時の森
天森 永久
プロローグ
光、水、土に感謝を
森の大樹様に永遠を・・・
祭壇に祈りを捧げると、いつも応えるようにボーッと仄暗く光る硝石からの反応はなかった。
「留守なんて珍しい」
キッチンからのいい匂いが鼻腔を擽ぐる。
「おはようセイラ、今日はシチュー?」
「おはようレイン、もうそろそろあの2人も戻ってくるしちょうど食べ頃」
レインはカップをとり珈琲を入れてから、テーブルにお皿を並べ始めた。セイラは湯気のたつシチューがたっぷり入った寸胴鍋をテーブルの真ん中に置くと、外から賑やかな声が聞こえた。
バターンッッッ!
「ただいまー!あっ」勢いよく開いたドアがぷらんぷらんと揺れ、かろうじて繋がった螺子が抜けまいと繋ぎ止めていた、
「あぁ、あ、おかえり。その扉の修理の事は後で」
「はぁー、おかえり。2人ともシチューが出来た所だから・・・とりあえず食べよう」
「ごめんなさい」しゅんとするランジェ。
「あぁっ、今度は私が開けるから」そぉっと螺子が外れないよう扉をしめるアーダ。
4人の少女が食卓を囲むいつもの日常がそこにあった。賑やかで飽きる事のない1日が今日も始まる。今日はどんな事が起きるのか。レインは食後にまずは扉の修理をしようと考え、ため息をつきながらも楽しそうに笑った。
ここは長い年月を経た時の木を中心に広がる時の森。時の流れから外れた穏やかな場所。地図にはない。不思議な森で永遠を願う彼女達の物語は紡がれる。
「・・・だったの。ねぇレイン聞いてる?」ふと気づくとランジェが興奮気味に話している。
「あっごめん。なに?」
「だから、今朝の泉がね、凄いの」と、リュックから硝子の瓶を取り出した。
「これ、全部今朝の分?量も凄いけどいつもより大きいよ」
瓶の中は「朝露の結晶」と呼んでいる透明な雫型の結晶がキラキラ輝いていた。森の奥にある泉に朝早く行き、雫が落ち水滴に変わる前に瓶に集めると結晶化し保存が出来る。ここ、時の森特有の現象だ。この結晶は1つ取り出して樽に入れておけば、一日分の水と変わる。それにしても今日の結晶は格別だ。
「アーダ、泉に変わったことはあった?」
「ん、それが空気がいつもと違う、、というかランジェ、絵を見せて」
「はーい。あんまりにも綺麗だったから描かずにいられなかったよ」そしてリュックから大きな葉を何枚も綴ったスケッチブックを取り出しページを捲り始めた。
描かれていたのは、いつもの泉のようでありながら張り詰めた澄んだ空気が伝わってくる絵だった。
「着いた時はいつもと変わらなかったけどね、アーダ、準備いい?」
「出来てる。始めるよ」
アーダは絵を前にし、目を閉じ低く詠唱を始めた。
⋯写し絵に魂を
宿すは奇跡の時
一条の光さしたるや 木々は震え泉は歓喜に満つる
輝きは広がり数多の生は悦に酔う
累々たる
唱えだしたとたんに、ランジェの絵は動き出し目の前に煌めく泉が現れた。ランジェの絵に込められた心とアーダの紡ぐ言霊の力が奇跡の光景を再現させていた。木々の喜びに葉を揺らす。草花は輝きを増し、キラキラした小さな粒子が風に乗りふわりと舞い踊る。
「綺麗」セイラは呟きふらっと泉に近づこうとした。
レインは慌ててセイラを止めるが映し出された光景に魅入られていた。空気の粒ひとつひとつが輝き、木々はザワザワと葉を揺すり、そして泉は。
水が手を伸ばすように波打ち誰かを迎えようとしていた。
⋯大樹様だ。
レインは見えない光の中に森の主たる大樹の精が微笑んでいるのを感じた。
「なるほど。これなら朝露も張り切って大粒の雫になるのも納得だわ」レインの言葉にアーダは頷き詠唱を止めた。
触れられそうな泉の光景は一瞬で消えランジェの書いた絵を呆然としたセイラが見つめた。
セイラも不思議現象には慣れているので、ホゥっとうっとりした溜め息ひとつでこの出来事に納得した。
そう、ここは時の森。そして純粋な人間はセイラ1人だった。
ランジェは羽のある妖精。アーダは尻尾のある人型の元使い猫。人間に見えるレインも魔法を操る魔女だった。
不思議な不思議な時の森の住人は4人。種族の違う彼女達がこの森へと到るには語りきれない道のりがあった。時の運命によってか、ここへ集った4人が繰り広げる物語はまだまだ不思議が溢れていた。これはそんな日々の一コマだ。
そして、それは忘れ去られる事も無く、時の森の大樹の元で色褪せる事もない。
食後に大粒の朝露の結晶を囲みゆったりとお茶を飲むランジェ、アーダ、セイラ。蝶番と扉を相手に奮闘するレインがいた。
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