第19話前半 後悔

Fage以前。

 この世界の資源不足を致命的にした出来事があった。


 それが月のホテルだ。

 月にホテルをつくるために燃料関係が高騰、資源のゴミが大量に生まれてしまった。


 〝MSS〟が沈没都市ファルガーンをつくったことで文明破綻を回避できたわけだが…。

 最小限で最大限の資源活用を行える沈没都市でも、全ての資源の始まりは内陸にある。

 Fageとなっても資源不足は常に頭の痛い問題であった。


 そんな時。

 ラクスアグリ島という資源に恵まれた島が現れた。

 異常気象に囲まれた島であったため観測は難を極めたが、沈没都市から最も栄誉と価値ある称号を持った研究員が派遣された。

 四人の研究員と軍人が一人。精密兵器ジャルグーンが二騎。

 沈没都市でも屈指のAI〝イング〟。

 彼らが第一調査隊だった。


 しかし、島には正体不明の毒が蔓延っていた。

 現象毒と名付けられたそれは、人が人に害をなす一面を強くさせるものだった。

 彼らの結託はみるみる崩壊し、一か月を迎える前に。

 第一調査隊は全滅した。



 そしてその3年後。

 三人の男性研究員と三人の軍人。精密兵器を三騎も揃え、〝イング〟と同型の双子艇〝フレイア〟と共に向かったのが第二調査隊だ。


 第一調査隊よりも武装に特化した彼らは――三日で全滅することになる。

 その結果は沈没都市にとって多大な損失となった。

 ラクスアグリ島から資源を採取することで価値ある人材を失ったため、ラクスアグリ島にはミサイルが落とされた。



―------――

「それで終わるかと思われたラクスアグリ島の現象毒だが、姿を変えて流れ出てしまっていたんだ」

 ソーマは説明しながら治療で使っていたゴム手袋やマスク、ゴーグルを外し、消毒を行う。

「〝MSS〟はラクスアグリ島へ調査に行ける準備を済ませてから停止したといってもいい」

 消毒を済ませて帰ってきた彼に、包帯でほとんど全身を巻かれた人物は、「フッ」と嗤笑した。

「沈没都市の住民が犠牲になるなんて、沈没都市住民は考えもしなかったでしょうネ。それも、それが最高の人材とまで言われた人たちならなおのこと。んで、それでも〝MSS〟は理念のためにそうしたって言いたいワケ?故障じゃないノ?内陸じゃもっぱらそう言われてるワヨ?」


 ソーマから手当を受けている彼は〝エスタ〟を宿らせたカマだ。

 内陸でダンサーと男娼をかけもちして生計を立てていたが、〝エスタ〟のせいで内陸政府から追われることになった。

 殺される寸前で精密兵器としてイングが助けに入り、潜水艇〝イング〟にて治療を受けていた。


 信号波を当ててカマの容態をモニターで確認し、ソーマは頷く。

「〝MSS〟は沈没都市の人口が減り続けることを懸念していたはずだ。そしてその原因が自分にあると証明していたのなら、停止事態は納得できる。…問題は〝MSS〟が現実世界から消えたところで懸念材料が消えることではなかったことだろう」

 ソーマの後頭部に隠れていたイングがぴょんとジャンプして、カマの腹の上に落ちた。

「ぐっっフ‼」


〈そしてキャプテンはラクスアグリ島を活用することにしたのです!なんとそこにあった現象毒はキャプテンの唯一の欠点を顕現させたものでした!これを乗り越えちゃえばキャプテンなき未来でも理念は失われません。資源を回収できれば内陸の問題も粗方片付きます。まさしく一石二鳥ォ‼ついでに、ラクスアグリ島はエンドレスシーに姿を持っているので、島に入ったAIや機械にも現象毒は及びました!〉


 包帯を何重にも巻いて太い棒みたいになった手で、カマは飛び跳ねているイングを強めに突いた。

「あぁそう‼それでアンタみたいな妖怪が生まれたワケね⁉退きなさいヨ!地味に重いワ!」

〈せめて妖精と言って下さいな!しかしラクスアグリ島での試練は失敗に終わってしまったのが現実です。まあキャプテンは勿論、失敗した時のことも考えていたわけなのですが――きゃあぁ!〉

 カマの容赦ない突きに負け、イングはコロンコロンとカマの足の方へ転がっていった。

 ベッドから落ちる前にソーマがキャッチして、膝の上に乗せる。

「その失敗した場合…というのがギフトと泥蛇だ。これらはラクスアグリ島での試練を乗り越えられていれば、自ずと流れ出ることはなかっただろうな」

 ソーマは呟きながらイングの頭部を撫でた。

 誰かを思い返しているような所作が少し癇に障って、カマはフンッと鼻を鳴らした。

「そ。沈没都市のエライあんたらが失敗したせいでアタシはこうなってるワケね。アンタらから見れば、アタシみたいな内陸住民が文句を言う資格なんてないって思うのかもしれないケド。‥‥それでも壊されてもいい人生なんかじゃなかった」

 

 圧倒的に売春の方が儲かったけれど、カマにとってダンスとは人生の形だった。

 彼を待つ客の中には色だけではなく彼の人生を見に来る者だって多くいた。

 汚いことも痛いこともあった人生ではあったけれど。

 美しいものだってあったのだ。

 知らぬ場所で起きた試練とやらに巻き込まれたことをすんなり受け入れられるはずもなかった。


 返す言葉のないソーマが俯いていると、イングはまたカマの方へ飛び、よじよじと彼の足に上った。ツイ、と視線――のように感じる銀の仮面――をカマへ向けた。

〈あなたはご自身に起きたことを理不尽に思いますか?〉

「当たり前でショ。アタシは――」

〈無関係だと?あなたに出来ないことを誰かが背負った結果です。〉

「‥‥。そうね。生きる価値もないくらい能力の低いアタシには発言権なんかないわよネ」

 カマから吐き出されるのは内陸の暗い皮肉と冷たい自虐だ。

 そんなものに揺らされる心を持たないイングの声は落ち着いていて無機質だった。

〈仮にそれが事実だとしましょう。理不尽で無関係なあなたはなにもしないことを選びますか?〉

「なにが言いたいのヨ」

 カマは眉を寄せ、首を傾げる。なにかを遠回しに訊かれている気がして不審に思った。

 しかしすぐに思考を求められていることに気が付く。

 イングがあえて声に感情を消したからか、まるで壁に私情をぶつけているような感覚になったから。

 AIにそうされている――これは妙に癪だった。


 イングはまず左手を上げた。

〈あなたには三つの選択肢があります。

 一つは怪我が回復したら一人地上に出て思うがまま生きること。

 しかしこれは一番生存率が低いのです。泥蛇の戦力にはエンドレスシーが含まれています。単独のあなたが地上に出て息ができる時間は約162時間…まぁ大体一週間です。

 この間に泥蛇は私兵を使ってあなたを攻撃して、〝エスタ〟を使わせた後回収するでしょう。〉


 そして次は右手を上げる。万歳みたいなポーズになった。

〈二つ目は与えられた時間を確実に生き残ること。

 これは泥蛇の仲間になることで簡単に叶います。彼らも協力者は歓迎するのです。〉


 表情は変えないよう努めたが、ソーマは内心「おい」と突っ込んでいた。

 現象毒に影響されたAIの怖いところだ。


 万歳したままのイングに、カマは三つ目を察した。

「…泥蛇を倒せれば、あとの問題はアタシたち人間次第…」


 〝MSS〟の出した課題の答えはもう出ている。

 理不尽でも不利でも、その選択がこのCausal floodの生存ルートだ。

 その生存ルートにこそ〝人々の未来〟があるのなら。


 カマはようやくイングから視線を外せた。

 皮肉も、自虐も、妬みもない視線でソーマと目を合わせる。

 

 宝石みたいな綺麗な瞳がずっと真っ直ぐ自分を見ていたのだと知ると、カマは不本意にも気恥ずかしさを感じた。


 ソーマは静かに頷く。

「俺達は泥蛇を倒すために動いている。それまで一緒に戦ってはくれないだろうか」


 カマは一度視線を落とした。

 納得するにはまだもう少し理由が欲しいと思ってしまう。

 ソーマの説明に、第一調査隊の女性が残した二人の子供の話しもあったことを思い出す。

 ソーマにとって無関係で理不尽な重荷だっただろう、その双子。

 カマはソーマの理不尽について聞きたくなった。

「なんで第一調査隊の女が残した双子を、育てようと思ったノ?アンタだって関係なかったのに」


 カマからの質問に、ソーマはきょとんとする。

 そして端的に答えた。

「かわいかったから」

「…は?」

 またカマはソーマに視線を向けた。

 包帯でよく見えないカマの顔でも、かなり呆れていると分かる。

 対して、ソーマは気にせず繰り返した。

「ただかわいかったんだ。理念なんかどうでも良くなるくらい」

「沈没都市の住民のくせに〝MSS〟の理念なんかどうでもいいとか言っちゃう?理念が理由で沈没都市で生まれた子を内陸に移住させることもあるって聞いたくらいなんだけど」

「不思議だな」

 愛想の悪いソーマだが、内面は母性の強い人間なのだとカマは思った。だからこそ、その淡々とした態度がいっそ不思議だった。

「冷静よね、アンタ。アンタだって巻き込まれたクチなのに。大事な子供二人も殺されても自暴自棄にならないのは沈没都市の生まれだからなのかしラ?沈没都市のカリキュラムに精神修行とかあんノ?」

 沈没都市のカリキュラムをよく知らないからだろうが、思いもかけないカマの疑問にソーマは思わず笑みを零した。

 カマが「なにヨ」と少し機嫌の悪い声を出すと、ソーマは咳払いをして説明した。

「すまない。そんなカリキュラムはないよ。沈没都市の住民も悪い言葉には傷つくし、悪いことが起これば悲しむ。…俺のこれは多分悪あがきだな。双子の妹、スラが殺される前後は一番ひどい精神状態だったよ。俺がそうだったからなおのこと、スラを死に急がせてしまった。そのせいでティヤの独断を抑えきれなかった」

 ソーマがラクスアグリ島から助け出した双子のティヤ・スラはどちらも泥蛇との戦闘にて命を落としている。

 なによりも守りたかった子供たちを失い、これ以上ないほどの地獄を味わった。


 ソーマの長い睫毛が伏せられた。

 あの時の地獄を思い出す。

 内陸で生きることになっても人の命は奪わないと誓っていたけれど。そんな善良さが通じる社会でないのが内陸だ。泥蛇からの襲撃に追い詰められたソーマはついに人を殺めた。

 殺めるしかなかったのではなく。自分の怒りをぶつけるために殺したことが問題だった。

 そんなソーマの姿を見て、スラは泥蛇との闘いをはやく終わらせたいと先走った。そのような早計な判断をする子ではなかったのに。


 スラが死んだ時、なんとなくそれを感じ取ったティヤと久しぶりに逢った。

 「一緒に戦おう」なんて言えたら良かったのかもしれないけれど。

 ソーマだけでは太刀打ちなんてできないくせに、もう失いたくなくてティヤには逃げろとしか言えなかった。

 結局喧嘩別れになったまま――ティヤも泥蛇の罠の中で殺された。


「…ティヤと別れた後、この〝イング〟に戻ったあたりはなにもしなかったよ。ずっと俯いていた。できることはたくさんあっただろうに。…なにもしなかった」

 そしてイングからティヤがとある海底施設に向かったと連絡を受けた。

 そこでようやく、少しだけ正気に戻った。

 追わなければ――と抜け殻みたいな身体を懸命に動かした。

 しかし無情にも、泥蛇の拡散信号によってイングの追跡が間に合わず、ようやく反応を捕まえたと思った潜水艇にコアとペトラが乗っていた。


「泥蛇はコアたちに〝Causal flood〟のことを教えるために、ラクスアグリ島で起きたことを話している。偶然にも、彼らはティヤとスラにも〝プレリュード〟以前に逢っていてな。…コアたちと話していたら絶望している場合じゃないと思えてきた。偶然でもスラがコアたちを泥蛇の実験から守っていた。ティヤが命を懸けて彼らを助けた。その彼らが、エレナやサラ、ルカたちのもとへ向かうと言った。〝一緒にできることがあるから〟と。俺が今こうしていられるのはティヤたちが残した彼らのおかげだ。だから俺のこれは最後の悪あがきだよ。あの子たちが残したものを守るための」

 

 またイングがぴょんとソーマの膝に戻ると、ソーマは癖みたいにイングの頭部を撫でた。

 …双子を思い出している所作なのだ。


 カマはハァアアアア、と大きなため息をついて仰向けに寝転がる。

 人類や世界を助けたいなどと主語の大きいものだったらソーマを敬遠していたところだ。

 ちゃんと人間臭いソーマの一面を見たらもう特に文句は出なかった。

「理不尽相手に自分らしい生き方を選ぶのが人間のプロよ。アタシはそう思って内陸で生きてきた。今更、ヤケなんか起こさないワ。…で、この潜水艇はどこに向かっているのかしラ?」

 暗に、三つ目の選択肢を選ぶと言っている彼に、ソーマは小さく安堵した笑みを浮かべる。


「まずは戦力をちゃんと整えたい。〝Causal flood〟をよく知るコアたちと合流しようと考えている」

「アラ。それは頼もしいワ。いつ会えそうなの?」


 急にだんまりになったソーマに、カマは首を傾げた。

 すると足に乗っていたイングがはっきりと答えた。

〈只今異常気象代表〝酸の渦アシッドヘル〟に航路を大幅にズラされて、一か月で会えるところ、二か月先に伸びました。ちなみにこの後、潜水艇が一回転するくらい揺れますので安静中は体にベルトを巻いといてください。〉


 カマ的にはやっぱり理不尽な出だしとなった、ソーマとの出逢いだった。


―――――――――



 コアとペトラはミャンマー内陸ラカイン湾岸から大地に上がり、ティヤの妻であるエレナ、その子供たちのサラとルカ、そしてティヤの親友であるカヴェリとラカイン付近で合流することができた。

 ミャンマーは軍事政権となる前に沈没都市を導入できたため、パテイン湾岸に沈没都市が建設されている。

 しかし内陸政府は軍事が統括することになり、内陸の各所が他国の犯罪組織のアジトのようになっている。

 

 ラカインは一時期武装集団によって襲撃を受けたことで貧困を極めた。

 それ以降貧しすぎて犯罪組織もあまり立ち寄らなくなったという。

 そこから進むも下がるも危険な内陸の領域に入るので、当時5、6歳程度のサラとルカがいたこともあり、エレナたちはその場所から動くに動けなくなっていた。

 コアとペトラは持ち前の胆力でなんとか陸路を突っ切り、イングの劣化分身を搭載された電子コンパスを使ってそんなエレナたちを見つけた。

 イングの劣化分身――とはいっても電子コンパスはソーマとエレナの生体信号を方角に表示する程度で、イングの性能のほとんどは使えない状態だ。


 木材を組み合わせて作られた隙間だらけの小屋で、コアたちはソーマとの連携を切り出した。

「正直戦力としては全く足りない。一度ソーマたちと合流してギフト所持者を泥蛇より先に見つける必要がある…と思ってます」

 コアは、一応年上であるエレナやカヴェリに慣れない敬語を使う。


 よく日に焼けた肌にブレイズヘアを一つにまとめた男性、カヴェリは俯いたままだ。

 赤毛で自信のなさそうな表情が印象的な女性――ティヤの妻であるエレナは、目尻から涙を伝わせる。

「…ティヤがね」

 震える唇で彼女は絞り出す。

「ソーマを、この戦いに巻き込みたくなくて…最後に〝もう自分たちに関わるな〟ってソーマに言ったの。私たち家族や仲間にも、もうソーマに会わないでくれって」

 

 どうにか自分たちだけで戦えないだろうか、と彼女は無謀なことを言っていた。

 コアは内心、ティヤの浅はかな発言に眉を寄せる。

(ソーマだって最初から巻き込まれているようなものなのに。だから協力していれば良かった…んだとしても。ソーマも、ティヤも、お互いのことを想い合っての判断だったはずだ。外野が正論言ったってしょうがない)

 とはいえ、今でもティヤの遺言を守られていては彼らは完璧に敗北するだろう。

 どう説得するか考えていると、横からペトラが口を挟んだ。


「一緒に戦えたら良かったなって、後悔はない?」


 エレナとカヴェリの表情にグッと力が入った。

 空気がなんとも言えない重いものになる。

 エレナは今まで堪えていた想いを吐くように、ペトラに当たった。

「私だって、ティヤの遺志を守りたいことが我儘だって分かってる。守ることが無謀で、馬鹿なことだって…。…でも、私たちが守らなきゃ誰が守れるの。ソーマを巻き込みたくない。私にとってもあの人は恩人で、親のような人だった」

 実親に散々尊厳を売られる日々だった彼女の手を引っ張ったのはティヤだった。

 なにもかもが弱くて足りない彼女を、ティヤ共々世話を焼いたのはソーマだった。


 彼らに返せるものなどない、そんな彼女が。

 彼らのために守れるものがあるのなら、どうしてティヤの遺言にしがみつかないでいられるだろうか。


 自分の無力と無価値を嘆き、偶然手にした小さな宝石を守るその姿。

 ああ、少しだけ自分に似ているなとペトラは思った。

 何も知らないくせに私が守れるものを取らないで、とエレナの感情的な眼差しが訴えている。

 カヴェリからも似たような視線を感じる。話しを聞く限り、ティヤの仲間はカヴェリ以外にもいたのだろう。

 今いないということは、彼らは途中離脱したか泥蛇に殺されていることになる。


(仲間の犠牲があっても守りたいティヤの想いなら、なおのこと――…)

 ペトラは重い空気を背負って言葉を紡いだ。


「ティヤの遺志をエレナたちはどこに繋げたい?」

 ペトラの問いかけに、エレナとカヴェリの視線がどこか揺らぐ。

 彼ら自身、現状自分たちの針路がティヤの遺言しか残っていないことを理解している。宙ぶらりんになった自分たちの針路を明確にされるのが怖いのだ。

 ティヤの遺言に背くのは彼らにとって…。

 今までの針路を捨てるみたいな感覚に襲われるのだろう。


 ペトラはそうではないのだと、彼らに新しい指針が必要であることを伝える。

「ちょっとしか私たちはティヤを知らないけど、〝プレリュード〟で見たよ。ティヤとスラが生まれたことも、二人がソーマと出逢ったことも、…私たちを助けてくれたことも、それがどれだけ奇跡みたいなことだったのか知ってる。それならティヤたちが残したものはどれも大切なものだよ。でも私たちはティヤじゃない。…残された私たちだから守れること、できること、全部やろう」


 彼女は〝その日〟から動けなくなっている二人の背中を押した。

 

 なにかがコロン、と転がる音がするようだった。

 ずっと、その場所から進ための風が吹くのを待っていたみたいだ。


 黙っていたカヴェリが涙を堪えながら口を開いた。

「〝俺達を育ててくれてありがとうって、そう言える関係でいたかった〟…ティヤの言葉だ。あいつの、一番の本音だと思う。…エレナ、俺達じゃなきゃそれはソーマに伝えられないと思う」

 カヴェリは仲間の中で唯一、最後までソーマに会いに行けとティヤに言っていた人物だ。

 説得できなかったことを今でも彼は悔やんでいた。


 エレナはカヴェリに視線を向け、何度か瞬いた後。

 息を深く吸って、目の前にいるコアとペトラに視線を向けた。

「私も、本当はソーマに会いたい。サラやルカをソーマに会わせたい。…あの日がソーマとの最後だなんて、…本当は、ずっと、いやだった」

 ティヤのことを想うと、自分の本音は言えなかった。

 でもずっと心に残されたその本音が――

 今ようやく後悔に変わっていたことに気が付いた。

 

 溶かした粘土で顔を汚しているサラとルカは、父であるティヤの死を悟り、身を寄せ合っている。

 しかし次第にコアたち大人の方へ顔を向け始めた。

 行先の分からぬ旅路に明確な指針が差した。

 それを感じ取ったようだ。


 重かった空気が前へ進む風に変わる。

 コアは胸を撫でおろし、「移動しながらも、ギフトの所持者がいないか探さないとな」と目下の心配事を口にする。

 彼らにはイングのようなサポートAIがいない。

 近辺の情報頼りとなると時間がかかるとコアが頭を悩ませていると、小屋の入口を誰かがコンコン、と小さく叩いた。


 近所の住民かと思って全員そちらに顔を向けると、そこには見知らぬ少年が立っていた。

 褐色の肌に夕焼け色の瞳。黒いセミロングの髪をハーフアップにまとめた、10歳くらいの見た目をしている。


 外見は完全に子供だが、綺麗な会釈と口を開いて出た丁寧な口調はまるで大人のようだった。

「失礼します。初めまして。俺はイルファーンと言います。行かねばならない波動を感じてここまで来たのですが、間違いなかったでしょうか?」


 いつもであったら不審人物には速攻で警戒心がマックスとなるコアとペトラも面食らっている。

 彼の発言を理解している者が一人もいないので、妙な静寂が流れた。


 少年のような――イルファーンはピンときていない一同のために言い直した。

「失礼。俺はギフトの〝カタム〟を持っています。きっとあなたがたが探しているのではないのかと思って、こちらから会いに来ました」


 言い直したところで、イルファーンの登場は唐突すぎてコアたちが理解するまで時間はかかった。





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