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「前に作ってもらったドールね、アナイスと名付けて可愛がっているよ」

「恐縮です。アナイスちゃんも谷さんのところなら幸せだと思います」

 応接間に通して相対すると、谷はバッグから紙を取り出してテーブルに広げた。

「それでね、今回はこういったドールを作って欲しいんだ」

 谷は依頼の度に自作の設計図を持ってくる。コンセプトは自分で、デザインは知り合いのイラストレーターに頼んでいるらしい。

「六十でどうかな」

 すぐ予算の話になるのも、いつものことだ。前回は五十万で依頼を受託した。

「もちろん、受託させていただきます。ですが少しご相談が」

「相談?」

「はい、納期に関してなのですが。実は今、別で大きな案件を抱えておりまして」

 樹や義手のことは伏せ、優先順位の高い作業を進めていることだけを簡潔に話した。

「なるほど。もっと金になる案件があるから少し待て、ってことかい?」

「いえっ、そういう訳では」

「辰良さんならそれを話に出すことはないと思うなあ」

 思いもよらない、谷からの苦言であった。

「……申し訳ありません」

 谷は笑って、

「ごめんごめん、冗談。納品はいつでも構わないよ。いきなり押しかけたのは僕だからね」

 でもね、と続ける。

「顧客に提案をするのなら、少しだけ言葉を選んだ方がいいよ。ほら僕、営業担当だから。そこらへんは気をつけてるんだよねえ」

 谷がどのような業界で働いているのか、朗義は知らない。だが定期的に大金を積んで趣味のドールを個人に依頼するような人間だ。それなりに大きい会社で働いているのだろう。

「ご忠告痛み入ります。大変失礼いたしました」

「説教くさくてごめんね。何かあったら電話して、いつでも来るからさ」

 それじゃあ、と言って谷が応接間の扉を開けると、盆に二つの湯呑みを乗せた丹尾が立っていた。軽く会釈をして、谷は店を後にする。

 丹尾は苦笑していた。

「師匠、怒られちゃったっすね」

「うるさい」

 谷との打ち合わせは五分で終わる。設計図を受け取って予算を聞いたらそれで終わりだ。

 叱責されることなど、これまで一度もなかった。

「出る準備する」

 はいっす、という声を背中越しに、朗義は着替えに自室へ戻った。

 客先に出向くことは少ないが、訪問には毎回スーツを着て行く。知る人こそ少ないが、一応辰良の流れを汲む店だ。最大限身繕わねばブランドのイメージを損ねてしまう。

 ヘアーワックスを髪に、ネクタイを首に締め、原型の入ったケースをバッグに入れ店を出た。

 あの日から今日まで続く強い日差しが、脳裏に樹を想起させる。樹の顔を思い浮かべると、坂道を上る朗義の足は速まっていく。

 採寸から分かっていたことだ。この原型はきっと、樹の美しさを損ねてしまう。

 だが、今はこれを早く樹に見て欲しい。早くこの原型を樹の碧眼で見て、あの手で触れて、評価して欲しい。喜んでくれるだろうか。微妙な顔をされるだろうか。

 どちらでもよい。樹に見られるということ自体に、価値があるような気がしてきた。

 どうしてそう思ったのか、朗義は分からずにいた。

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