2-5

「その、お手をお借りしても?」

「もちろん、お願いします」

目の前に差し出された樹の右手には、曖昧な陰影が存在しなかった。肌はワニスを塗られたばかりの絵画のように艶めき、崩れた指でさえ古代ギリシアの彫刻を想起させる。触れることを躊躇わずにはいられない。

朗義が樹に抱く感情は人間ではなく、ドールへと向けるものに酷似していた。

戸惑いながらも優しく樹の手を取り、引っ張り出した目盛を手首に一周させる。軽く沿わせて、隙間なくメジャーを合わせる朗義の手には最小の力しか込められていない。間違っても傷を、痕の一つすら残さないよう、細心の注意が払われた。

樹の体温は、朗義の体温によってかき消されている。腕に触れる指から伝わってくる脈拍は緩やかに一定のリズムを刻み、冷静な血液の流れを感じさせる。それと反比例するように、感情を抑えたい朗義の気持ちを無視するように、心臓は血流を加速させていく。暴れる鼓動の音が、樹の耳に届いてはいないだろうか。

採寸は続く。手囲いや親指の付け根を測る度に、朗義の額に汗が浮かび上がる。指がないので、手首から中指の付け根までを手長として測定した。本来であれば必要のない情報だが、樹に限ってはこの長さを把握しておかなければ、バランスのよい長さで指を作れない。

最後に、各指の周囲と幅の採寸を行う。わずかに残った天然の白磁にそっと触れて、それを持ち上げメジャーを通す。

断面には指の喪失を表すように滲んだ血が点在している。かつてここにあった指はきっと、細くしなやかに伸びていたのだろう。記録をつけながらそんなことを想像する。

だがどんな指を思い浮かべようと、目に映らない指以上の美しさには到底及ばない。それ程に、この手は美しい。

──もしかして彼女の指は、失われる為にあったのではないだろうか。

「すみません」

「……何がですか?」

「いえ、こちらの話です」

ミロのヴィーナスもサモトラケのニケも、その美しさは造形のみに内包されない。本質は不完全さにあると、少なくとも朗義はそう考えている。失われた部位はそれを見た人間の想像によって補完されるが、それでは無形に形を与えることになってしまう。朗義の空想する指が、目の前の美しさに及ばない原因がそれである。ない、という状態になることで生まれる価値はなく、ないことが価値そのものであり、それを理解して初めてそれらの彫像は無限に美しくその目に映ることとなる。

朗義は次第に気乗りしなくなっていった。樹にとっては修復の意味を持つ依頼であっても、朗義からしてみれば美術品への破壊行為である。どれだけの逸品を作ろうと、それを樹の手につけた時点で真の美しさは霧散する。樹に触れる緊張も、六百万円という報酬への高揚も、とうに消えていた。

そう考えている間に、破壊への前準備は整っていく。

「これで手の採寸は終わりです。次は……足ですね」

「はいっ。靴下、脱がしていただいてもいいですか?」

「えっ」

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