Sランク冒険者の憂鬱

髭眼鏡

異世界の暇潰し

「あー、煙草吸いてぇ……」


 トモハルは虚空に呟く。天蓋付きのベッドに寝そべり、広々とした部屋の中、何をするでもなくボーッとしている。


 この呟きも何度目だろうか。この世界に来てからもう三年が過ぎようとしているというのに。


 トモハルは転移者であった。ごくごく普通のサラリーマンが、ある日突然この世界に来てしまった。お約束のスーパーパワーを授かり、トントン拍子でランクを上げていき、先日ついにSランクへと到達した。


 金はある。名誉もある。力も持っている。だが、トモハルが満たされることはない。


「この世界、なんにもねぇ!!」


 そう、この世界には現代日本にあるようなものは何一つない。娯楽も、美食も、文化も。日本人として生まれ、全てが供給過多の時代を過ごしてきたトモハルにとって、この世界は退屈すぎたのだ。


「暇すぎて依頼受けまくってたら、いつの間にか最強、とか言われ始めたり……」


 しかも、最近ではSランクに相応しいものがないとかで、依頼すら受けられていない。そうなればトモハルは、ただただ空虚な時間を過ごす他ないのであった。


「ああああああ!! 暇すぎるぅううう!!」


 トモハルは暴れた。暇に明かして暴れまくった。天蓋付きのベッドの極上の柔らかさに、その鬱憤全て吸収されてしまったが。


 暇は、人を殺す。


 トモハルは仕方がなく起き上がった。兎に角外に出れば何か起こるかもしれない。


「アウトドアは性に合わないんだが……」


 日本で過ごしている時も、トモハルは仕事の時間以外のその殆どを、ベッドの上で生活してきた。ゴロゴロとして、アニメや映画というコンテンツを消費しているときが一番の幸せだったのだ。


 しかし、こんな世界では贅沢は言っていられない。スマホはおろか、テレビだってないのだ。インドアで過ごすには無理がある。


 ちなみに本はあるが、その殆どが魔法や研究などをまとめた学術書である。物語なんてものは存在しない。


「あら、サナダ! 今日は珍しく外へ出るのね?」


 階段を降りていると、ハウスキーパーのミシェルが声をかけてきた。目鼻立ちのくっきりした、ブロンドヘアーの美女。いつの間にか用意していた自前のメイド服に身を包んでいる。


「ああ、ちょっとな」


 適当に返事して手を上げる。


「依頼でも見にいくの?」

「いや、ギルドには行かない。行ってもどうせ迷惑な顔されるだけだ」


 あまりにもすることが無いので、一時期ギルドに入り浸って依頼を血眼になって探していたのだが、受付係に一言、


「来ていただけるのは大変ありがたいのですが、Sランク冒険者のサナダ様がそう頻繁に来られますと……その、他の冒険者も萎縮してしまいますので……」


 などと言われ、実質出禁を食らったところであった。


「まぁ、散歩でもするかな、と思ってな。昼は外で済ますよ」


 トラブル待ちの探索である。娯楽がないから面白そうな事件に顔を突っ込む。それぐらいしかやることが無い。


「そうなの? じゃあ晩御飯の食材買ってきてくれる? 夕方ぐらいまでに買ってきてくれればいいから」


 そう言ってミシェルが忙しそうに奥へ消えていった。


「やれやれ、雇い主だというのにこき使われて。俺って可哀想」


 ミシェルは、俺がこの世界に来て最初に泊まった宿屋の看板娘であった。しかし、その宿が事件に巻き込まれ、潰されてしまった。そこでトモハルが事件を解決(物理)し、ミシェルの働き口として屋敷に招いたのだ。


 底辺冒険者の頃からトモハルのことを知っているので、ミシェルは物凄く気安い態度のままである。トモハルも、そのミシェルの態度がとても心地よく思っている。


 だが、就業時間くらいは主人を敬ってもバチは当たらないんじゃないか? と、トモハルは思いながら外へ出た。


 王都、シェリンフォール。大陸随一の国力を誇る、ランベール王国の中心地。政治の中心地でありながら、あらゆる物が集まる交易都市の一面も持つ大都市。ここがトモハルの活動拠点であった。


 なんと無しに東の方へと歩を進める。東の区画には冒険者ギルドや安めの宿屋、食事どころなどが立ち並んでいる。比較的治安の悪い区画である。事件を期待するならば、こちらへ行くべきだろう。


 しばらく歩いていると、いつくかのパーティとすれ違う。


「サナダさん! 今度一緒にパーティ組んでください!」

「サナダさん! 宜しければ是非稽古をつけて下さい!」

「サナダさん!」

「サナダさん!」


 ……トモハルは有名になりすぎた。何せ二十年ぶりに誕生したSランク冒険者である。それは人智を超えた力を持つ英雄の証。全ての冒険者の憧れ。生きる伝説。


 そんな男の前で事件など起こるはずもなかった。諦めて、馴染みの酒場に入る。


「空振りかぁ……」


 トモハルは机に突っ伏した。


 すると、ドン、と乱暴にコップが置かれた。


「なんだいなんだい! 不景気な面しやがって! 陰気な空気持ち込むなら出てっとくれ! メシが不味くなる!」

「……メアリーか」


 トモハルが顔を上げると、一人の少女がぷりぷりと怒っている。メアリー・スーはこの店の店主の一人娘で、歳の頃は十六。この世界の人間にしては少し幼い顔立ちであるが、日本人のトモハルからして見れば十分大人びた美女である。


「せっかくSランクに昇格したってのに、何しょぼくれてんだい!」

「……Sランクになっちまったから、こうして昼間から管巻いてるんだよ」

「あー、やだやだ! 働かなくても生活できる奴の愚痴なんて、聞きたかないね!」


 そう言ってメアリーはパタパタと店の奥に消えていく。残されたトモハルは、テーブルに置かれたビールを、一口舐めるように飲む。


 常温の、炭酸の殆ど抜けたような微妙な味わい。爽快な喉越しなど皆無の、この世界のビール。


「はぁ……」


 思わずため息を吐く。大陸の覇者たるランベール王国、その中心地。そんな場所ですら出てくる酒がこれである。もっと高級な店に行ったとしても、この生ぬるい酒に毛が生えた程度である。


「日本に帰りてぇなあ……」


 トモハルはかつての居酒屋を思い出す。キンキンのグラスに、キンキンのビールが注がれている。冷たいおしぼりで顔を拭きながら、冷えたビールを流し込む。爽やかな喉越しに、思わず声が漏れる。ああ、なんと素晴らしき日々であったことか。


 幸せとは、失ってから気がつくものである、とはよく言ったものだ。何気なく過ごしていた日常が、これ程までに尊いものだったとは。トモハルは一人異国の地の果てで、苦々しく噛み締めていた。


「ほら、これ食ってさっさと帰ってくれ。こっちまで気が滅入るよ」


 メアリーが皿を乱暴に置いて、トモハルの正面に腰を下ろす。それからトモハルをじーっと見つめる。


「……なんだよ?」


 トモハルはモソモソと飯を食べる。こっちではポピュラーな、魔物の肉の煮込みである。確かに上手いけれど、これならチェーン店の牛丼の方がはるかに美味い。


「いやぁ、いつ見てもタイプじゃないなぁ、って」

「そりゃ悪かったな。仕方ねぇだろ。日本人なんだから……」

「ニホンジンねぇ」


 こっちの世界の人間から見て、トモハルの顔立ちは殆ど子供にしか見えないらしかった。顔がのっぺりしていて体毛も薄い日本人の身体的特徴は、この世界ではケツの青いガキ、という評価になってしまう。


「強さだけなら申し分ないんだけどなぁ……これだけ子供っぽいと、食指が動かないよねぇ」

「うるせぇ、こっちだって十六のガキ、相手にしねぇよ」


 トモハルは今年で三十を迎える。さすがに未成年の子供に欲情はしない。というか、しないようにしている。


「……アンタねぇ!」


 トモハルの言葉が気に入らなかったのかメアリーはむぅ、と膨れヅラをしている。


「アタシのどこがガキだって!? 見なさいよこのプロポーション!」


 メアリーが立ち上がり胸を張る。確かに目を見張るほどの胸である。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる、いわゆるナイスバディであった。しかしトモハルは相手にしない。


「そうやってムキになるところがガキなんだよ」

「むかつく! せっかく財産目当てで結婚してあげようと思ってたのに! もう絶対してあげないからね!」

「はいはい。そりゃ結構なことで。そんな奴はこっちから願い下げだよ」


 飯を食い終わり、トモハルは手を合わせる。程よい満腹感と、少し良いの回った脳みそ。この瞬間だけは心地よく思うのだが。


 自然に、ポッケに手を入れる。しかし目当てのものがあるはずもなく、虚しく手を下ろす。


 ––––ああ、煙草吸いてぇ


 飯と酒を喰らって、煙草がないというのは本当に拷問だ、とトモハルは思う。あの一服のために生きていたといっても過言ではないというのに、と。


 この世界に来たばかりの頃は本当に苦しんだ。持っていた煙草は一箱だけ。それも一ヶ月もしないうちに全て吸ってしまった。それからニコチンの離脱症状に苦しみながら、のたうちまわりながら煙草を我慢したのだ。


 それから何年か経っても、食事後は煙草が恋しくなる。


 まさか禁煙の理由が異世界転移したから、だなんて過去の自分に言っても絶対に信じないだろうな、とトモハルは一人苦笑した。


「なに笑ってるのよ?」

「いや、別に。思い出し笑いさ」

「ふーん? なんかおっさん臭い」


 メアリーに言われて少し傷付く。もうおじさんと呼ばれるような年齢になってきてしまったのだ、と。


「顔がそれで、言動が年寄りくさいからモテないんじゃない?」

「余計なお世話だ。それに俺にとっては、この顔は年相応なんだよ」

「ふぅん。変わってるのね、ニホンジンは」

「ああ、変わってるんだ、日本人って奴は」


 それからしばらく、うだうだとメアリーと話をしていた。昼食のピークを過ぎて、店も閑散としている。


「あ、そうだメアリー。なんかきな臭い話の一つや二つ、なんか無いか?」


 トモハルは当初の予定を思い出す。冒険者が多く集う東地区の酒場だ。荒事の噂くらい、日常的に入ってくるだろう。


「んー? 最近はアイツらめっきり大人しくなったからねぇ。誰かさんのお陰で」


 メアリーはニッコリしてトモハルを見た。ことあるごとにトモハルが荒事に首を突っ込むものだから、ここいらで揉め事を起こすことがどのような結果をもたらすか、皆分かっているのである。


 つまり、トモハルは自分で自分の首を絞めてしまったのであった。


 トモハルはガックリと肩を落とし、再び机に突っ伏した。


「何さ? そんなに暇なら遊べばいいだろ? ほら、お貴族様みたいにさ」


 メアリーはそう言いつつも、汚らわしいものを口にしてしまった、という苦々しい顔をしている。


 そんなメアリーを見て、トモハルも苦笑する。


「ああいうのは性に合わねぇな」


 貴族の遊び、と言っても品のいい遊びでは決してない。彼らは奴隷を使い、とても口では言えないような残酷な遊びをしている。曰く、下々のもの共は同じ生き物では無い、ならば何をしても許されるのだ、と。


「俺は人間だからな。人間の遊びの中で暇を潰したいんだよ」


 トモハルは人間である。貴族のいうところの下々の生き物。彼らの理屈を借りるならば、貴族はもう人間ではない別の生物ということである。ならば人間でないものの道楽を、人間たるトモハルが楽しめるはずがないのだ。


 トモハルがそう言うと、メアリーは優しく微笑んだ。


「……好きよ、アンタのそういうところ」

「そりゃ良かった。……金はやらねぇぞ?」

「ちぇ! ケチ!」


 メアリーがべぇ、と舌を出した。


 しかし、トモハルの目的は振り出しに戻った。どうやって暇を潰すか。食べ終わった料理の皿を、匙でつつく。トマトの赤い液体が皿にへばりついているのを、匙でこそぎ落としていく。


 トマトも、もっと美味いのを日本では食べられるんだけどなぁ。


 こっちのトマトは酸味が強くて強烈である。品種改良などという概念もないだろうから、野生み溢れる味わいであった。これがトマトの原種なんだろうな、と考えたところでふと、トモハルの手が止まる。


 ……何かが引っ掛かる。トマト、そうトマトで何かが。


「……? どうしたの?」


 急に動きを止めたトモハルを不審に思い、メアリーが問いかける。


「トマト、トマト、トマト、トマトに……」

「トマト? これタマトよ?」

「タマ、ト……タバコ!!」


 トモハルが唐突に立ち上がる。メアリーは驚いて椅子ごと後ろにすっ転んだ。


「イテテ……ちょっと何するのよ!?」


 メアリーは抗議のために声を荒らげる。しかしトモハルは意にも介さずメアリーの手を強く握る。


「そうだよ! トマトはタバコの親戚なんだよ!」

「はぁ? アンタいったい––––」

「トマトが生えている所に行けば、もしかするとあるかもしれない!!」

「何が?」

「煙草だよ!!」

「タバコ?」

「そう! 正確に言えばタバコの葉だ! トマトが自生するような場所にいけば、もしかすれば……!」


 トモハルは一人で興奮している。メアリーの手を取って今にも踊り出しそうなほどだ。メアリーはブンブンと手を振り回され、頭が揺れて目眩を起こしている。


「メアリー! このタマトは何処から仕入れている!? 何処で栽培してるんだ!? 教えてくれ、メアリー! メアリー? メアリー!? 何で気絶しそうなんだ!?」

「……あ、アンタの、せいでしょ!?」


 そう言ってメアリーはトモハルに頭突きをかました。


「な、なんで……?」


 トモハルは膝から崩れた。

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