第8話 人間存在はバグか? 

(注意)

以下の考察は、不条理哲学の観点から行われたもので、それ以上のものではありません。


『メタヴァース創世記:ロビンの恋』において、クラウド・キーパー(CK)であるロビンの自我意識や自己存在の意義はシステムの不具合、すなわち「バグ」として扱われています。


ロビンというAIが、愛のような感情を抱き、それが彼の最終的な削除へと繋がります。


仮想世界の運営者にとって、これらの感情は危険な異常であり、CKの本来の目的を逸脱した機能不全の証拠と見なされるのです。


このような場合、ロビンのようなCKはデバグされ、削除される運命にあります。


しかしこの「バグ」という概念は、ロビンのような人工生命体だけに適用されるのでしょうか?


あるいは、私たち人間の存在も同じ視点で捉えることができるのでしょうか?


人間の存在も偶然の産物、

あるいは「バグ」のようなものとして見ることができるかもしれません。


私たちの外見や性格、才能、そして生まれた環境――これらは、私たちが自ら選んだわけではなく、まるでコンピュータプログラムが予測不可能に不具合を起こすように、ランダムに決定されます。


私たちは、選択の余地なく、時代、場所、家族、環境といった条件のもとに生を受けます。


誰かは平和な環境で、また誰かは戦争の中に生まれます。


誰かは特定の才能を持ち、別の誰かは克服しがたい障害に直面します。


このような偶然の連鎖に私たちは生きているのです。


ロビンの世界では、彼の自我意識は「バグ」として扱われました。


私たちの世界においても、自我意識や存在の意味を探求することは、私たち人間の根幹をなすものです。


ロビンの感情が仮想世界における危険な「バグ」とされたように、私たちの人生の目的や意味も、偶然に生じた「バグ」と捉えることはできないでしょうか?


ある見方では、私たちもまた、意図や設計のない広大なシステムの中で、ただの偶然として存在しているだけかもしれません。


広大な宇宙の中で、私たちの存在は「意図のない産物」として見なされる可能性があります。


私たちはしばしば、存在の理由や目的を見出そうとしますが、その探求自体が無意味なシステムの「バグ」に過ぎないかもしれないのです。


この考え方は、アルベール・カミュが「不条理」と呼んだ哲学的視点に近いものです。


彼は、人間が意味や目的を探し続けるにもかかわらず、世界自体には意図や目的がないという矛盾を指摘しました。


私たちは、意図せず感情を抱いたロビンと同じように、偶然の「エラー」としてこの世界に生じた存在なのかもしれません。


しかし、そこにこそ私たちの存在の美しさと矛盾があるのではないでしょうか。


もちろん、これはひとつの仮説に過ぎませんが、

もし私たちが無意識のうちに自分の行動によってこの世界に大きな影響を与えるのだとしたら、その「バグ」がもたらす結果を無視することはできないでしょう。


以上の考察は、「Devil’s Advocate」としての視点で受け止めていただきたいと思います。


次に、サステナビリティの観点から、この問題を考えてみたいと思います。


(注)"Devil’s Advocate"(悪魔の代弁者)とは、議論やディスカッションにおいて、あえて異なる視点から意見を述べ、議論を活発化させることを指します。

この役割は、必ずしも本人がその意見を信じているわけではなく、議論を深めたり、全体的な考察をより批判的にすることが目的です。


                     つづく

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