第2話:元男(オレ)の告白と『契約』

夜明けの光が森に差し込み始めた頃、男がうっすらと呻き声を上げた。


「ん……」


「あ、起きた!」


俺は慌てて彼のそばに駆け寄った。男――アレックスは、こめかみを押さえながらゆっくりと目を開ける。


「……ここは。俺は確か、魔族に……」


「ご、ごめんなさい! 本当に、申し訳ありませんでした!」


俺はその場で、日本のビジネスマンもかくやという完璧な角度の土下座をかました。もちろん、尻尾が邪魔で変な格好になったが、それどころではない。


アレックスは呆気に取られた顔で、土下座する俺(もちろん見た目は絶世の美少女)を見つめている。


「……は? えっと、君は……昨日の……」


「はい! 襲いました! 吸いました! でも故意じゃなくて、なんていうか、その、お腹が空いてて……いや、空いてたじゃ済まされないんですけど!」


我ながら支離滅裂な謝罪だ。だが、アレックスは剣を抜くでもなく、混乱したように頭を振った。彼は(魔力を吸われたせいで)ひどく疲労しているはずなのに、不思議なほど冷静だった。


「……吸った、か。なるほどな。道理で身体が怠いわけだ。……君、もしかしてか?」


「さきゅばす?」


「ああ。人から魔力を摂取する高ランクの『魔獣』だ。まさか、こんな森で遭遇するとはな。しかも、理性があるタイプは珍しい」


アレックスはそう言うと、よろよろと立ち上がった。俺は恐る恐る顔を上げる。


「あの、魔力、って……」


「『力の根源』と言ったところだ。体内に魔石を持つ魔獣は、その特性上、定期的に他の生物から魔力を摂取しないと生きていけない。そして、特に君のようなサキュバスなんかは、見た目が人に近くて知性もあるから『魔族』と呼ばれてたりする」


「魔獣……」


「ああ。普通の魔獣は理性がなく、人間なんかの生物を襲って魔力を吸い尽くし、にしてしまう。……昨日の君は、かなり危なかった。俺もあと数秒遅れてたら、意識を失うどころじゃ済まなかっただろうな」


アレックスの淡々とした説明に、俺は再び青ざめた。俺は、人を殺しかけたのか。


「ご、ごめんなさい……。そんなつもりじゃ……」


「(元男がTS転生して、男を襲って廃人未遂とか、どんなカルマだよ……!)」


目の前のイケメンが、廃人にならずに済んだのは奇跡だ。だが、彼は俺を責めるでもなく、ただ事実を説明してくれた。その優しさ(?)が、逆に俺を混乱させた。


「俺はカズキだ! 男だ! ……った、はずなんだ!」


混乱が極まって叫ぶと、アレックスは「男?」と眉をひそめた。


「……なるほど。状況が掴めてきた。君、自分が何者か、わかってないんだな」


俺は、自分が元いた世界のこと、交通事故で死んだこと、気づいたらこの姿になっていたことを、必死に説明した。荒唐無稽な話だ。信じてもらえるとは思えなかった。


だが、アレックスは腕を組み、静かに聞いていた。


「……、か。信じられない話だが、君が嘘をついているようにも見えない」


彼は、俺の必死な様子と、この状況で嘘をつくメリットがないことを理解してくれたようだった。彼は俺の赤紫の瞳をじっと見つめた。


「カズキ、だったか。その身体、サキュバスとしての本能と、カズキとしての理性が混在してるんだろう。昨日の飢餓感は、体内の魔石が魔力切れを起こした『飢餓状態』だ。サキュバスは身体接触で魔力を摂取する。君は本能でから魔力を奪った」


「そんな……。じゃあ、俺、またお腹が空いたら、誰かを……」


「そうなるな」


絶望だった。生きるために、他人を襲わなければならない。しかも、元男の俺が、男だろうが女だろうが関係なく。いや、アレックスの口ぶりだと、の魔力が一番相性がいいらしい。最悪だ。


「(これからどうすれば……。こんな身体じゃ、人間の街にも行けない)」


俺が俯いていると、アレックスが意外なことを言った。


「……行く当てがないなら、俺と来るか?」


「え?」


「俺の名はアレックス。俺は今、オーレリア王国からの依頼で、この辺りで魔物が異常に増えている原因を調査している。……まあ、個人的に片付けたい因縁もあってな」


彼はそう言って少し目を伏せたが、すぐに俺に向き直った。


「目的地は、こっから数日歩いたところにある商業都市アルカンシェルだ。だが、サキュバスのような知性があるであっても、分類上は『魔獣』だ。ギルド公認の『パートナー契約書』を結んだ人間がいないと、街に入るどころか、衛兵に討伐対象として手配される。……俺が君の『パートナー』として登録すれば、ひとまず身の安全は保障される」


「パートナー……」


「勘違いするなよ」

アレックスは慌てたように付け加えた。


「あくまで便宜上だ。俺は君の理性を信じる。それに……」


彼は少し視線を逸らした。


「昨日の……摂取された時の感覚だが。なんというか、不快ではなかった。むしろ……いや、なんでもない」


「(いや、なんか今、すげー気になること言ったぞ、このイケメン!)」


俺が内心ツッコミを入れていると、アレックスは咳払いをして続けた。


「とにかく、だ。これは『契約』だ。理性を保てるなら、魔力の供給源として俺を利用すればいい。飢餓状態で暴れられるより、よっぽどマシだ。その代わり、君のその力――君の戦闘力だ。それで、俺の調査を手伝え」


「……」


このイケメンは、俺の最大の秘密(元男)を信じてくれた。この世界で出会った唯一の『理解者』だ。その彼からの提案。俺に選択肢はなかった。この世界で生き延びるため、そして何より、飢餓感に負けて誰かを無差別に襲わないために。


「……わかった。アレックス、さん。俺、アンタに同行する。その、パートナー? っていうのがどういうものかわからないけど、足手まといにはならないように……努力は、する」


「アレックスでいい。さん付けはよせ」


彼はぶっきらぼうに言うと、荷物をまとめ始めた。


「昨日の様子を見るに、君の魔石はかなり高位ハイランクだ。その分、燃費も最悪なんだろうが。……行くぞ、カズキ。アルカンシェルは近い」


「あ、ああ……」


こうして、俺――TSサキュバスのカズキと、イケメン冒険者アレックスの、奇妙な二人旅が始まった。この先、何度もあの『飢餓感』と、元男としての『葛藤』に苛まれることになるとも知らずに。

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