第8話「仕組まれた罠」

 品評会の会場である薬師ギルド本部は、朝から異様な熱気に包まれていた。

 王都中から集まった腕利きの薬師たち、審査員を務めるギルドの幹部、そして一般の観客たちで、大ホールは埋め尽くされている。

 エリオットは、その喧騒の中で一人深呼吸を繰り返していた。庶民的な職人街とはまるで違う、華やかで権威的な雰囲気に、どうしても気圧されてしまう。


「大丈夫だ。君ならできる」


 会場へ向かう途中、カイゼルがかけてくれた言葉を、心の中で反芻する。

 彼は約束通り、目立たないように後方の客席から、エリオットのことを見守ってくれているはずだ。


「出場者番号十七番、エリオット。前へ」


 司会者の声に呼ばれ、エリオットはびくりと体を震わせた。

 緊張にこわばる足で、ステージ中央の審査台へと進む。目の前には、バルテルミー薬師長をはじめとする、いかめしい顔つきの審査員たちがずらりと並んでいた。


「して、君が持ち込んだ薬は、何かな?」


 バルテルミーが、エリオットを値踏みするような、侮蔑に満ちた視線で問いかける。


「は、はい。『魂癒の香油(ソウルヒーリング・オイル)』と名付けました。人々の疲れた魂香を癒し、本来の輝きを取り戻すための、香りの薬です」


 エリオットは、震える手で水晶の小瓶を審査員たちに提示した。

 会場の一部から、くすくすという嘲笑が漏れるのが聞こえた。魂香を癒す薬など聞いたこともない。そんな非科学的なものでこの権威ある品評会に臨むとは、なんと愚かな田舎者か。そんな空気が、会場を支配していた。


 しかし、バルテルミーが香油の瓶の蓋を開けた瞬間、その空気は一変した。

 ふわりと、清らかで奥深い香りがステージ上に広がる。それは、ただの良い香りではなかった。嗅いだ者の心を穏やかに、そして深く鎮める、不思議な力を持っていた。

 ざわついていた会場が、水を打ったように静まり返る。審査員たちの顔から侮蔑の色が消え、驚愕の色が浮かんでいた。


「こ、これは……なんという香りだ……」


「ただの香油ではない。魂に直接、働きかけてくる……」


 バルテルミーもまた、その驚くべき完成度に顔をこわばらせていた。

『馬鹿な! あの小僧に、これほどのものが作れるはずが……!』

 嫉妬の炎が、彼の心を焼き尽くす。


 審査は進み、エリオットの香油は他のどの薬師の作品よりも、圧倒的に高い評価を受けた。


「素晴らしい! まさに、薬学の新たな可能性を示す逸品だ!」


「優勝は、間違いなく彼でしょうな」


 審査員たちが口々に称賛する。会場の雰囲気も、嘲笑から賞賛へと完全に変わっていた。


 エリオットは、信じられない気持ちでその光景を見ていた。

 自分の力が、認められた。

 嬉しさに胸がいっぱいになる。客席のカイゼルの方を見ると、彼が満足そうにうなずいているのが見えた。


 そして、最終審査の結果が発表されようとした、その時だった。


「お待ちいただきたい!」


 甲高い声で、それを制したのはバルテルミー薬師長だった。

 彼は、憎々しげな顔でエリオットを睨みつけ、大声で叫んだ。


「その香油には、重大な問題がある! この香油には、我がギルドで使用が固く禁じられている、禁忌の薬草『黒ユリの鱗茎』が使われているのだ!」


 その言葉に、会場は再び、今度は先ほどとは比べ物にならないほどの衝撃と混乱に包まれた。

 黒ユリの鱗茎。少量で強力な幻覚作用と依存性を引き起こす、闇市場で取引される危険な植物。それを、この神聖な品評会で使うなど、薬師としてあるまじき行為だった。


「そ、そんな……! 僕は、使っていません!」


 エリオットは、顔面蒼白になって叫んだ。身に覚えのない、完全な濡れ衣だ。


「ほう、しらを切るか。ならば、これをどう説明する?」


 バルテルミーは、懐から取り出した小さな鑑定用の魔道具を、香油にかざして見せた。すると、魔道具が禍々しい紫色の光を発した。


「見ろ! これは、黒ユリの成分にのみ反応する光だ! 証拠は、ここにある!」


 会場は、非難の嵐に包まれた。

「なんてことだ!」「我々を騙していたのか!」「ギルドから追放しろ!」

 罵声が、矢のようにエリオットに突き刺さる。

 頭が真っ白になり、足元から崩れ落ちそうになる。

 なぜ、どうして。僕の香油に、あんなものが入っているはずがないのに。


『誰かが……仕組んだんだ』


 その結論に思い至った時、絶望で目の前が暗くなる。

 そうだ、これは罠だ。自分を陥れるために、バルテルミーが周到に準備した、卑劣な罠なのだ。

 しかし、証拠を突きつけられた今、何を言っても言い訳にしか聞こえないだろう。


「この者を、衛兵に引き渡せ! ギルドの名を汚した罪は、重いぞ!」


 バルテルミーが、勝利を確信した笑みを浮かべて命じる。

 衛兵たちが、エリオットを取り押さえようとステージに上がってくる。


 もう、おしまいだ。

 エリオットが、すべてを諦めて目を閉じた、その瞬間。


「――そこまでだ」


 凛とした、低く、しかしホール全体に響き渡る声が、その場のすべての動きを止めた。

 人々が、声のした方を驚いて振り返る。

 そこに立っていたのは、後方の客席から静かに立ち上がった一人の男。

 カイゼル・フォン・アードラーだった。


 彼は、ゆっくりとステージへと歩みを進める。その一歩一歩に、誰もが道を空けた。騎士団長の制服を纏った彼の姿は、圧倒的な威厳と存在感を放っていた。


「カイゼル騎士団長閣下……! なぜ、このような場所に……」


 バルテルミーの顔から、血の気が引いていく。

 カイゼルは、彼を一瞥もせず、ただ真っ直ぐにエリオットの元へと歩み寄った。そして、震える彼の肩を、支えるようにそっと抱いた。


「この裁定には、不正の疑いがある」


 カイゼルは、冷徹な声で言い放った。


「よって、騎士団長の権限において、この場のすべての証拠物件を預かり、王宮直属の鑑定官による、厳正なる再調査を行うことを、ここに宣言する」


 それは、誰にも覆すことのできない、絶対的な命令だった。

 バルテルミーは、信じられないという顔で、その光景をただ呆然と見つめることしかできなかった。

 絶望の淵にいたエリオットの瞳に、再び、小さな希望の光が灯った。

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