第8話 因果応報は
時刻は夜の9時になろうかというところ。昼間はあたたかでやわらかな印象を与えてくれる公園の遊具も、チカチカ点滅する街灯に照らされると途端に不気味に感じる。
ブランコに座っていた。脚がすごく窮屈で、当たり前だけどここは子どもたちのための遊び場であることを肌で理解する。
隣には倉木さん。ぎこぎこ鎖を鳴らしながら、小さく振り子運動をしている。なにを話すでもなく懸命に脚をバタつかせながら、その視線は夜空の星に注がれていた。
「ごめんね御堂くん、こんな時間に呼び出して。おうち、大丈夫?」
「呼ばれたら来るって約束だからな。家の方はかなり自由にやらせてもらってるから心配なし」
「そっか、私と同じ。けど、日が落ちてからひとりで外出するのなんて初めてかも」
学生で出歩いていいのは塾帰りくらい。おまわりさんに遭遇しようものなら慌てて回れ右。そんな時間。
倉木さんは長い脚を所在なさげにぷらぷらさせている。スカートの丈が短めで、太ももまで見える。
なにかを待っているような雰囲気。
実時間以上に長く感じる沈黙。
「……慰めてくれないの?」
「うぐっ」
「ふふっ」
触れるべきかどうか、かなり迷った。倉木さんが話題に出すまで待つか、それともこちらからガツガツ行くか。どっちみち、避けて通れない話題なのはわかっている。
「……大ピンチだったな」
「ね。びっくりしちゃった」
「あの時間を練習にあてなかったことが、連中の運命の分かれ目になるかもしれない」
「『因果応報は、立場が弱い側の願いだ』」
「…………」
「御堂くんの言葉」
顔に殴られた痣を作りながら、倉木さんの名前を始めて知ったあの日のこと。たしかに俺は、そんなことをうそぶいた。『……知ってて助けてくれたんじゃなかったんですか?』その言葉に対するアンサーだったと思う。
悪が栄えたためしなし。お天道様が見ているぞ。とかなんとか色々いうけど、ぶっちゃけそんなことないだろと俺は常々感じている。悪というのは、はちゃめちゃな兵器や財力を使って世界征服を試みるようなわかりやすい存在のことではない。もっと身近で、低レベルで、情けないものだ。コンビニやスーパーの店員に対して横柄にふるまう客とか、女性をねらって体をぶつけにいくおっさんとか、平然と信号無視する車とか、そういうの。
そんなやつらには罰が当たってしまえばいい。そう思う人はそれなりにいるだろうけど、実際、無理だ。むしろ、ルールやマナーに縛られない方が得をする場合だってある。
いつも不機嫌な人はまわりから丁重に扱われるし、行列に横入りするやつは貴重な時間を節約できる。往々にして、その手合いが裁かれることはない。
だけど誰だってそんなの納得いかないから、ずるした分だけ報いを受けるのだと信じるしかない。因果応報という幻想にすがりながら、自分の信じる正しさの火が弱らないよう祈るしかない。
違う。正しいとか正しくないとか、どうでもいい。
報いって、俺だ。地獄とは他人である。ならば、報いとは自分でなければならない。
そう思ったなら立ち上がらなくては。
殴られようがなにされようが、やらなくては。
願いと祈りを、誰かが形にしなくては。
「……私、願っちゃったな」
倉木さんがぽつりと呟く。「ぜんぜん言い返せなくて情けなかった」自分が精神的に屈して、誰かの救いの手を期待してしまったことを悔いている。倉木さんは、倉木さん自身を報いることができなかった。
そしてそれは、俺もまったく同じこと。
「なにもできなくてごめんよ」
「御堂くんは、前に一回助けてくれたじゃない。……それに今回だって、立ち上がってくれてたでしょ」
「やろうとしたと実際にやったとの間には、たぶんめちゃくちゃ深い溝があるよ」
鈴川の到着とほぼ同じタイミングで、いい加減に止めようと思って席を立った。鈴川は、そんな俺の表情を見て状況にある程度整理をつけたのかもしれない。
「すごいのは鈴川だ」
「うん、かっこよかった。……慌てていたから、お礼、言いそびれちゃったな」
颯爽と現れてスピード解決するお手並みは、まさに完璧。誰もがきっとああいう風に生きたくて、しかしどこかで挫折する。鈴川は、存在がちょっと眩しすぎる。
「鈴川さんみたいになれたらなあ」
人を信じるとか信じないとか、そういった悩みとは無縁の存在。強くて、堂々としていて、頼りがいがある。そう見える。
別にそれだけではないんだけどな。思うけれど、言わない。今の倉木さんにとって、鈴川はヒーローだ。ヒーロースーツを脱いだらどうなるか話しても、白けるだけ。
内側に蓄積されたエネルギーを発散するように、突如倉木さんがブランコを大きく漕ぎ出した。なんとなく俺も倣って、夜の公園にふたつの弧を描く。
「御堂くんにはさあ!」
「んー?」
「学校の私、どう見えてるー?」
「美人で大人しい高嶺の花。先生とかにも頼られる優等生」
きっとみんなそう思っている。特に裏のない高評価。だけど倉木さんは、それがあんまりうれしくないらしい。
「ぜんぜん、そんなことないんだけどなあ」
言うや否や、立ち漕ぎを始めた。「倉木さん、下着下着!」俺が低い位置にいるのを忘れてもらっては困るのだった。
「黒だから大丈夫!」
「なにが!?」
いきなり宣言されましても。俺はお年頃の男の子だから、真相を確かめるべく探りを入れたくなってしまう。
「悪い子になれればなあ」
スカートがひらひら揺れるのを構いもせず、倉木さんはどんどんスピードアップする。ブランコ全体がぐわんぐわん揺れ、たゆんだ鎖がガシャガシャ音を鳴らす。ほとんど地面と水平になるくらいブランコが傾いて、サーカスみたいになっている。
その様子が本人の思惑とは裏腹に、倉木さんが良い子であるのを物語っていた。
あの連中への悪口を言うでもなく、物に当たるでも暴れるでもなく、一心不乱にブランコを漕ぐことで自己表現しようとしている。
男に甘く見られ、なにも言い返せなかった弱い自分。それをまるで遠心分離するかのようにして、決別しようとしている。
その真っすぐさが、不器用さが、どうしようもなく美しいと思った。整った見てくれなんかよりも、よっぽど。
限界まで加速したブランコから、倉木さんが飛び降りる。そのまま何メートルも浮遊していって、着地をミスして地面に転がる。
「痛いなあ」
砂だらけになりながら、仰向けで言う。「痛くて痛くて、涙が出てくる」本人の言葉が絶対だ。目許を隠す倉木さんに手を伸ばして、起こす。
なんて声をかけようか迷って、結局これを選んだ。
「ほんとに黒なんだ」
「…………!」
「嘘だよ、見えてない」
実はそれも嘘で、ほんのちょっとだけ見えた。本人の名誉のために、見えなかったことにしておくけど。
顔を赤くした倉木さんが砂をはらい、スカートを整え直す。泣いている場合じゃなくなったのなら、それでいい。
「倉木さん」
すっかりボロボロになってしまった目の前の女の子に、ひとつ提案をすることにした。
「悪いことしよっか、今から」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます