第7話 導火線

 導火線の長さから、爆弾が起爆するまでの時間は概算することができる。漠然とそんな風に考えていたが、どうやらそれは幼稚な幻想だったらしい。誰もが律儀に線の端から点火してくれるとは限らないし、別の火種によって誘爆するなんてことも起こり得る。

 現状をたとえるなら、ちょうどそんな感じ。一対一の殴り合いの最中に第三者から後頭部をがつんとやられるような、想定外。

「とりあえず来てくれさえすればそれでいいから。な?」

 倉木さんの机のまわりに、男子生徒が何人も押しかけ、詰め寄っていた。放課後になるなり教室にぞろぞろ入ってきた彼らが倉木さんを取り囲む手際は、芸術的ですらあった。

「倉木が応援してくれれば、みんなすげー気合い入ると思うし」

 知らない顔ばかり並んでいるから、たぶん三年生。うちひとりは、去年鈴川を部活に勧誘していたやつかもしれない。鞍替えしたのかよとか、その手法以外ないのかよとか思うところは多いが、気がかりなのはそっちじゃない。

 倉木さんは話しかけられてからずっと、声もあげずに固まっている。毅然とした態度で無視しているとかではなく、ただただ本当に硬直している。

 タイミングが悪かった。いつも倉木さんと仲良くしている女子たちがちょうどバラけていて、割って入れる状況じゃない。逆に彼らにとってはタイミングも都合もよすぎるから、予め手を打ったなんてことも考えられる。

「今、かなりいいチームだからさ、もう一押し支えになるものがほしいんだよ」

 どこの部活かは知らないし、特段興味もない。とにかく彼らは週末に試合を控えていて、それを倉木さんに応援してもらいたいのだと主張している。そうすれば頑張れるし、盛り上がる。バッティングセンターでちょっと褒められるだけでやる気が出たから、気持ち自体はわからないでもない。

 だが、鍛えられた体の男子高校生が何人も連なってひとりの女の子になにかを強要する構図は、眉をひそめたくなるものがあった。当然倉木さんには承諾しない自由があって、相手も一応お願いのスタンスをとっている。けれど物理的な逃げ道を塞ぎ、横からの介入もしにくくなるよう立ち回っている時点で、結論にNOは用意されていないのだ。

 人が壁になっているせいで、倉木さんの表情が見えない。ただ、わずかに俯いて、小さくなっていることしかわからない。

 思い出すのは去年のことだ。ナンパ男に逆上され、黙りこくってしまったまだ知り合う前の倉木さん。俺から受け取ったティッシュで赤くなった目許を拭った、人間不信の倉木詩歌。

「負けたくないんだ、俺たち」

 追い打ちがかかる。相変わらず、倉木さんは微動だにしない。

 それでいいのかよ、そんなやりかたが有りだと思ってるのかよ、と爪が手の平に食い込む。現代の追い込み漁を目の前で見せられ、そんなのはフェアじゃないと叫びたくなる。

 じゃあ叫べばいいだろう。その通りだ。たぶん正しいし、多くに支持される。けれど代わりに、倉木さんは今後、男に守ってもらったか弱い女の子という新たなるレッテルを貼られて生活することになる。一番の正解は自分自身で行きませんと言ってやることで、誰かからの口出しは次善だ。みんなは、倉木さんが薄暗い人間不信の中で生きていることを知らない。

 そして、俺が声をあげてどうするのだという問題も残っている。今は契約外で、俺と倉木さんはただのクラスメイトでしかない。率先して庇うに足るだけのエクスキューズを、今の俺は持ち合わせていない。


 なんて、そんなのは全部、逃げのための言い訳にすぎなかった。


 変に目立ちたくないし、恨みを買うような真似はしたくない。俺の出しゃばりはチンピラからの顔面パンチで制裁され、それっきり懲りた。倉木さんを助けたいという思いはひとつなのに、それをためらわせる理由ばかりが多くて、二の足を踏み続けている。

 情けなさと焦燥感で心拍数が上がった。腰抜けの卑怯者という点に関して言えば、俺と向こうの一団に大差はない。倉木さんの繊細さと傷つきやすさを知っている分、ここでじっとしたままの俺の方が悪質であるようにも思えてくる。

 倉木さんは答えない。というかきっと、答えられない。その姿は、嵐が過ぎ去ることを待ち、ただ祈っているようだった。

 このままではなにか決定的なものが崩れ去ってしまうのではないか。霊感がそう囁き、体を震わせる。せこせこ続けてきた俺の半年は、いざとなったらあっさり崩壊する積み木にすぎなかった。


「ん、なにやってんの~?」


 均衡を破ったのは、息が詰まりそうな空間には不似合いな軽い声。

 鈴川だ。

 鈴川は教室をぐるっと見回してなにが起こっているかをざっくり把握したらしい。「はいはい」そう頷いて、一直線に爆心に向かって突き進む。直球勝負。それゆえの機能美。鈴川瑠璃羽は、今日もいつもと変わらない。


「倉木ちゃん、用事あるからあっちではなそ」


 壁も妨害も、まったく意に介さない立ち振る舞い。鈴川は倉木さんの手を引いて、あっという間に教室を出ていく。その後ろ姿には、有無を言わせない凄味すら感じるほどだった。

 それから、置き去りにされたやつらに釘をさすのも忘れない。「よくわかんないけど、かなりダサいよ、それ」オブラートに包まれた、それでも最大限の罵倒に、場はすっかり白けてしまった。残るのは気まずそうに立ちつくす連中と、そこに刺さる非難の視線だけ。どことなく過去の一幕を想起させる光景は長く続かず、いたたまれなくなったのか、すぐに教室から人が消えた。

 もう、静観がベターな段階ではない。ここに立ち尽くしていてもしかたなくて、とりあえず後を追うべきだと思った。鈴川は機転を利かせてくれたが、状況のすべてを理解しているわけではない。

 勘で下の階にいると判断し、階段を下る。その予想は当たっていたらしく、途中で鈴川に遭遇した。

「お、どんちゃん」

 大立ち回りの後だっていうのに、その態度はいつもと変わらない。熱に浮かされずともああいうことができてしまうのが、この女の子のすごいところだ。人が勇気ある行動をするときというのは、基本的に勢い任せだ。体がかーっと熱くなって、ぜんぜん論理的に考えられなくなって、そうして初めて、他の人にはできないことができるようになる。なのに鈴川は、いつだってとぼけた顔でなんでもやってしまう。俺たちの高熱は、鈴川にとって平熱なのだ。

「倉木ちゃんならとりあえず中庭に逃がしてきたよ。ちょっと震えてたけど、しばらく休めば大丈夫って自分で言ってた」

「そっか」

 会話できる状態であるというのがわかればいい。

 通路の真ん中で立ち止まっていると邪魔だから、一緒に廊下の端まで移動した。鈴川は軽快に鼻歌を歌いながら、跳ねるようなステップを踏んでいる。映画のワンシーンみたいだなと、隣にいながら安っぽい感想を抱く。鈴川はいつだって主人公的で、こいつを画角の中心として世界が運営されているんじゃないかと考えそうになる。

「さっきのさー、本当に面白くなかったねー!」

 げんなりしながら鈴川が言う。相変わらず、前置きを必要としないやつだ。

 あまりストレートに同意できない。教室でただ見ていただけの生徒が何人気づけたかという話だが、『ダサい』の対象は、なにもあの連中にのみ向けられていたものじゃなかった。鈴川が指摘したのは、空間全体のダサさ。あの場には当事者と第三者しかいなくて、鈴川はそれが気に入らないのだという。

 そして俺もまた、その一部として息を殺していた人間だ。ここで一緒になって批判できる立場じゃない。

「だな」

「うわ~、どんちゃんブルーだ」

 声音に混じった自省の色を即座に見抜かれ、出来損ないの戦隊モノみたいに呼ばれた。

 だとしたら、チンピラに殴られたときの俺はどんちゃんレッドだったのかもしれない。顔には青痣が残ったから、相反するふたつの色が同居しているみたいでキャラも立っている。

 意気消沈の俺に、「いいんだよ」と鈴川が優しく言う。

「どんちゃんがあそこで出ていったら、いろいろすっごいこじれてたよ、きっと。それくらい、わたしにもわかるって」

「でも、それって打算だ。すごく無粋な考え方だ」

 人間、穏やかが一番。暴力も口論も、しないで済むならそれがいいに決まっている。

 けれど、キレなきゃいけないときだってあると思う。さっき、間違いなく倉木さんの尊厳は傷つけられて、そのことを俺だけが強く理解していた。なのに声のひとつもあげられなかったという事実は、きっと棘になってこれから俺の心に刺さり続ける。今後もし似たようなシチュエーションに遭遇して、そこでは為すべきを為せたとする。でも、きっと今日の俺が指をさす。「矛盾だ」「ダブスタだ」「なんで今回だけ」そんな幻聴が響く。「そうだ。矛盾していてなにが悪い」果たして俺は、開き直ってそう言えるだろうか。

「いいんだよ、どんちゃんはそれで」

 ばしーんと背中を思いっきり叩かれた。ひりひり熱を持つ場所が、手の形になっているのがはっきりわかる。

「いっぱい悩んで、たくさん考えちゃうどんちゃんが、たま~に勢いで行動するから価値があるんでしょうが」

「ありがとう、鈴川」

 いいってことよ~! と首の後ろで手を組みながら、鈴川が相好を崩した。どこまで行ってもこういうやつなのだ。その在り方に美しさを感じてしまったから、俺はいつの間にか、鈴川瑠璃羽と他人ではいられなくなった。

「さっきのだって別に、倉木ちゃんのためじゃないしね。まだよくわかってないけどあの子はどんちゃんの友だちっぽいなにかで、だったら助け船くらい出してあげなくちゃ」

 だって、と鈴川が言葉を継ぐ。

「わたしが御堂のためになにかするのなんて、当たり前のことだもん」

「…………」

 そんなことはないんだぞと言ってやりたかったのに、俺がほんの一瞬口ごもった隙を見て「だからまあ、そういうこと」と先手を打たれる。「じゃあね」そのまま忙しなく走り去ってしまったせいで、俺の言葉はいつまで経っても宙ぶらりんのままだ。

 倉木さんは、まだ中庭にいるだろうか。俺は、なにか声をかけるべきなんだろうか。頭がぐるぐるして、考えがまとまらない。

 堂々巡りを繰り返しているうちに、最終下校時刻になっていた。まさかと思って中庭をのぞいてはみたが、そこには既に誰もいなかった。

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