった罰を与えてくれる存在としての、倉木詩歌。

 わざと悪ぶって、気に障ることを言うだけで、自分を否定してくれる相手。

 鈴川が、ずっと求めてやまなかったもの。

「鈴川さんは、御堂くんの優しさにつけこんでるだけだよ」

「チョロいからね、どんちゃん」

 大嘘もいいところだと思う。

 相当しんどい思いをしながら俺のそばにいることくらい察している。過去を考えれば信じられないような軽いふるまいをするのは、いつか俺がそのことに腹を立てるのを期待しているから。

 鈴川は、毎日が自傷行為だ。

 俺の顔を見るたびに追いかけてきた過去に刺され、どうあっても償えない現実に苦しむ。

 それを噛み殺しながら笑顔を浮かべる生活に慣れてしまっている。

 自分が一番傷つく方向に進みたがるから、誰かが近くで監督していないといけない。

「ひどい。御堂くんがかわいそう」

 倉木さんの、相手がほしがっているキラーワードをピンポイントで探り当てる才覚が、かなり喜ばしくない形で輝きまくっていた。

 なじられたい。けなされたい。貶められたい。辱められたい。俺ではどうやっても満たしてやることのできない鈴川の歪んだ願望が、今この瞬間も着実に実りを迎えている。

 俺の近くにいると苦しい。それを倉木さんが咎めてくれるともっと苦しい。

 最悪の自傷ループが完成していた。

 けれども、鈴川が満たされる一方で、もう一方は着実に削られている。

「お待たせ。ちょっと混んでた」

 見かねて戻ると、入れ替わりで倉木さんが離脱する。慣れないことをして疲れたような様子だった。やっぱり、他人を批判するのに不向きなのだ。

 一方の鈴川は、一瞬前までの剣呑とした表情が嘘のようににこにこしている。変わり身の早さが怖すぎるが、どちらかというと笑顔をおさえていかにも臨戦態勢ですよ~といった顔を作っていたわけだから、こちらの方がより素に近い。

「また見てたんでしょ。ねえ、どんちゃん、わたしヤバいかも」

「改めて言わなくても、お前はずっとヤバいから安心しろ」

「頭ではブレーキかけなきゃって思ってるのに、ぜんぜん止まんないの」

「末期だなあオイ」

 批判されることに喜びを感じる反面、そんなことを続けていたら周囲に迷惑がかかるという理解もある。けれど鈴川にしてみれば、倉木さんは丸二年間も願い続けた待望の存在。そのせいで、歯止めがきかないのだという。

「桜庭がお前のことめちゃくちゃ心配してたぞ」

 慕っている先輩がどんどんおかしな方へと進んでいくのを案じて、原因と思われる俺に因縁をつけまくるようなやつだ。この前いろいろと氷解したあとで、「これじゃるりは先輩が壊れちゃいますよ」と顔を真っ青にしながらぶつぶつ言っていた。残念だけどお前の先輩はとっくに壊れているぞとは、さすがに教えられなかった。

「……悪いとは思ってるんだけど、ひさきはダメ」

 俺と関わるようになってから、先輩がぜんぜん構ってくれなくなったという桜庭の発言。

 その理由は、俺も薄々察している。

「だってあの子、わたしのこと好きすぎるんだもん」

 自分を肯定しかねない要素を身の回りから排除する徹底っぷりに、思わず背中が寒くなる。好かれたい。みんなによく思われたい。人としてあるべき欲が、一部反転してしまっているのだ。

「いいじゃん羨ましい。俺の背中を見てついてきてくれる後輩なんかひとりもいなかったぞ」

「じゃあ、ひさきはどんちゃんにあげよう」

「軽いな~人身売買」

 たぶん当人が一番いやがる。メガネ先輩のどこを尊敬すればいいんですかとか言って。

 そんなことよりも。

「今のうちに帰った方がいいって。理由は俺が適当になんとでもでっちあげておくから」

「うーん。それが一番だってことはわかってるつもりなんだけど……」

 ふたりが同じ空間に留まり続けて、なにかいいことが起こる展開がこれっぽっちも予想できない。

 だけど鈴川は、そう簡単なものでもないんじゃないか、みたいな表情で言う。

「……倉木ちゃんは倉木ちゃんで、なんか危なっかしくない?」

「え、お前が言うのかよってつっこみ待ち?」

「超失礼ってわかってるけど、同族のオーラを感じるんだよね」

「…………」

「適度に発散しないと、ため込みすぎてヤバいことになるかも」

 既にヤバいことになってしまった大先輩が、経験則から語った。

 悲しいかな、鈴川の勘の鋭さを、俺はよく知っていた。

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